2015年3月29日日曜日

ご報告



先回の続きです。棋院の囲碁教室での「わたしのベリーショート」の反応はどうだったか……。受けました。メチャ受けました。「ペナン島で泳ぐためだよ~~~。」って言うと、盛り上がりました。一か月の海外旅行というのは、ノーマルじゃないんでしょうかね。わかりません。

 

しかしながら、独り者で一カ月家を留守にするのは、少々たいへんです。例えば、郵便物。これは郵便局に行って、配達を止めてもらう手続きをしました。毎日デリバリーされる新聞。これは新聞屋さんに電話したけど繋がらず、留守電に録音しておきました。確認の連絡はありません。が、「後は野となれ山となれ」です。

 

あまり早くから荷物を作り始めると、持っていく荷物が段々増えていくのでパックするのを我慢しておりました。今日、完璧です。明日一日のんびりして、明後日の出発です。飛行機の乗り継ぎが香港なので少々不安が残りますが…、まあ、何とかなるでしょう。朝起きて、空港に行って、飛行機に乗ってしまえばこっちのものです。あとは成り行き任せと言う事で。

 




 

今回は、タブレットを持っていきます。ブログの更新ができるかも。「かも」というのは、まだタブレットを使いこなしていないからです。歳と共に判断力とか、新しいものについていけなくなるとか、人生たいへんです。この一カ月ペナンで暇でしょうから、せいぜい使いこなせるように努力します。上手く行ったら、家のパソコンはネットに繋げないで済むかなとも。というのは、もうわたしのPS、時代遅れの代物になっちゃって。いつのまにか音声も出なくなっちゃったのです。音声を復活させる方法は検索して手に入れたのですが、まだ試していません。なんだか億劫で。これも歳のせいでしょうか。

 

 

とにかく、出発です。





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2015年3月26日木曜日

ペナン島に行きます――


昨年はどこにも海外旅行に行かなかったので、少々煮詰まって来ました。思い立って「どこかに行こお~」となりました。そこで偶然見たのが『世界ふしぎ発見』。ペナンの特集でした。夜はたいていビールを飲んで「そこそこ」の心理状態なので、すぐ検索しました、ペナン島。と、長期滞在をセッティングしてくれる会社を発見。会社の第一印象がよさそうなので、即決めてしまいました。

 

1カ月行きます。概ね4月いっぱいです。あとから考えたら、日本で一番良い気候の時に旅行に行くこともなかったと。でも、3月まではいろいろ長期旅行が出来ない事情があったのでしかたありません。で、「日本の四月」をミッシィングしてしまいます。次からは「もっと考えよ」って思っています。

 

 

ペナン島で一カ月、リゾート・アパートメントで暮らします。でも、航空券やなんやかやを含めて30万円くらいでした。食事は朝食しか付いていませんが、屋台で食事をすれば一食100円くらいとのことで…、まあ、良いんじゃないでしょうか。プールもあるし、プライベートビーチもありそうです。

 

という事でわたしの目的は、毎日泳ぐ、その辺をプラプラ(ジャランジャラン)する。バスに乗って、ジョージタウン(世界遺産らしい)に行く。あとは読書と囲碁と英語、そして、「何かを書く」という計画です。

 



 

23日前、髪を切ってベリーショートにしました。ペナン島と…、もうひとつの気分転換です。毎日泳ぐにはいいかなとも。バッサリ切りました。美容院で「全く変わりましたね。」と言われたので、「みんなも気がつくかなあ。」と言うと、「これで気がつかないならよっぽどだ。」と。これはどういう意味かな?「気がつかない人がよほどだ。」ということか、「わたしが気がつかれないほど、影が薄い」ということか。実際、髪形を変えてもたいていは、皆、気がつかないんです。髪型がすぐ顔に馴染んじゃうんです。

 

カット後、水曜日に囲碁クラブに行きました。誰も何も言いません。みんな50代以上の爺さん婆さんだからかな。気がついても、知らぬふりをしているのかな。そして今日、カーブス(スポーツ・クラブのようなところ)に行きました。会う人会う人、「髪、切ったんだあ」って。「可愛くなったネ」って。「若返ったネ」って。「短い方が良いよ」って。「ショート、とても似合うね」って。どうよこれ。やっぱり若い人はいいよね。キャピキャピしていて。お世辞だとわかっていても本心はどうかはわからなくても、気分良かったです。

 

 

そして、明日、棋院の囲碁教室に行きます。どんな反応があるかなあ。なかなか興味深いです。






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2015年3月22日日曜日

1985年の切り抜き記事を見つけた!


