2023年3月26日日曜日

新陳代謝


 

WBCは大盛り上がりでしたネ。次は、サッカーです。先日テレビを見ていたら、「サッカーでは、これから若い人が活躍します。新陳代謝が上手くいっているんですね~。」と言っていました。そう言えば、野球もそうだなあ、と。


最近、若い人の活躍が目立っています。スケートボード、スノボーなどスポーツはもとより、ダンスや音楽系、文学や「博士ちゃん」等々、学習系もです。


わたしの浅薄な知見でしかありませんが、これはネットやAIの影響なのかなと。囲碁界や将棋の藤井聡太さん、等々、縦割りの社会を乗り越えて活躍しています。考えるに、ひとつには「先生からの圧力(縦の圧力)」が無くなって来たのかと。AIから知識を得ることができますから。


それから社会の雰囲気も少々変わってきて、若い起業家や若い学者のコメンテイターも見られます。今までは、若い人は「一発屋」感がありましたが、今は定着しているようなあ~。



そこで、政治家は「なんでやねん!」と思うわけです。相変わらずの年寄男性だらけ。政治もAIを利用したらどうなんでしょうね。「少子化問題」等もAIに分析させてみたらどうなんでしょうか。そういう利用を若い政治家が担うというのは、どお?


とにかく、政治の分野でも若い人々が、年寄りの圧力を跳ね除けて活躍しますようにと、期待します。




2023年3月19日日曜日

古典文学

 



『川端康成異相短編集』を読んで。

 

文字通り、川端康成の短編集です。しかし「異相」です。そもそもわたしは何故古典文学に親しみがわかず、いわゆる「文豪」と言われる人の作品でも、興味は怪奇とかミステリーの方に行ってしまうのかと考えていました。

 

先ずは、アカデミックが嫌いだという事。教科書に載っている作品など読まないぞ……、という「意気込み」です。小さく切り取られて、そこでアカデミックが押し付けられると。

 

もうひとつは、古典作品の中の日常に当然のごとく、セクハラとかパワハラとか、貧富の差による差別とか、LGBT差別等々が描かれているからです。その状態が何も問題視されず、ただ有ります。

 

フェミニズム運動が盛んになってから、西洋では古典文学の中の女性に関する表現が問題になってきました。意図的に書き直されたりもしました。同様に、最近では他の人権に対しても問題視し、書き直されている向きもあります。

 

もちろん明治以降の作品にも「人権問題」が扱われているものもあります。しかしそれは、プロレタリアート文学とか左翼文学とジャンル分けされます。

 

その前の文学、江戸時代の文学とかですが、その中では差別意識はありません。わたしも「士農工商」の身分差別など何も気にせず小説を楽しんでいます。「時代小説」だからです。「そんな時代もあったのネェ~~~。」です。

 

なので、第二次世界大戦以前の文学は「時代小説」としちゃえばどうでしょうネ~。

 

 

そんな折、大江健三郎さんが亡くなりました。彼のようなスーパースターの分析は、私なぞにはできませんが、古典文学のことを考えていて、その流れで大江健三郎さんのことも考えていたところでした。

 

大江健三郎さんの作品は「古典」になるなあ~、と。誰も彼の小説を「左翼文学」とは言わないでしょうから。日常生活に「権利意識」が常態としてある…かな。しかしながら、彼の訃報を知らせるメディアが、また彼をアカデミズムの方に引っ張っていきそうで、不安です。

 


 

というところで、『川端康成異相短編集』です。差別は意識されず当然の事としてあります。が、楽しみは「怪奇」です。編者によりますと、「怪奇」ではなく「異相」と、意図的にしているそうです。

 

編者解説によりますと、

 

「川端康成の小説作品には多かれ少なかれ、現世界への平均的な認識に従わない、通常と異なる相を関知していると読めるところがある。しかもその只ならなさがあってこそ作品の主題が生かされている場合がしばしばある。こうした特徴が特によく発揮された作品を集め一冊とした。」

 

怪談として、川端康成の作品を編んでいるものもあるが、編者はそのような外的なジャンルによる判別ではなく、「飽くまでも川端康成という作家にうかがわれる内的な必然性、その独特な認識の帰結としての常ならない相=異相」に焦点をあてて選択を試みているようです。

 

 

小説十六篇、随筆三篇。どの作品も読みごたえのある不思議なお話です(わたしがこんな事を言う必要はないが)。さすが「古典文学」だ!

