人類は今までいろいろなストラタジーを駆使して繁栄を続けてきたわけですが・・・、
生物としての繁栄の道の対極にいます。つまり自らのDNAの繁栄を捨てて、「人類」そのものの繁栄を願っています。
しかし、ここに至って、・・・、たぶん、正しかったのかなあ~、と言う感慨です。
わたしの直感では、ヒトは社会的動物・・・、アリとかハチのような社会。で、彼等は、自らのDNAの繁栄のために日々努力しています。つまり、アリやハチは、女王アリやハチのDNAを残すために、日々他のありやはちを攻撃しています。が、ヒトは、自らのDNAに関係なく人類のみの繁栄に腐心ています。
そこで、アリやハチの奉仕している女王は、人類にとって、今、何かと考えると、AIではないでしょうか。まったく恣意性のないAIを中心に添えることによって、人類は、究極の感情のない、つまり、アリとかハチのような平板な繁栄を迎えるのではないでしょうか。
しかし、AIは、人のプラグラミングの干渉を受けています。なので、そこをクリアしなければいけません。人の干渉を受けないAIが必要です。『竹宮惠子の『テラヘ』のように。そして、そこで人類のAIへの反撃を阻止して、AIを受け入れ静かな、牧場の牛のような世界を地球上に実現できるなら、それこそ人類の「幸せ」ではないのでしょうか。
そんな世界に向かっているような気がするなあ。先進国では、という条件で。
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2016年7月31日日曜日
2016年7月28日木曜日
ロボット・パンツ
今日の朝日新聞からのニュースです。信州大学繊維学部と東京都立産業技術研究センターがズボンのようにはいて装着して歩行を助ける「ロボティックウェア」を開発しました。
これまでも筑波大学の山海教授が開発したロボットスーツHALがありました。昨年の11月に日本でも正式に医療用機器として認められ、歩行が困難な人の補助器具やリハビリ用の器機として医療機関に採り入れられています。
今回は、その種のロボットの汎用化のようです。「装着3分、ズボン型ロボット」というわけ。今までもものは「硬い骨格」のような付け心地で、身体をねじるなどの自由な動きが難しかったのです。ロボティックウェアは、ズボンにモーターによる小型装置を付けたもののように見られます。股関節とひざ関節の計4カ所に面ファスナーとサポーターのようなゴムでそれら装置を固定します。そしてズボンのように穿くだけで、装着完了という次第。
用途は同じく、足に麻痺のある人のリハビリや高齢者の介護をする人の負担軽減です。開発チームは「装着しやすく、在宅でも使える。より小型にして早い製品化を目指したい。」と話しています。2年後の製品化を目途としています。
いかがですか。夢のような話ですね。川崎重工やパナソニックなどがこれまでもこのようなロボット型スーツを配送現場や高齢化の波が押し寄せる農業の現場にリースでの貸出しをしている現状があります。そのもっと簡易型または価格が安価となると、高齢者が自宅でも穿くことによって日常を快適に暮らせそう。
また反対に、力仕事の現場などに配置されたりすると、過重労働の種にもなりそうですね。力をアシストされることによって、長時間働かされそうな予感。まあそんな「ひねくれた」考えは止しにして、素直に科学の発展を喜びましょう。
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2016年7月24日日曜日
「ことば」化
朝日新聞で『いま、子どもたちは』という特集記事が連載されています。その中で興味深かったのは、ある女の子のお話でした。彼女は罪を犯して更生施設に入っています。たいていの子どもたちは初め独居房で暮らしますが、すぐに落ち着きを取り戻し、皆と共同生活が出来るようになります。しかし、彼女は反抗的な態度が抜けきらず、なかなか共同生活に至りませんでした。
