2025年3月3日月曜日

『最後に鴉がやってくる』を読んで

 



『最後に鴉がやってくる』

  

イタロ・カルヴィーノの初期短編集です。カルヴィーノが大好きな私としては、即購入。しかし、いつもと違う雰囲気です。いつもの彼の幻想的雰囲気やシュールな感じ、または、おとぎ話的要素がない。

 

ロシアの古典小説のような「貧困、父権、無知」が支配し、重苦しい趣です。が、読み進めるうちに、段々彼独特のユーモアが表れてきました(年代順になっているのでしょうか?調べていませんが。)。

 

『木登り男爵』のようなおとぎ話プラス批判精神や『レ・コスミコミケ』のようなSF的要素、『遠ざかる家』のようなシュールな物語、等々。

 

表題の『最後に鴉がやってくる』も、話としては重苦しいですが、不思議な雰囲気が漂っています。

 



戦争を背景に、兵士の団体の前に少年が一人表れる。少年は、兵士のスキを見てひとりから銃を取り上げる。兵士が驚いているうちに、少年は川面に飛び跳ねた魚を銃で仕留めます。兵士は感心して少年が同行することを認めます。少年は、銃を要求します。兵士も貸与します。

 

そうやって道を進んで行くのですが~~~。

 

兵士は、少年の銃の腕前から敵を攻撃するのに役に立つと思っています。少年は、ただ銃を撃ちたいだけ。

 

その晩、少年は兵士たちが寝ているうちに一番良さそうな銃を掴んで、ひとり戸外に出ます。そしてひとり道を進んで行き、手当たり次第に生きているものを撃ち続けます。カケス、山鼠、動かない毒キノコさえも。

 

やがて一人の兵士が少年を見つけると、少年と兵士の戦いになる。

 

しかし、少年は兵士を撃つという明確な目的を持っているわけではなく、動くものなら何でも打つというスタンス。

 

兵士は鴉が飛んでいるのを見た。少年が撃つだろうと思った。が、鴉は一向に撃ち落とされる気配はなく、兵士は、鴉は幻で「死にゆく者はあらゆる種類の鳥が飛ぶのを見るものなのだろう。そしていよいよ最期というときに鴉がやってくる。」と思う。

 

そして、兵士は、「鴉が飛んでいるぞ~。」と少年に叫びかける。そして……最期は。。。

 

 


 

この年代の作家は第二次世界大戦の面影に支配されています。彼もパルチザンとし戦いました。大江健三郎然り。彼らは戦争の残像に悩まされ、作品を残していきました。その後もベトナム戦争や学生運動など「戦いの中」に生きてきた人々です。

 

近年「小説は終わった」という意見があります。名前は忘れましたがノーベル文学賞を受賞した作家の言です。奇しくも大江健三郎氏も同じようなことを述べていました。

 

私にはどういう意味か確信はもてませんが、「題材としての戦争」が終わったという意味もあるのでしょうか。

 

段々、世の中物騒な方向に進んで行きます。如何かな。

 

 


2025年2月24日月曜日

また本を買ってしまった。



 

今は囲碁に沼ハマ状態であるから、本を買ってもすぐには読まないであろうと思うのに……買ってしまいました。


先日ようやく本を一冊読み終えて、しばらくは本は買うまいと思っていましたが、ついつい新聞の本の広告を見てーーー買ってしまいました。


『生成AI時代の言語論』と『おんなの女房』です。




『生成AI時代の言語論』は、言語学に非常に興味があるので「なんだこれは?」といった感じです。「生成AIから見えてくる、人間の言語の謎と本質!」というキャッチコピーで、好奇心満々です。


『おんなの女房』は、武家の娘が歌舞伎の女形役者に嫁ぎ、なぜ?という疑問に悩まされるお話のようです。江戸後期好き、歌舞伎好きのわたしは興味惹かれます。それから以前感想文をUPした『化け者心中』と同系本のようなので。。。

はあ~、同じ著者でした。


ちゃんと読めますように。





2025年2月22日土曜日

折々のことば  2月19日


新聞のコラムです。


「もともと感情といったものが確固として存在しててそれを表現するというとらえ方をちょっと疑っています。」  ーーー納富信留


感情は言葉によって象られてはじめて感情となるが、そのとき同時に言葉とのずれも現れてくる。

言葉は自他の間で生成するもので、閉じた「考える私」から出発すると対話どころか「私」も成り立たない。


とのこと。




ここでは、「感情と言葉」というところから始まっていますが、わたしが常々思っていることは、言葉では何も表すことが出来ないということです。(思いっ切り矛盾しているとは知りつつ。。。)


言葉のないところでの「わたし」は存在するが、他者と対話するとき「わたし」は無くなってしまう。


言葉では、お互い理解できないということです。で、人は言葉を発明してから「人と人との関係性」は幻になってしまったと。人はお互いに同じ夢を追いかけているという幻想の上に社会を組み立てているのです。そうやって、人間社会を発展進化させて、危うい土台の上に壮大な建築物を作ってしまいました。