 

最初の『心中』などは、2ページの作品ですが、呻ってしまいます。印象に残っている作品は、『死体紹介人』です。全く知らに女性の死体を「内縁の妻」と偽ってお葬式をする。その遺骨から話はどんどん複雑で不思議な展開になって、といって深刻でもなく、知らない者通しが知らないまま絡み合って行きます。最後の「落ち」も素晴らしい。

 

 

他の川端作品は一冊も読んでいないので「大きな」事は言えません。

 

 


2023年3月15日水曜日

スーザン・ソンタグ


 

昨日の『折々のことば』は、スーザン・ソンタグでした。


なつかし~な~あ、と思って。


言語は言語を阻止するために、沈黙を表現するために、使うことができるのだ。


ふ~~~ん、ソンタグだなあ~。


ソンタグは、卒論を書くときに、非常に参考になったので、……青春です。


『ラジカルな意志のスタイルズ』という著作の中の言葉の様です。


わたしの持っている本は『反解釈 AGAINST INTERPRETATION』。あらゆる芸術は、解釈するのではなく、ありのままを受け入れることが本当……簡単に言うとそんな所です。


彼女の小説も持っていますが、未だ読めず。。。『わたしエトセトラ』という短編集です。いつか読みますよ!




2023年3月12日日曜日

最近事情


『川端康成 異相短編集』は、もうだいぶ前に読み終わっているのですが、なかなか感想文が書けないです。


ひとつには、本の感想の前に「何故わたしは古典文学に親しめないのだろう?」というところに考えが引っ掛かっているからです。


もうひとつは、最近囲碁の調子が上がってきました。それで何よりも先に囲碁の研究に励みたいと。ついつい囲碁の方に時間を費やしてしまいます。


わたしは、虎丸ちゃんが好きです。それから上野愛紗美さん。ふたりの棋風が好きだから。しかし、わたしの囲碁の勉強には役立ちません。なぜなら、彼らは「異次元」の棋風だから。

役に立つのは、何と言っても一力さん。そして、藤沢里奈さん。王道ながらも個性的。とても参考になります。


一力さんは強いです。一力さんに今勝てるのは、井山と虎丸ちゃんだけではないかと。。。



囲碁の対局はNHK杯しか見ません。テレビで見られるのはそれだけだからです。一力さんが、対戦の解説をしていると、解説の間に三回くらいは勝っているのではと……。つまり、対戦者が打つ前に、解説すると、対戦者は違うところに打ちます。「ああ、そこですか。」と言って、その手の解説もするですが、そこで勝ちを逃がしたという事ですよネ。そんな事が、まあ、三回はあります。


それから、最近の女流囲碁は凄いです。上野さん、藤沢さん、中邑さんは、女性、男性を問わず最高と思います。将棋は女性と男性の対戦は分かれています。囲碁の方は、男性のみの対局戦はないので、実力さえあれば男女ともに同じく打てます。


AIのおかげで、若手の活躍のみならず女性の実力も上がってきました。個人でAIで研究できるので、上下関係とか、女性は「控える」とか、その場の雰囲気に忖度するとかの「煩わしいこと」が減って来たからと思います。


以前、「女流戦に出れば、どれかで優勝は出来る。」と言っていた、三段の男性プロ棋士がいました。もう、そんな事は言わせませんよ!!!


ナメンナヨ!……と言いたい。




2023年3月1日水曜日

今日の「折々のことば」


 

共通世界は、それがわずか一つの位相のもとで見られるとき、消失する。

                    ハンナ・アーレント


共通世界がそもそも存在するのは、その遠近法が多様である場合だけだから……、と続くようです。


鷲田清一さんの解説;

世界は、相互に隔離された<私>の視点や、社会の画一的な視点からしか見られなくなると、バラバラになって崩壊すると、哲学者は言う。




面白いな~~~、深いなあ~、と思いました。


共通とは、一つに統一することではなく、いろいろな思考の複合から生まれるもの…。

矛盾を孕む美しい「ことば」ですネ。眩暈がするワ。