栄枯盛衰は世の習い…、と申します。この度のアメリカの大統領選を傍観していると、そんな気になりますね。イギリスでの産業革命以来、英語圏の勢力が地球を覆っていましたが、その200年余の歴史もそろそろ陰りが見えてきたかと。
慶応大学教授・渡辺靖氏の「オバマとは何だったか」という寄稿文を朝日新聞に見つけました。オバマ大統領の意味を語ったものですが、結論から言うと「米大統領が辛うじて(世界で)輝きを放っていた最後の時代。それがオバマ時代だったのではないか。」と言うもの。
渡辺氏によりますと、理想主義と現実主義という二項対立の昇華にこそ「オバマイズム」の本質と真骨頂があった気がする…と。理想なき現実主義も、現実なき理想主義も不毛であるという信念をオバマ氏は持っていたということ。「世界には悪は存在する。時には武力は必要である。」との言。あるいは、再生エネルギー問題に対しても単なる理想的な「環境運動」としてではなく、産業競争力や国家安全保障のためという現実主義者としての側面を同時に強調したということ。
また、アフリカ系としてのはじめての大統領で、就任演説で無宗教者の尊厳を擁護し、米大統領ではじめて同性婚支持を表明しました。「白人やキリスト教徒の比率の低下、人口構成や価値観が多様化する米社会を象徴する」と渡辺氏は述べています。
オバマ氏は、「米国は世界の警察ではない」と公言し、第2次世界大戦以降の米国の態度を修正しました。また、米国が係わった戦争や対立などの重い過去に向き合い和解を試みてもいます。被爆地広島の訪問やキューバやアルゼンチン、イラン、ミャンマー、ベトナム、ラオスとの歴史的関係改善に取り組んだこと等などからです。
中東の問題やIS(イスラム国)の台頭などをオバマ氏の弱腰外交の所為にする向きもありますが、それは、我々(アメリカ以外の国)の方こそ「アメリカが世界の警察である」とのイメージを払拭できないからではないかと渡辺氏は言います。
つまり、もう我々は世界情勢の不和を米国一国の所為にはできなし、米国が解決してくれると傍観していてはならないのです。そんな時代が来ているということです。これから益々米大統領や米国の裁量の余地は制約されていきます。米国パワーの衰退という事です。群雄割拠の時代…、Gゼロの時代…。どんな時代が来るのでしょうか。
そうそう、麻生太郎副総理も、
何となく不思議な不動産屋さんが(大統領に)なるか、何となくメール問題のおばさんがなるか、不幸な選択、どっちみち選ばないかんという話をみんな言います。そばで見ていてブンヤ(=新聞記者)はいよいよ面白いでしょうけれども、(米大統領と)付き合わなきゃいかんこっちは「結構しんどいなぁ」と思っておかなきゃいかん。その覚悟はしとかないかんですよ。
と、自民党国会議員のパーティーでおっしゃっていたそうです。
もう米国の顔色を窺う時代ではなくなったということでしょうかあ。
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