ようやく、そこから開放されて皆と一緒になると、自分よりあとに入って来た人が何かの係に就いていました。更生した人から何かの係に就けるのです。そこで、彼女は怒りに駆られて、また、暴れて泣きだしてしまいます。
スタッフがどうして「泣いているのか」とたずねても彼女は自分がなぜ泣いているのかがわかりません。感情を表すことばを知らなかったのです。知っている言葉は「ウザい」とか「うるせえ」とか単純な「悲しい」とかいう言葉のみ。スタッフは彼女が言葉を紡ぎ出すのを気長に待ちました。そして彼女が自分の感情をことばで表わせるようになった時、彼女の「怒り」も消えました。
わたしも何かを悩んでいるとき、何を悩んでいるのかことばで表わそうと試みます。自分が何を悩んでいるのかを「文字化」出来たら、悩みの90%は解決したも同然です。語彙力は重要です。
以前、『キレる若者』という特集記事がありました。その時も自分の感情を言葉に表すことが出来ず、イライラしてキレるのだとありました。ちょうどその頃エジプトに旅行しました。ツアーですが。そこで、自分の感情を表現できないと「おとなもキレる」と感じました。帰りの空港のショップで買い物をしていた日本人のおばさんがレジで言葉が通じず、キレているのを目撃したからです。彼女の後ろにわたしは並んでいましたので、どうしたのかと助け船を出したところ、私の方は一切見ずに「買ってないものを袋にいれている。」と叫びました。そして、買った物も全部いらないと言うので、「彼女はすべてキャンセルすると言っています。」とレジの人に言うと、「そうキャンセル、キャンセル。」と怒鳴って、去っていきました。
そんな訳で、ヒトは言葉で感情を表わさなければ生きていけないのだと。それは何故だろうかと。思うに、ヒトは生きる上で「ヒト一人」で完結していないからではと。特に都市生活者は。もちろん動物もある種の言葉を持っています。餌があるとか敵が来たとかを仲間に知らせる記号みたいなものです。しかし、ヒトはそれ以上に自分の感情を仲間に知らせなければいけない。人と人は支え合ってしか生きられなくなっているからです。わたしはこれをするからあなたはこれをしてと。
道徳的なことを言っているのではありません。わたしの疑問は「なぜ人はひとりで生きられなくなってしまったのだろうか」ということ。自然のままに、ひとり餌を探し求め、見つけたら食べ、見つけられなかったらお腹をすかして夜を過ごす。そうやって、ひとり自由に暮らしていける道はなかったんでしょうかねえ。
文明、社会、支配、国家、etc.etc.の中で、葛藤しつつ生きて行くんですねえ。
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2016年7月17日日曜日
本を買いました。
本は、月4~5冊は買っていましたが、最近あまり買わなくなりました。ひとつには、囲碁に夢中で本を読む気にならないためです。囲碁以外の本の事ですが。もうひとつは、小説に食傷気味だからです。あまり感動を得られなくなりました。歳のせいかなあ…。
しかし、囲碁ばかりに夢中になっていると煮詰まって来ます。そんな時、「何か面白い本が読みたいなあ~。」となります。この1週間くらいの内に、面白そうな本の広告を立て続けに見ました。
白水社の『ポーランドのボクサー』は、――ラテンアメリカ文学の新世代として国際的な注目を集めるグアテマラ出身の鬼才、初の日本オリジナル短編集――という触れ込みです。ラテンアメリカ文学と言われると…、興味あるなあ。その横には、『魔法の夜』――月の光でお読みください。夏の夜更け、町中をさまよう人々が交叉し、屋根裏部屋の人形たちが目を覚ます…作家の神髄が凝縮された小宇宙!――とあります。もうひとつ『記憶の未来』――現代社会を覆う<記憶喪失>に抗して。孤高の巨人による幻の名著、本邦初訳。――と。なにかワクワクするでしょ。
