『The Dwarf』の英語クラスが無事終了いたしました。しかしながらやはりこの短編は皆さんには受けませんでした。理解不能の御様子。さらに御不快な御様子でした。彼女たちは、ハッピーエンドのお話しか読みたくないのです。ところがこの私は、ハッピーエンドのお話が大嫌いです。幸せなお話なんて、メチャ単純でしょう。また、不幸があるから幸福が存在するのであって、「幸福」は単独では存在し得ませんよ。つまり、幸福ばかりの人生なんてあり得ないという事です。
クラスのひとりは、どんな話でも「性愛」に関連付けます。男が女に会ったら、あるいは逆でも、彼女はすぐに恋愛関係だと決めつけます。今回の『The Dwarf』でも、エイミーがラルフに促されてドワーフを見るのですが、彼女は「エイミーはドワーフに恋したんだ。」って言うのです。また、ドワーフの方も、チケット売り場のカウンターで、彼は、彼女を見上げるのですが、「ドワーフはこれが初恋なんだね。」って言うのです。わたしは、いつも自分の小さなアパートの一室に閉じ籠もっているドワーフが、彼にとっては巨人のような彼女を見上げた時は、恐れ慄いたと思います。「scared」ですね。
ドワーフが書いた小説をエイミーがラルフに読んで聞かせる場面があります。小説の主人公は、またドワーフなのです。彼がどのような惨めな状況にあって殺人者にならなければいけなかったかの経緯が書かれているところですが、
“I am a dwarf and I am a murderer. The two
things cannot be separated. One is the cause of the other.
“The man I murdered used to stop me on the
street when I was twenty-one, pick me up in his arms, kiss my brow, croon
wildly to me, sing Rock-a-bye Baby, haul me into meat markets, toss me on the
scales and cry, “Watch it. Don’t weigh your thumb, there, butcher!”
“Do you see how our lives moved toward
murder? This fool, this persecutor of mu flesh and soul! ―――
このドワーフの感情の爆発に、彼女は、「ドワーフはゲイなんだね。男とキスしてる。」って。これには先生もずっこけました。
この先生までも、ラルフが鏡の位置を変えて、ドワーフを恐怖のどん底に陥れたのは、彼が退屈していたからだと言うのです。「お客が誰も来ないから退屈しのぎにいたずらしたんだ。」って。わたしもずっこけました。また、皆さんは「この作家はなんでこんな小説を書いたんだ。」って言うのです。意味がないって。先生もです。
で、このように言いました。
I think it includes three points.
There are people who make fun of weak people.
And, there are people who try to help weak people. But it doesn't work.
The last, there are people who are always always tormented. They are like a scapegoat to meke other people happy.
皆さんが同意されたかどうかはわかりません。でも、「心を広く持って、決して傲慢になってはいけない」というのが、今日この頃のわたしの戒め。「わたしの意見がいつも正しいとは限らない。ひとはそれぞれ意見を持つ権利がある。わたしの意見がスタンダードではない。」と唱えつつ、クラスを無事終えました。
で、このように言いました。
I think it includes three points.
There are people who make fun of weak people.
And, there are people who try to help weak people. But it doesn't work.
The last, there are people who are always always tormented. They are like a scapegoat to meke other people happy.
皆さんが同意されたかどうかはわかりません。でも、「心を広く持って、決して傲慢になってはいけない」というのが、今日この頃のわたしの戒め。「わたしの意見がいつも正しいとは限らない。ひとはそれぞれ意見を持つ権利がある。わたしの意見がスタンダードではない。」と唱えつつ、クラスを無事終えました。
話は変わって、つい2~3日前小説を読み終えました。『蝿の王』です。ピンチャー・マーティン作。わたしはこの本を1977年に買いました。彼は、イギリス人ですがアメリカでこの本がベストセラーになりました。サリンジャーの二代目という位置づけです。つまり、青春時代に誰でも読む小説という意味。アメリカの大学生は皆この本を抱えてキャンパスを歩き回っているという触れ込み。ミーハーなわたしは、即飛びついたのでした。その頃ちゃんと終わりまで読んだかどうか定かではありませんが、今回は読み通しました。興味深かったです。また、機会があれば感想をUPしたいと思います。
もうひとつ、昨日買った本のこと。『骨が語る日本人の歴史』です。歴史学者の中では、古代日本には縄文人と弥生人がいたというのが定説です。著者は骨考古学者の片山一道さん。彼は、発掘された骨をもとに研究し「日本には縄文人とか弥生人とかいう人はいなかった」と言っています。そこに興味を魅かれてこの本を買いました。が、まだ読んでいません。目次だけチラチラと眺めました。とてもおもしろそう。
最後の方に『「司馬史観」に物申す』という項目があります。司馬遼太郎を尊敬している我が兄と一戦交えそうな予感がする。というか、彼に逆らう手段が一つ増えそう……。
(屈折してるネ)
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