先日机の抽斗を整理していたら、新聞の古い切抜きを発見した。メチャ黄ばんでいた。一番驚いたことは、字がすごく小さいということ。こんな小さな文字を若い頃は毎日読んでいたんだなあと思うと、自分が愛おしくなった。そして次に思ったことは、昔も(1985年、昭和60年の7月5日の記事です。)今もわたしがしていることは同じで、切り抜いている記事も同じようなものだということ。記事の題名は『女性論の現在―(4)』だった。内容はその頃はやりの論客の女性論。言っていることは今とあまり変わらない。ということは、世界は全然進歩していないということか。

 
 
 
 

明治大学教授、栗本慎一郎の言;「近代の市場社会は、男性論理によって動いていると思いますよ。」(氏は経済人類学が専門だそうです。)

 

近代社会は市場原理と合理的精神を柱としている。しかし、実はこれは非普遍的なもので、近代社会では西欧と日本だけ偶然成立した社会だと言う。

 

わたしも、今の社会の原理は非普遍的なものでいつでも変わりうると思っている。資本主義は人類の最終目標でもなければ、最後の理想の社会を実現したものでもないのである。わたしがそう言うと、たいていの人は、「資本主義社会じゃなかったら、何がその代わりになるの。」と、もう資本主義社会でなければ生きていけないような様相だ。しかし、王国で君主が支配していた近代以前の社会でも、人々はその社会以外の社会を想像することはなかった。王様が支配して我々は虐げられているが、世の中とはそういうものだと、自分の運命を受け入れていたのだ。

 

しかし、「近代社会では西欧と日本だけ偶然成立した社会だ」という所には、賛成しかねる。この「市場原理と合理的精神」は、たぶん(わたしは専門家ではないので)プロテスタントの思考だと思う。だから日本は例の如く受け入れたふりをして、好き勝手に解釈して己の道を進んでいるのだ。そして、西欧と言ってもカソリックの国々は少々事情が違うような気もするがいかんや。言わずもがな中国やその他アジアの国々、アラブやアフリカ諸国は、違うスタンダードを持っている。

 

氏が言いたかったことは、非普遍的なものは男性原理、そしてそれに対して普遍的なものが女性原理ということだ。もちろん、社会が「西欧論理」で進んできたのと同様に、支配権を持つ男性の「論理」で進んできたのは明白だ。この時代は(1985年)まだ、第三世界の勢力が顕著ではなかったので、単純に「男性対女性」という二元論になってしまったのであろう。世界は、現在もっと複雑な状況になっている。まして「性」も今や、「男と女」と単純には区分できないようになってきたしね。

 

 

記事は他の論者も紹介している。評論家、青木やよひ氏である。科学と自然を対比し、文化概念としての「女性の原理」の背後に「身体=自然」のイメージを捉えている。理性優先の西欧思想が、技術的な合理主義と結びつき、自然を支配する力となった。母性機能を持つゆえに、女性は身体感覚に敏感であり、自然に深い関心をもちうる。そこに氏は、未来の可能性を見ているようだ。

 

つまり、男性は自分の身体の中に「自然」を所有し難いが、女性は「産む性」として、常に自然と共にあると言うこと。わたしもこの点に関しては同意見だ。しかし、最近思うことは、自然を自分の身体から捨て去って、どんどん身体が「人工物」に変わっていくのは、人類の進化の方向なのかもしれないと言うこと。もちろん善し悪しは別にしてだが。直近の新聞で見た記事は、iPS細胞から、人は、神経も筋肉も脳でさえも造れるようになったと伝えていた。女性が「産む」ということも、将来は「野蛮な行為」と見做されるかもしれない。「あら嫌だ。あの人自分で子供を産んだんですってよ。」なんてね。

 

また、「女性原理」と「男性原理」に言及する人たちには、他に画家・評論家の宮迫千鶴子氏、東大助教授(准教授)の横山紘一郎氏(歴史学)がいると紹介している。彼らは、これらの原理が、現実の男性・女性を体現するものではなく、両性が潜在的に秘めている両性具有的なものであると考えている。その全体的統合に、将来の可能性を探っていると記事にあった。