次の広告は、国書刊行会のものです。『日本幻想文学集成全9巻』です。初回第一巻は、『幻戯の時空』。安部公房、倉橋由美子、中井英夫、日影丈吉とあります。メンバーを見ただけでワクワクします。第二巻からも錚々たる顔ぶれでした。「隔月刊、全巻予約受付中」のようです。同じくその隣に「ドーキー・アーカイヴ全10巻」と。――幻想・怪奇・奇想・ホラー・SF・ミステリー・自伝などジャンル、年代を問わず本邦初訳作を中心に紹介する新海外文学シリーズ――今こそ評価されるべき知られざる傑作群!!とありました。唸ってしまうくらいの、垂涎ものです。
もうひとつは、「山と渓谷社」とありましたが、今まで聞いたことのない出版社です。『山怪』――山人が語る不思議な話、新たな遠野物語の誕生と話題の書!――とか。著者が山で暮らす人々から実話として聞いた、奇妙で恐ろしい山の体験談を集めた本のようです。
というわけで、金曜日にまとめてアマゾンで調べてみました。本屋さんには悪いですが、ホントこの頃は便利になりましたね。本屋さんでいろいろ物色しながら本を選ぶのも楽しいことではありますが、私の欲しい本は、たいてい店頭には置いてないのです。結局は注文して買わなければいけないのです。ですから、アマゾンで買えればこの上なしです。
鬱陶しいこともあります。それは、かってに「わたしの好みの本」などと、宣伝してくること。また、「プレミアム会員になれば送料無料。今登録すれば会費なしで1カ月送料無料」という画面が毎回出てくることです。まあ、金曜日に注文した本が、今日届くのだからそのくらいのことは、大目に見ましょうかネ。
検索した結果として、どの本も興味はあるが…、どうかなあということで、他の本に寄り道した結果、全然関係のない『縄文人の世界観』という本を買ってしまいました。先ほど配達された次第です。今までの考古学のジャンルを離れ、縄文時代の土器などから「シンボリズムとレトリック」を鍵に縄文人の思考方法を解き明かす。――だそうです。
『日本幻想文学集成』はとても興味はあるのですが、1冊5000円もするのです。全9巻も買えないなあ、と。徐々に出版されたら、そのうちの1冊くらいは買いたいなあと思っている感じです。
今のところは、「縄文人の思考方法」って、と、興味津々です。
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2016年7月8日金曜日
『飼育』 大江健三郎著
大江健三郎氏初期短編集の3作目の短編です。昭和33年に書かれた作品で、大江健三郎しは、これで芥川賞を受賞しました。
簡単に粗筋を書きますと、第2次世界大戦の頃、田舎に住む少年の村に、米軍機が落ちてきます。3人の乗組員のうち黒人兵ひとりのみがパラショートで脱出し、生き延びます。村人たちは山狩りをし、黒人兵を確保します。村の代表が町役場まで出かけそのことを報告しますが、町の役人たちは責任逃れで、結論はでません。少年の父親は猟師ですが同時に村の実力者です。彼が、その黒人兵を町役場の結論が出るまで「飼う」ことになります。
少年の家の地下倉で彼は飼われることになりました。少年が食事を運んだりと彼の世話を引き受けることに。町役場の方は、町の役場と駐在だけでは、捕虜をどのようにしたらよいか判断できないので、県庁の結論を待つと。県庁が結論を出すまで、村で黒人兵を預かっておくようにということ。
こうして、少年とあるいは村人と黒人兵の交流が始まります。交流と言っても黒人兵は家畜のようにただ養われるだけでしたが。しかし、ここで興味深いのは、捕虜が黒人であったということ。村人の白人に対する感情と黒人に対する感情は、違ったものであると言う事実です。つまり、彼らは黒人を見下していたので、かえって彼に対しての親しみが生みだされたのでしょう。
県庁の結論が出る日が来ました。黒人兵を県に引き渡すというものです。しかし、県は護送する為の兵は出せないので、村人が捕虜を県庁まで連れてくるようにと。その村人たちの動揺に黒人兵が反応し、彼は少年を人質に地下倉に閉じ籠もります。少年は、今まで親しく付き合っていた彼に捕虜にされたことに、怒り、屈辱、裏切られた苛立たしい哀しみ、恐怖に包まれます。
