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『日本語を大切にする会』で世話人を務める高橋鵬二さんが、「NHKは放送番組や番組名で外国語を使い過ぎることをやめるべきだ」とNHKに対し、名古屋地裁に提訴した。「リスク」や「ケア」など、外国語を使わなくても表現できる言葉を多用しており、内容が理解できず、精神的苦痛を受けたとしている。
朝日新聞は、この訴訟を踏まえ、『カタカナ語の増殖』と題し特集を組んだ。そこでは、三人の論客が、それぞれ違った観点から意見を述べている。
アルベール・サロンさん(フランス人、「フランス語の未来」協会長、文学博士)
この協会の目的は、米国主導で英語が世界の言語の覇権を握ることに反対すること、そしてフランス語を守り、文化の多様性を守ること。
フランスは、ヨーロッパが欧州連合を立ち上げた時、1992年に憲法を改正した。その際、「共和国の言語はフランス語である」ということが明記された。この憲法の一文により、「フランス語の使用に関する法律」が制定され、フランス語の位置が確保されている。それでも、英語の乱用は拡大しており、「イーメール」を「クリエル」と言い換えることを求める活動などをしている。「ソフトウエア」が「ロジンエル」というフランス語に言い換えられ、定着した前例もある。
「一つの言語が他を支配するようになれば、モノの考え方も単一になる。母国語を守ることこそが、国家の独立を守ることにつながる」と、彼は主張している。
津田幸男さん(筑波大学教授)
彼は、日本人は外来語をあまりに無防備に無神経に取り入れ過ぎると、日本語防衛論を唱えている。そして、氾濫の元凶は四者あると指摘する。
1.企業:商品名や社名、宣伝、看板に外来語が多過ぎる。
2.官公庁:難しいカタカナお役所言葉を全国に撒き散らしている。
3.知識人や学者:本来、翻訳や言い換えを考える立場なのに、それをしないでカタカナのまま使うことは、知的怠慢だ。
4.報道機関:以上の三者の外来語を無批判に垂れ流している。
「言語法」の制定を検討すべきだ。外来生物には「外来生物法」という法律が対応している。ことばについても日本語の威信と地位を守る「日本語保護法」などの法律が必要と主張している。
岡康道さん(クリエーティブディレクター)
「これまでカタカナ語を不快と思ったことはない」と、岡氏。職業柄、身の回りの言葉はほとんどカタカナで、彼にとっては、カタカナは純然たる日本語の一部であると言う。
かつて、コピーライターを「文案家」と言ったことがあったが、この言葉は廃れてしまった。言葉は生き物なので、使われなくなればお終しまい。逆に使われている言葉は、それなりの存在意義を持っている。「自由」と言う言葉は、FREEDOMの訳として現われたのだが、現在も使われていて、フリーダムとカタカナでは書かない。それは、「自由」と言う言葉に、洗練された美しさがあったからだ。つまり、ダメなものは消え、魅力あるものは残って行くということ。「日本語を守れ」と権力や権威を背景にして唱えても、残るものは残り、消えるものは消える。
カタカナ語は、出自は外来でも本来の外来語の意味から離れ日本語として日本語を豊かにもしている。「カタカナ語も新しい日本語表現として面白がって使っていけばいいのではないか」と、彼は主張している。
わたしの観点では、英語のみがインターナショナル言語として世界に受け入れられ席巻して行く事には反対である。言葉は文化である。ひとつの言葉のみが、全世界で席巻すると、他の文化が廃れていく。その文化を表現できる言語がなくなってしまうからだ。世界には文化的多様性が必要である。異なった言語で、異なった表現がされ、異なった意見がたくさん出ることで、互いが刺激し合って、発展が促される。
と言って、津田氏の言う「言語法」の制定には反対する。何か胡散臭い匂いが漂うから。わたしの思いは、最後の岡康道さんの意見に近い。アルファベットで表わされた外来語とカタカナで表わされた外来語は、全く意味が異なる。我々は、幸いにも「カタカナ」という表現方法を持っている。外国語をカタカナで表わせば、それは日本語になると思うのである。津田氏の言う「外来語即日本語ではない」と言う事にはならない。そこに意味の置き換えが起こっていないから。それ以上に、本来の日本語の意味に何かをプラスしていさえしているように思う。
これが、企業が英語を社内語とするようなことであれば、それはもう単に日本語を捨てて英語そのものだけを活用していることになるのであろう。以前上海に暮らしていた時、中国の新聞を見る機会が多々あった。もちろんのこと、中国にはカタカナはない。外来語は、中国語に訳されて漢字で表現されるか、訳しきれないものはそのままアルファベットで表記される。中国の新聞には、漢字に混じってアルファベットが見える。それは、とても醜い光景だ。プラス、そのアルファベットで書かれた文字は、それで表現される意味を表わすのみで、中国語とはなっていない。日本の新聞の中で見られる、カタカナの外来語は、見事に日本語となっていると思うのである(それに、なっていないものは、自然に消えて行くよ)。
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