 

わたしの考えは、彼らに一番近いかもしれない。この混沌とした世の中、女性・男性という二元論ではもう計りきれないし、女性・男性の観点ばかりでなく、全人類の多様性を考慮しなければいけない。すべての統合に…、というか、「統合しないこと」に将来の可能性を託したい。

 

 






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2015年3月14日土曜日

ハーグ条約と2011年にわたしが出会ったアメリカ人の先生の話


次のトピックの英語クラスのためのわたしの「お題」です。先回のクラスで少々脱線して国際結婚の話が出たので、思いつきました。と言っても、大した話ではなく、2011年にわたしが出会った英語の先生の話です。

 

その頃、ちょっと病気をしていて、1年ほど外を出歩けない状態でした。で、英会話のクラスにも行けませんでした。それで、英語レッスンを再開するにあたって、プライベートレッスンを取ることにしました。その最初の先生が彼でした。しかし、とてもいい加減な先生で、5回ほどしかレッスンをしませんでした。つまり首にしたのです。その5回も、一度もまともにはレッスンの場所に現れません。

 

一回目は、セラピーを受けていたので遅れたと。「セラピーなんて高いでしょう。」と聞くと,「タダだ」ということ。国際センターで、海外から来た人は無料のセラピーを受けられるそうです。「わたしも無料でセラピーを受けたいワ。」と思ったものでした。彼のセラピーの理由は、日本人妻との離婚後で子供に会えないというものでした。

 

二回目の遅刻の理由は、イミグレーション審査に行っていたというもの。妻と離婚したので、日本の滞在資格があるかどうかの審査だそうです。つまり、滞在できるだけ稼いでいるかどうかです。彼は今のところ稼ぎが足りないということでした。

 

三回目は、レッスンのあと調停に行くので準備で少し遅れた…ということ。今まで、元妻は、週一回の子供との面会を許可していたが、これからは月一回にするということで、調停を申し立てたようです。子供はその当時は2歳の男の子と4歳の女の子でした。その他の遅刻の理由は、風邪をひいたとか花粉症の手術をしたとかいうものでした。



 

そこでハーグ条約です。ちょうどその年、国際社会は日本にハーグ条約にサインしろと圧力をかけていたのです。ずいぶん古い話で恐縮ですが、日本政府はようやく2014年4月に条約にサインしました。去年ですね。なので、このアメリカ人の先生は、自分が子供に会えないことを日本の民法が悪いのだと言っていたのです。時代遅れの法律で、僕の権利は剥奪されていると。彼は、フリーマガジンを出版していました。その雑誌に記事を載せました。Japanese Family Law Sucksという題です。とても日本に対してオフェンシヴな内容でした。その記事をメールでわたしに送って来ました。わたしにもその雑誌に記事を書けと言っていたので、送付したのでしょうが、よくそんなもの送ってきたなあ、という感想です。

 

 

ハーグ条約は、ご存知でしょうが簡単に説明しますと、インターナショナル・カップルが離婚する際、父あるいは母がこどもを連れ去って他の国に行った場合、その行った先の国が責任を持って、その親子を探し出し、元の国に送り返しそこで裁判を受けさせなければならないというものです。2011年現在で、加盟国は84カ国で、主要国ではロシアと日本が加盟していませんでした。その年1月、フランス上院で、日本に対し早期締結を求める決議が採択されました。同じくその年の9月にはアメリカでも下院で同様の決議が採択されました。

 

アメリカでは主に日本人妻が子供を日本に連れ去ることが問題になっていたのです。日本政府は条約にサインしていなかったので、その子供を探し出すことができなかったからです。妻の方にももちろん言い分はあります。夫の家庭内暴力の問題です。その上、たいていの場合、日本人妻はひとりでアメリカにいるわけですから、彼女の親の援助を受けることができません。例えば裁判所に行くにしても子供を預けるところがないとか、アメリカで暮らしていくために仕事を探さなければいけないとか(専業主婦だった場合)、人によっては言葉の問題もあります。

 

また、反対の場合もあります。日本に住んでいた外国人の夫が、突然子供を連れて消えた場合です。残された日本人妻は、政府が条約にサインしていないので同様に海外に消えた子供を探す手段がありません。双方のメリットが対立しているので日本政府も慎重になっていました。また、アメリカから子どもを連れて帰国した妻は、アメリカにもどると子供を誘拐したかどで逮捕されるという事情もありました。