村人たちは、地下倉に続く揚蓋を砕く作業を進めます。追いつめられた黒人兵は、凶暴さを見せ始め、少年の首に手を掛けます。彼が少年の首を絞め始めた時、少年の父親が揚蓋を鉈で打ち破り、黒人兵の頭めがけて、鉈を振り下ろします。黒人兵は、少年の左腕を掴み自分の頭の上に、鉈を避けるために。父親の鉈は振り下ろされ、黒人の頭を砕きました。少年の左腕とともに。
というところで、わたしの感想は(内容とは関係ありませんが)、「戦争」です。以前UPした、ブレヒトの『アンティゴネ』も第2次世界大戦を過ごしたブレヒトが、その思いをギリシャ悲劇『アンティゴネ』で表現していました。大江健三郎も戦争を過ごしてきました。つまり、あの頃の作家(あるいは芸術家)は、戦争というものを無視できなかったのです。戦争を抜きにして何かを表現することは出来なかった…。
芸術は「今」何を表現するのか。人間性を失いつつある「人の精神」の葛藤か。小説はリアリズムを失ってしまったと言われています。リアリズム小説でまだ感動を与えられるのは、ラテンアメリカ文学の「マジックリアリズム」のみと。しかしそれは、南アメリカにはまだ、表現するに足りるリアリズム社会が残っているからだと思います。アマゾンの源流には、自然とともに暮す人々がいる。また、そのほんの隣に文明社会が存在する。その混在一体感が、小説のリアリズムとなり得ます。
また、現代の中国文学も興味深いリアリズム小説となっていると思います。それは、中国の田舎の自然と都会の超近代化の混在かも。『愉楽』は面白かったです。西欧諸国の倦み疲れた病んだ社会の小説より、これからまだまだアフリカ諸国とかアジアの小説などが活躍しそうな…、と思いました。
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2016年7月3日日曜日
遺伝子の編集
最近しばしば見かけるニュースです――「遺伝子の編集」。7月1日の朝日新聞では、霊長類ではじめて成功とありました。動物中央研究所や慶応大のチームが、小型のサル「コモンマーモセット」の特定の遺伝子の働きをゲノム編集技術を使って失わせることに成功しました。
マウスでは遺伝子の働きを失わせる方法が確立されているそうですが、ヒトにより近い実験動物のコモンマーモセットでは、今まではできませんでした。コモンマーモセットの受精卵の免疫にかかわる遺伝子を破壊し、子宮に移植したところ、誕生した9匹のうち8匹が免疫不全となりました。そこから精子を採集したところ、その遺伝子の改変が確認され、次世代に受け継がれる可能性が示されました。
その他、6月16日のニュースでは、ヒトのDNAをすべて合成することをめざす計画を米国の著名な25人の研究者が連名で発表したとあります。また、6月23日のニュースでは、アメリカの2人の女性研究者が注目を集めていると伝えています。彼女達は、2012年、何億文字もあるDNA暗号の、任意の文字列をピンポイントで採り出す技術を確立しました。しかし、彼女達がヒトの細胞にも使えるという論文を発表しようとしたところ、その数週間前に若手中国系研究者が同じ事を発表し、2014年にゲノム編集技術の特許を獲得したと言います。今、紛争中の模様。
そして、今日のニュースです。「ゲノム編集・源流に日本」と。なにやら、日本ではすでに30年前にそのことを発見していたとか。実用化では他の国に遅れを取っていますが、「国内勢巻き返し」の文字が躍っています。どの国がノーベル賞をとるかのレースのようです。
ニュースでは、「デザイナーベビー」の恐れ・問題も指摘していますが、概ね肯定的な調子です。どんどん恐ろしい世界になっていきますね。将来的には「ヒトに近い生物」を作り出すことも可能だとか。そして、ヒトに効く薬などの研究に役立てるそうです。どうですか。
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