前回、インターナショナル言語としての英語の潮流について少々考えてみましたが、考えているうちに「んっ、ほんとにそうか」と思ってしまいました。
中国の事はちょっと脇に置いて、少し前に世界で話されている言語として、スペイン語が英語を抜いたと聞いた記憶があります。日本と言う地域柄、外国語と言うと英語と反応してしまいますが(あるいは中国語や韓国語か)、世界ではそうでもなさそうです。
つい最近の新聞で、現代イスラム研究センター理事の水谷周さんという方が『私の視点』というコラムに意見を寄せておられました。アラビア語についてです。
彼によりますと、
広く国際社会を見渡すと、アラビア語は特殊言語ではなく、多くの人が使用する広域言語なのである。アラブ人でなくとも、イスラム教徒となれば聖典コーランを読むためにアラビア語を習得する。ムスリムはアジアやアフリカ、欧米を含め、世界人口の4分の1になりつつある。英語と匹敵する存在であり、国連の公用語の中でもフランス語やスペイン語とは比較にならない(ほど重要)。国際報道の点から見ても、アルジャーラというTV局は、世界に対し重要な情報を「アラビア語」で発信し続けている。
前回五輪のあったロンドンには10万から30万人のアラブ人が住んでいる。ブラジルには1千万以上が住んでいると言われる。ロンドンの道路標識では、五輪以前からアラビア語が英語、スペイン語と並び表記されている。
以上、彼の主張の簡単な要約ですが、また、「アラブ人は一般的に英語ができると言うのは、誤解にすぎない。ロンドンで盛んにアラビア語通訳の宣伝が出回っていることが、それを証明している。」とも書いておられます。わたしもたびたびそんな感想を持ちます。つまり、日本人は、「日本人は英語が話せない。他の国々の人々は話せるのに」と思いがちですか、思ったほど、他の国々の人々は英語を話せませんよ。
とても卑近な例ですが、先日、タモリの「笑っていいとも」を見ていると、日本に来たばかりで日本語を理解できない外国人を連れて来て、出演者が好きな漢字を選んでその文字を書いたT-シャツを、意味がわからないままにどれが好きか選ぶコーナーがありました。5人くらいの外国人が出ていました。国籍はバラバラです。フランス人、イタリア人、マレーシア人等などです。で、その通訳は「英語の通訳者」ひとりだけ。誰でも英語が話せるという思い込みですね。実際、英語を話せる人はいましたが、あまり流暢ではありません。英語でなされた質問に、頓珍漢な答えをしていました。キルギスの人が一番流暢に英語を話していたと思います。その他の人は、フランス語やなにか出演者同士で通訳をし合っていました。
テレビのニュースなどでも、アラブの春などで話題になったエジプトやまたは経済問題ではギリシャ等など、「英語の国」でない街かどでインタビュアーは当然のごとく英語でインタビューをしていますが、彼等は、その思いのたけを英語で話せるほどの実力があるのでしょうか。または、英語を話せる人だけが選ばれてインタビューに答えると言うシステムです。国際的ないろいろなスポーツ選手のインタビューでも、勝利者は英語でインタビューされています。その英語能力はまちまちです。
以前、『日本人の9割に英語はいらない』という本を見ました(わたしは読んでいませんが、成毛眞著)。そんな感じです。今年ニュージーランドで出会ったスイス人の青年も、「スイスでは、英語なんて全然必要ない。でも、物理学者になりたいので、英語を学んでいるのだ。論文を英語で書かなければいけないから。」と言っていました。そんな感じです。「英語を話せない日本人」と言っても、外国人相手の旅館やお土産物屋さんは英語話していますよ。そんな感じです。
前回、「カタカナ日本語」は日本語だ…と書きました。でもアルファベットで書かれたものは違います。フランスでもイタリアでも・・・でも、パトカーにPOLICEとは書いてありません。日本の道路で、そんなPOLICEと書かれたパトカーに出会う度にウンザリしてしまいます。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