 

日本の政府が躊躇していたもう一つの理由は、ハーグ条約を締結する為には国内での法整備が必要だったからです。たいていの先進国では、離婚後の親権は両親にあります。日本の民法では、どちらかに親権があるとなっています。ここが、先に書きましたアメリカ人の先生の言い分なんですね。「時代遅れの日本の民法」の由来です。アメリカでは、たとえ家庭内暴力をふるう親でも、子どもに遭う権利は保障されています。もちろん子供の安全保障と看視が条件ですが。「離婚後、両親に親権」という項目は現在どうなっているのか勉強不足ですが、とにかく、ハーグ条約は日本でも2014年にクリアーしました。

 

 

冒頭の彼は自分のフリーマガジンでこう書いています。(抜粋)

 

The current Japanese laws, or lack thereof, provide no visitation rights for divorced fathers, it’s an abhorrent and archaic system of implicit child abuse.  Divorce is messy, but there should be laws governing this process.  As it stands, if you’re a non-Japanese father in Japan, and your Japanese wife decides you can’t see your children, essentially, you can’t and the law, or lack of law, supports this.

 

Japanese men also suffer this injustice, but as far as I can tell, they don’t seem to care much.  For an example of how things are done here, see former Japanese Prime Minister Junichiro Koizumi, who in “normal” Japanese fashion, abandoned his third son who was born after his divorce from his ex wife.  Japanese divorced fathers seem happy to take the back door out of their children’s lives, or, could be they know their ex-wives have no intention of sharing child-rearing responsibilities with them.  Could be too “complicated” a situation for ex-waives to have to deal with, figuring out how to have harmonious relations with their children’s father, dealing like a rational reasonable person acting in the best interest of the children is just too much for most spurned Japanese women, kick dad to the curb, no matter how it might affect the children, it’s “easier” that way.  I suppose it’s traditional for Japanese dads to split from their children after divorce, but some traditions aren’t really cool.

 

 

彼は、日本の離婚した夫は自分の子供に会えないことに関心はないと思っているようです。この点について、その後、他の先生を調査してにみました。オーストラリア(オリジンはニュージーランド)の先生は、「父親は関心ないね。ハーグ条約なんてどうってことないよ。」と言っていました。それから、これを書いたアメリカ人の先生は、アメリカに元彼女とのあいだにできた子供(娘)を置いてきているんですからね。わたしがそのことを指摘したところ、彼は、

 

「僕たちは結婚していないんだ。そして子供は、彼女の母親の所で幸せに暮らしているよ。時々プレゼントも送っているからね。」

 

と言いました。

 

 

なんてこったい!!!







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2015年3月9日月曜日

The Bottle Imp 第3章(最終章)


いよいよこれが最後の章です。しかしその前にRobert Louis Stevensonについて少々。彼はもちろん有名な作家ですから、わたしが彼の名前を知っている事に間違いはないのですが……、なにかちょっと引っ掛かるところがあります。先回は『新アラビア夜話』について触れました。彼の著作です。それをどこかで見たという感覚があるのです。

 

で、本棚を探してみました。この本はありませんでしたが、違う本『マーカム・壜の小鬼、他五篇』という文庫本を見つけました。まさしく、『壜の小鬼』、『The Bottle Imp 』です。この本を買った時の動機を思い出しました。『新アラビア夜話』は、日本で翻訳本が出版された時えらく評判を取りました。幻想怪奇小説の大御所がそろって書評で絶賛。

 

わたしが、『マーカム・壜の小鬼、他五篇』を買った理由は、この本は7篇の短編が含まれていますが、そのうちの4編が、ホルヘ・ルイス・ボルヘスが編纂した『バベルの図書館』に含まれており、それは1989年に国書刊行会から出版されています。あの国書刊行会が出版していること、そしてその出版社の本は高価だが、今回は文庫本として岩波が出版していること。つまり、お得でしょ。なので買ったのです。

 