これからどうなっていくのでしょうか。


もうひとつ、


人類が滅亡しないと仮定して一億年~数億年先の未来の人類のために「何ができるか」という考察があると記事で読みました。


ステキな未来がありますように。。。





2025年2月2日日曜日

新聞のコラムからの~


 

少々旧聞ですが、イチローさんが米野球殿堂入りを果たしたことに関して、こどもの詩を集めた本からの引用で「語っていた」コラムがありました。


打消しの漢字ーーー非・無・未・不ーーーの熟語は、あまり良い意味の言葉がない。非行、無理失理、未完成など。


コラムニストは、そうかもしれない。が、イチローさんは満票の投票から一歩足りなかったが、「やっぱり不完全であるというのはいいなって。生きていくうえで、不完全だから進もうと出来る。」というイチローさんの言葉を紹介していた。


無心で重ねる努力だけが不朽の記録を生み出す。イチローさんの殿堂入りは、未来を夢見る者へ、力強いメッセージになったことだろう。ーーーコラムの結論です。良い意味になる「無心」、「不朽」、「未来」を提示したわけ。




で、否定語は悪い意味の言葉を否定するとよい意味になるのだ、と考えた。


不惑とか。ちょっと思いつかないけど、感無量とか非武装地帯とか未使用とか不滅とか。


ちょっと面白いなと……、思ったところです。






2025年1月19日日曜日

数独からの~~~


 

新聞に週4回くらい数独パズルの問題が掲載されています。今、はまっています。難易度があって、「★3」か「★4」まではなんとか解けますが、★5は無理です。


考えたのですが、数独はルールもバッチリ確定しているし、回答もキッチリとしています。つまり、不確定要素が全くないという事。人間業でも、数字を一つずつ当てはめていけば、正解に辿り着きます。AIに頼めば秒殺でしょう。


それで、他のゲームの事を考えてみると、AIが人間を超えたのは、オセロ、そしてチェス。これらは、不確定要素が少ないので簡単だったのではないかと。


それから、将棋。チェスと似ていますが、取った駒が自軍のものとして使えるので不確定要素が増えます。AIは、将棋はチェスよりも後に「勝ち」を完成しました。囲碁については不確定要素が膨大なので、AIはなかなか攻略できないだろうと言われていましたが、攻略完成。


それで、今は、AIにお世話になって人間は囲碁を進化しています。



何故かな~。


考えるに、たいていのゲームは、勝利の最終形がわかっているのに、囲碁は見えないという事かもと。どうなったら勝ちと言う事です。囲碁も地をたくさん取れば勝ちということになっています。が、地をたくさん取るという「形」は無限です。


今、囲碁に沼ハマのわたしは、どうやって勝利を手に入れたらいいのだろうかと、思案中。



囲碁は、構想力が大事と言われます。少々その意味がわかってきました。「勝利の最終形」を構想してそれに突き進んで行くのかと。それでも、相手次第で、最終形は刻々と変わっていくからな~あ。途中で、「作戦変更」ということもあるからなあ~。


悩まし。。。






2025年1月12日日曜日

少し前の『折々のことば』


 

朝日新聞のコラムです。


1月9日のもの。


光は、はてしない闇のなかに湧いて、ちぎれたり、合わさったり、消えたりする、気泡のようなものでしかない。

川田順造『広野から』より


サヴァンナで陽が落ちるーーー、その時闇は光の欠如ではなく、光が「闇のまたたき」だということがありありと感知される。人の眠りや死も、つまるところ「個をこえた連続への復帰」なのだ。




少々難しいですが、「個をこえた連続への復帰」というところに私の妄想がムクムクと湧いてきて……。


私は一生懸命生きてきた。これは、わたしの一生ではなく、人間の「生」を繋ぐ一片の試みなのかと。「生きる」、そこに意義はあるのか?あるいは、単純に「生きていく」ということに意義があるのか?


人類が生き続けるのに意義はあるのか。他の動物や植物、生物がこの地球上で「生」を営んでいるのと同じように、ただの地球に起きている現象の一部ではないのか。


というような、ことです。





2025年1月5日日曜日

今日の一冊


 

とは言え、昨日の新聞広告の本ですが。


『火山と断層から見えたーーー神社のはじまり』です。読んではいません。


題名通り、火山の断層のところに神社が建てられたというお話と思われます。そこから古代史を解明するそうです。大変興味があります。


先ず、古代史が好き。神社の意味に興味アリ。と言いうことでアマゾンで検索してみました。肯定的な意見の方が多かったですが、ひとつ、「★一つ」のものがあり、「都合の良い例だけを取り上げてあり、一貫性がない。」とありました。




この本に興味がある人は、こんな本もチェックしていますーーーというところもチェックしたのですが、他に興味湧く本はなかったです。神社の本をチェックすると、なんやら「右寄り」の方の本もあり、要注意(わたしは「右寄り」に興味がないので)。


と言うことで、家にあるまだ読んでいない本から読むべきかなあ~、と、反省。


例えば、


『建築からみた日本古代史』

『古代研究』

『縄文人の世界観』

『骨が語る日本人の歴史』

など。


読む本が、い~~~っぱい、アリマシタ。