2016年11月27日日曜日

ミサンドリーとは…


今週のブックレビューではなく先週のもので旧聞ですが、興味深い本を見つけました。『広がるミサンドリー ――― ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別』という本です。

 

先ず、「ミサンドリー」という言葉です。わたしは始めて聞きました。「ミソジニー」は、女性嫌悪あるいは女性蔑視ということ。その反対がミサンドリーという事だそうです。つまり、男性嫌悪または男性蔑視。

 

生まれながらのフェミニストと称している私としては、「女性はこうあるべき」という役割分担からの女性差別があれば、その反対の「男性はこうあるべき」という差別もあるだろうと長年主張しておりました。だから、女性対男性の対立軸ではなく、全ての人が「こうあるべき」という呪文から逃れなければならないと。




 

で、この本です。著者は、「ミソジニーは何十年も研究され、真剣に受け止められている。その一方でミサンドリーは何十年も無視されたち軽視されてきた。」と述べているそうです。(相変らず、実際に本は読んでいないので。)。

 

女性差別の方は、1990年代までに大いに是正されてきたそうです。日本ではまだでありますが。しかし、少なくとも新聞やTVなどのメディアでは、「女は家庭を守れ」などというナンセンスは排除されてきました。国会でも、まあ、表面的には女性差別の言葉は、訂正を求められます。自民党議員の本音は、ちょくちょく聞かれますが。

 

それに引きかえ「男性はどうなのか」というのが、この本の主張です。その例をカナダやアメリカのポップカルチャーから引いているのです。例えば、「笑われる男性」。今や、黒人やユダヤ人、女性など特定の集団を笑いものにすることは、コメディでもありません。が、男性は未だに「笑いもの」にされている。マッチョな男、無能な男、下品な男……。

 

そうですね~、「なんて男はバカなんだ。」なんて、笑い転げていますね。男は強い立場なのだから、笑いものにしても良い、なんて理論は通用しないと思います。現に「強い男」、権力を持った男などは、ほんの一握りの存在です。

 

被害妄想じゃないのか…、という意見もありそうですが、女性差別の場合もそういう考えに翻弄されてきたのです。女性だけが家事をするのはおかしいなどと意見を言うと、ひがんでるんじゃないかとか、もてない女の言い草だとか、よく言われたものでした。もうひとつ、「男性は、男なら潔く黙って耐える、ということを求められる。」と。

 

研究はスタートしたばかりだそうですが、なぜ今まで見過ごされていたのだろうと不思議に思いました。訳者の方が、日本のミサンドリーの例として、『ワンピース』、宮崎駿のアニメ作品、手塚治虫作品を上げているそうです。女性の場合も、古典小説から現代小説まで、女性がどのように扱われているかの研究は進んでいます。よれによりますと、ほとんどすべての小説は書き直されなければなりません。

 

まあ、社会的にそれが「差別である」との認識が得られれば、「差別発言をする人物」としての役割で、小説中では差別用語も生き残れるでしょう…、と思います。








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