英語クラスの読書会としてのテキストは、英語が簡単にしてあるバージョンだと書きました。だから、文の美しさを鑑賞することはできないと。そして、今回見つけた『マーカム・壜の小鬼、他五篇』で、「壜の小鬼」をパラパラと読んでみたところ、56ページもあります。それを、テキストは10ページ程に要約してあります。簡単な上に要約です。これではもうRobert Louis Stevenson著とは言えないのでは。せめて原作はRobert Louis Stevensonとすべきだは…、と思うんですけどね。

 

例えば、KeaweKokuaに彼が幸せでない理由を告白するところを前回書きました。そして彼女の解決策は、

 

“I will save you! It is still possible to sell the bottle imp. What is the problem with one cent? In England, they have a coin called a farthing, which is worth only half a cent, and in France they have centimes, which are worth about five for one cent. We will go to French Tahiti! Kiss me, my love, and do not be afraid.”

 

わたしは「なんというエゴイストなんでしょう。」と言いました。そして、なんて単純な女なんだろうと思いました。が、原文は、日本語訳ですが、

 

「あなたは何も知らないの」と彼女は言った。「わたしはホノルルの学校で教育を受けたのよ。そこいらの娘とはちがいます。きっとあたしの愛する人を救って見せる。1セントが何だっていうの?アメリカだけが世界じゃない。イギリスには一ファージング硬貨があって、一セントの半分なのよ。ああ、でもだめ!」と彼女は叫んだ。「これじゃあ何もならない。今度は買った人が地獄行きだもの。ケアウェのように勇気のある男がいるはずはないし。でも、まだフランスがある。あそこは一サンチームという小銭があって、一セントが五サンチームかそこらになるの。これがいちばんいいわ。さあ、ケアウェ、フランス領の島へ行きましょう。すぐに船でタヒチに行きましょう。あそこに行けば、四サンチームも、三サンチームも、二サンチームも、一サンチームもある。四度も売り買いができる。わたしたち二人で売りつけましょう。さあ、わたしのケアウェ、くよくよするのはよして、キスしてちょうだい。コクアがあなたを守ってあげるわ。」

 

どうですか。コクアは単なる「ナイーヴな女の子」ではないんですよ。

 


 

では、最終章です。

 

Kokuaは、ある日、Keaweが深く嘆き苦しんで地面でのたうち回っているのを見つけ、何とかしようと決心します。そして、ひどく咳込んでいるひとりの老人に出会います。そこで、Kokuaは彼に全てを話し、助けを求めます。わたしは、あなたを騙す気はないと。KokuaKeaweから瓶を買う事は出来るが、彼は売らないだろう。だから、彼にKeaweから、瓶を買って下さいと頼みます。彼が4サンチームで買い取り、そして、Kokuaがそれを3サンチームでもう一度買い取ると。老人はかわいそうに思い、そうすると言いました。

 

彼が戻って来ました。言う通りにしたと。そして、Kokuaに言います。

 

“I have done what you asked,” he said, “and I have left your husband weeping like a small child. He will sleep well tonight.”

 

そしてKokuaは、

“Before you sell it to me,” she said, “ask the imp to take away your cough.”

 

そして老人は、

“I’m an old man, and I do not want to enter into any deals with the devil. Why do you hesitate to buy it from me?”

 

  やっと、正直な健全な人が現われましたよ。自分の悩みは自分で引き受けると。悪魔の手は借りないと。

 

老人はKokuaを哀れに思い、買い戻さなくても良いと言いますが、彼女はそんなことはできないと、きっぱり瓶を買い戻しました。家に帰るとKeaweは、すっかり元のように元気になっていました。しかし、今度は彼女の番です。彼女は、ふさぎ込んで夜も眠れないようになりました。

 

しかし、KeaweKokuaがなぜ悲しそうなのかわかりません。これでハワイに帰って幸せに暮らそうと彼女にいます。彼女は、ハワイに帰ればもう瓶を売る手立てがありません。いっそう悲しくなりました。それを見てKeaweは、怒りだします。

 

  男はどこまでも馬鹿ですねェ。

 

“What a fool that old man was to buy it from me,” he said. “I wonder what he needed it for?”

“It may have been for a good purpose,” said Kokua.

“”I don’t think so,” laughed Keawe, almost angrily. “He is a rogue, I’m sure, as well as a fool. I bought it myself, I know, when I had no hope of selling it, but I have been lucky. He will never be able to sell it now, and he will burn in hell forever.”

