2018年6月1日金曜日

6月1日です。

ちょっと、ブログUPをサボっている間に、6月になってしまいましたねえ。

今まで、月に8回のUP目標が、囲碁の趣味が増えてから、月に4回になってしまいました。それが、この頃では、それさえ守れないように……。

今日は、今日の新聞から。

今までも取り上げていた『折々のことば』からです。

クラシック音楽の作曲家、指揮者の「武満徹」さんの言葉です。

人間の発音行為が全身によってなされずに、観念の嘴(くちばし)よってひょいとなされるようになってからは、音楽も詩も、みなつまらぬものに…

声を出そうとする行為は、肉体の挙動のひとつだと、彼は言っています。

わたしが、感じるところ、それが口先だけの発話になって、その語る意味も希薄になった……、というような事かと。」

彼が言うところ、

発話(これは私の言葉ですが)は、ため息や叫びと同じく「意味が言葉の容量を超える時に起こる運動」と。そして、それは時に、「論理性を断ち切り」もする。








わたしが言いたいことは、

日本語って、話し言葉ではなく「書き言葉」だよねー、という事。しゃべるときに、文字で話しているのではという事。

日本の小学校では、日本語の発音方法を教えていない。読む(音読ではない)事を重視。だから、英語とか中国語、その他の言語の習得の時につまずいてしまうのだ。彼等の方も、日本語の発音に注意を払っていない日本人の発音に戸惑ってしまっている。「何故、同じ単語で違う発音なの?」と。


なんでも、受け入れる日本語は、それなりにマスターしやすいとも言えそうですが。











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