谷川俊太郎さん追悼の続きです。言葉を疑っていた詩人はどのように詩を創造したのか。
詩人・吉増剛造さんが思いを述べています。吉増さんはアバンギャルドな実験的表現者の詩人だそうです。平易な言葉を使う谷川さんとは対照的な存在でした。
谷川さんの詩について、「ひとりぽっち性」と表現しています。「孤独」とは違う原始的で、無邪気で、純粋な魂と。
「平易」と「極端」とかけはなれた態でしたが、「ひとりぽっち性」というところは同じだと。
「一貫して学問や知識に頼らずに、裸で話していた。」と話されています。「意味」や「思想」から逃れようとなんて考えず、最初から一番最初から谷川さんは魂の中にそういう感覚があったと。
これが解なのではないかと思います。言葉を疑いながらも詩を創作できたこと。何も表現しようとせず、ちゃんと表現していた。言葉では表せ得ないものを。
吉増さんは、それを「骨の声」と言っています。頭ではなく、自然な、骨から出てくる声。そしてそれは人間だけでなく、動物・植物・鉱物さえ感じられるような感覚が息づくと。
「骨の声」、いい言葉ですね。脳からではなく体自身から出てくるような~。古武道の達人も言ってました。筋肉で動くのではなく「骨から」動くと。
ですから、超一流な人達は、捏ね繰り回したものからでなく、「無」から何かを取り出しているのでしょう。凡人が生意気ですが、そう思いました。