“My husband, is it not a terrible thing to save yourself by condemning somebody else? Instead of laughing, you should be humble.”

Keawe knew that she was right, but he did not want to admit it. “You can be sad if you like,” he said, “but a good wife should be happy with her husband.”

 

Keaweは、怒って一人で酒場に出掛けます。そこで、最終的に瓶を買うのに「ふさわしい」人が現れるんですよ。最初は、KeaweKokuaが瓶を買い戻したことを知りませんでしたので、その酒場で出会った飲んだくれの船乗りといっしょにお酒を飲んでいました。そして、お金がなくなったので家に取りに帰ります。そして、家で「例の瓶」が食器棚に納まっているのを発見します。「なんじゃこれは。」といった感じで、Keaweは、深く反省します。

 

が、その飲んだくれの男が瓶を買うというのです。「俺はもう地獄に落ちる身だ。今さらどうだっていうんだ。瓶を手に入れて、死ぬまで良い暮らしをするさ。」ってね。

 

“But the person who owns that bottle when he dies will burn in hell forever!” exclaimed Keawe.

“I’m sure I’m going there anyway,” shouted the old sailor, “and this bottle will help me to enjoy the time I have left before then.”

 

 

That’s how the Great House in Hawaii became a peaceful and happy place again.

 

チャンチャン!

 

 

最後に神をも(悪魔も)恐れぬやつが幸せなカップルを救ったということです。著者の思惑が、どれだけこのテキストに反映されているのかはわかりませんが。たいてい子供向けの小説を書いている輩は、sarcasticです。マーク・トゥエイン然り、ガリバー旅行記然り。ましてRobert Louis Stevensonは、子ども向きに書いている訳ではないので、この「神をも恐れぬ奴」が一番この矛盾だらけの世の中で生きていくのに「正しい態度」を取っていると言えるのかも。








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2015年3月7日土曜日

The Bottle Imp 第二章


ロバート・ルイス・スティーヴンソン著の『The Bottle Imp』の続きです。でもその前に、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが書いた他の本を調べてみました。『宝島』(Treasure Island )は、子供向け海洋冒険小説です。古典文学が好きでなく、怪奇・冒険・SF・推理小説ばかり読んでいたこども時代に、わたしも読んだ覚えがあります。内容は覚えておりませんが。

 

もうひとつ先回紹介した『新アラビア夜話』(原題: New Arabian Nights)があります。『アラビアンナイト』は、日本人がこども時代に読んだ海外の本の11位に入っています。それで、この本もそんなこども向けの御伽話かな…、なんて思っていたら、どうやら違うような……。

 

タイトルはスティーヴンソンが愛読していた『千夜一夜物語』(別名「アラビアンナイト」 (the Arabian Nights))に由来するのですが、主役のフロリゼル王子とジェラルディーン大佐のロンドンとパリでの活躍は、アラビアンナイトで夜のバグダッドの都をお忍びで跋扈するハールーン・アッ=ラシードと腹心の大宰相に見立てたものであるようです。なにか、アラビアンナイトを彷彿とさせる怪奇短編集。早速アマゾンで調べて買ってしまいました(英語版)。入荷は未定ですが、楽しみに待つことにしました。英語版ですから、原文がどんな文章なのかも楽しみです。ウフフッ。

 

 

第一章では、Keawe が「騙されて」瓶を買ってしまいました。その中に魔人が住んでいて、どんな望みも叶えてくれるが、自分が死ぬまでにその瓶を他の人に売り渡さなければ、死んでから地獄の業火で永久に焼かれ続けるというもの。また、その売値は、自分が買った時より安くなければなりません。Keaweはとにかく、大きな家を手に入れ、その瓶は彼の友達のLopakaの手に移ります。彼は自分の船が欲しかったのです。

 
 
 
 

では、第二章。

 

Keaweは、手に入れた豪華な家に住んで幸せに暮らしていました。ある日、友達の家に遊びに行く途中で、美しい娘を見かけました。彼は彼女に話しかけ、たちまちのうちに彼等は恋に落ちたのでした。しかしその夜彼は、自分の皮膚に何か斑点があるのに気付きます。彼は「らい病」に罹ったのでした。らい病とわかれば隔離されてしまい彼女と一緒に住むことはできません。もちろん、内緒にしてそのまま豪華な家で彼女と暮らしていくことは出来ます。が、彼は彼女を深く愛していたのです。彼女を傷つけることはできません。

 

  で、彼は、友人のLopakaに売った瓶を買い戻そうと思ったのです。つまり、彼の「無垢性」はこれで消えたのですねェ…。欲が出てきました。

 

彼は、Lopakaを探しましたが、彼は自分の船で航海に出てしまったのです。それで、Lopakaの友達で急に金持ちになったLawyerがいることを突きとめ彼に会いに行きます。彼に会うと、彼はもう瓶を売り払ってしまった後でした。そこから順番に、瓶の行方を辿るために、急に金持ちになった人を探し出し会いにいくのです。そして、ようやく瓶を所有している人物に巡り合います。

 

  考えるに、欲から瓶を買って成功した人はたくさんいたのですね。瓶を売り抜けた人々が。

 

Keawe followed the lawyer’s advice and tracked the bottle imp to later and later owners.  Everywhere he went, he met happy rich men, until at last he came to another new house, but its owner’s face was white with fear, his eyes were black from lack of sleep, and his hair was falling out.

 

Keaweが瓶を買いたいと言うと、その男はとても喜びました。しかし、その男が瓶を買ったその値段は2セント。

 

The man looked as if he was about to die when he told Keawe that he had bought it for two cents.

“Then you can only sell it for…….”

“Yes, only for one cent.”

“And whoever buys it will not be able to sell it again……”

“And must burn in hell forever!”

 

しかし、Keaweはためらわず、「愛」のために瓶を1セントで買ったのです。

 

Keawe was afraid of what he had done, but his love for Kokua was very strong and it made him happy.

 

そして、彼は家に帰りKokuaと結婚し、もちろん彼のらい病は治りました、幸せに暮らしていたのでした。しかし、彼の頭から地獄の業火のことは一時も離れませんでした。Kokuaは、彼が不幸せそうな様子であることに気が付きます。そしてそれは総て自分のせいだと思い込みます。

 

When Keawe found her crying in the house one day, he asked her what made her sad.  She explained that everybody thought that he was very happy before he married her but that now he was unhappy, and she didn’t know how she had made him so unhappy.

 

それで、彼は事情を総て彼女に話します。すると、彼女の解決策は、

 

“I will save you!  It is still possible to sell the bottle imp.  What is the problem with one cent?  In England, they have a coin called a farthing, which is worth only half a cent, and in France they have centimes, which are worth about five for one cent.  We will go to French Tahiti!  Kiss me, my love, and do not be afraid.”

 

  なんと言うエゴイズムでしょう!!!しかし、まあ、たいていの御伽話では、賢い妻が夫のピンチをその賢さ(頓智)で救うんですよね。

 

Keawe was delighted and called Kokua his gift from God.

 

早速次の日、彼等はタヒチに旅立ちます。そこで家を借りて瓶を買ってくれる人を探すことにしました。彼等はとても裕福そうに見えたので誰もが関心を持ちましたが、そんななんでも願い事を叶えてくれる瓶を「4CENTIMES」で売るとはだれも信用しませんでした。それで、Keaweが最後の真実を彼らに告げると、もう誰も相手にしませんでした。彼等は売る相手を見つけることができず、ふたり沈黙のうちに惨めさに浸ります。

 

第二章は完。第三章につづく。

 

  世の中そんなに上手くは行かないということですね。つまり、全ての人が欲張りではないっていうこと。タヒチの人は、より道徳的で信仰心の篤い人たちだったのでしょう。なにか示唆的だなあ。「正直の頭に神宿る」かあ。そして正直者は貧乏なんだよね。

 

After a while, nobody wanted to speak to them, claiming they had an agreement with the devil.  They sat together in silence at night, each as miserable as the other.

 

 

次回につづく~~~。








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2015年3月5日木曜日

『The Bottle Imp 』  Robert Louis Stevenson著


今回の英語読書会クラスの作品は、The Bottle Imp です。Robert Louis Stevensonが著者です。有名なところでは『宝島』とか『新・アラビアン夜話』。今回のお話は、子供向けの御伽話のよう。「瓶の中の魔人」のお話。話が単純なのは問題ありませんが、今回のテキストはオックスフォード版の「簡単な英語」に直してあるものなのです。内容が簡単でも、文章が華麗なら詩的ならあるいはゴージャスなら、観賞できるというものでしょうが……。

 

お当番の人が、簡単な文章にしてあるオックスフォード版を選んでいるのです。次のクラスでは、少々角が立ってもそこのところをお話しするつもりです。次回は先生が変わり始めての方なので、「この程度の英語で良い」と勘違いされてそのまま進んでいくとせっかくの読書クラスの甲斐がないというものです。

 

とは言え、トピックになりそうな4つのポイントを捻り出しました。

 
 
 
 

主人公の名前はKeaweです。ハワイに住んでいるとあるので、ハワイの人(原住民)なのでしょう。彼は船乗りでサンフランシスコ――ハワイ間の船に乗っています。そのサンフランシスコで、題名の魔人の入った瓶を手に入れたという訳。

 

サンフランシスコで素敵な家を見たKeaweは、その家の主人に招きいれられて素敵な家の中を見学することができました。こんな素敵な家を持っている老人が浮かない顔をしているので「なぜか?」と訊ねます。すると老人は「こんな家など君にも手に入るよ。もし、この瓶を僕から買ったらね。しかし、それには問題があるのだ」という返事。

 

“You could have a house just like this,” said the old man, “if you buy this bottle from me. Do you have any money?”

 

Keaweは、50ドル持っていました。老人はそれで充分と言います。老人は説明します。「瓶の中には魔人が住んでいる。その魔人はどんな望みも叶えてくれる。」と。それでは、なぜその老人はその瓶を売るのか……、それは、死ぬ前にその瓶を誰かに売らなければ、死後に地獄の業火で永久に燃やし続けられるのだ。

 

“I am old, and I have everything I want.  The only thing that the imp cannot do is make your life longer; and I must also tell you that if you die before you sell it, you will burn in hell forever.”

 

この話にはもうひとつ裏がありました。それは、自分が死ぬ前にこの瓶を売り払わないと、地獄の業火に永久に焼き尽くされることになるが、瓶を売る時の瓶の価格は、自分が買うために払った料金より少ない値段でなくてはいけません。

 

 

  そこで、一つ目のポイントは、Keaweは、騙されてこの瓶を買ってしまったのです。

 

“You can try it. But it from me for fifty dollars and ask the imp to put your fifty dollars back in your pocket.  If it doesn’t happen, I will give you the money back.”

 

Keawe agreed to try.  He gave the man his fifty dollars and asked the imp to put the money back in his pocket. It worked.  “That’s very good,” said Keawe, “but that is enough for me. I don’t want it.”

 

“I’m sorry.  You bought it from me for less than I paid for it, so it is yours now, and I don’t want to see you again. Goodbye.”

 

つまりKeaweは、欲得尽くでこの瓶を買ったのではないということ。御伽話で言えば良い人なので、最後には幸せになりますよ、きっと。

 

 

瓶を買ってしまったKeaweは、心配になってしまいました。同じ船乗りでサンフランシスコもいっしょに航海してきた友人のLopakaが、話を聞いてKeaweに言いました。それでは、君が何か望みを叶えてもらったら、その後僕がそれを買うよ。僕は船が欲しいからと。Keaweは、ハワイに友達や親戚といっしょに暮らせる家が欲しかったのでそうすることにしました。

 

しかし、ハワイに帰りつくと叔父が亡くなっていました。そしてその叔父は遺産として大きな家をKeaweに残しました。結局彼は、家は手に入れたのでした。それで、Lopakaが瓶を買うことになりましたが、その前にほんとうに魔人が存在するのか、魔人に二人の前に現れるように唱えます。魔人は現われました。が、二人はその事実に慄きます。そこで、Lopakaは、Keaweに言います。「僕はこの瓶を買うけど、船を手に入れたらすぐに他の人に売ってしまうよ。」と。

 

Keawe was curious to see it as well, so he asked the imp to show itself to them.  As soon as he said it, the imp came out of the bottle, just for one second, and then went back in again.  Keawe and Lopaka sat like stones for many hours, and then Lopaka gave Keawe the money and took the bottle.

 

“I’ll get a ship and some money, and then I’ll sell it, because seeing the imp has made me very afraid of it,” he said.

 

 

これで第1章はお終しまいです。Lopakaは、自分の欲で瓶を買いました。彼の運命はいかに~~~。

 

 

続きは、後日書きます。

 






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