安部公房は大好きな作家で、若い時分からよく読んでいました。彼が亡くなって、未発表の短編集が出版され、即買いましたが、未だ読んでいません。もう彼の新作は出版されないと思うとさみしい…。
彼の本を何冊持っているのかと本棚を見てみると、11冊ありました。2冊は英訳されたものなので、勘定に入れない方が良いかな。残りの9冊で、一番最近読んだものは『砂の女』です。蟻地獄のような砂の家に閉じ込められて、世話をやく女をあてがわれた男が、脱出しようと試みるが、脱出できる最後の瞬間に外に出る勇気が湧かない、あるいは「閉じ込められた空間」に安らぎを覚えるという、「感動的な」物語でした。
と言うものの、情けないことに他の本の内容はあまり覚えていません。そこで、一番古い本からもう一度読み直すことにしました。昨日から『第四間氷期』を読み始めて、今朝読み終えました。この作品は、1958年に出筆されたもののようで、わたしは、1970年に文庫本になってから買ったらしいです。高校生の時に読んだみたいなの…。
ずいぶん昔に世に出た本ですが、現在の世界にとてもリンクしていることに驚きました。それは、今話題のAI(アーティフィシャル・インテリジェンス)や世界の温暖化のようなことです。そしてまた、今受けている英語のプライベートレッスンのクラスともリンクしました。
円城塔の『Self-Reference Engine』から始まって、『自由か、さもなくば幸福か? 二一世紀の<あり得べき社会>を問う』と続いた「AIは人間の知性を超えるのか」という問題です。さらに次回は先生がトピックを持ってくる番で、彼はBBCニュースの『Should we fear the robots of the
future?』を選び、メールでリンク先を送って来ました。興味のある方は、こちら…
来週話しあいます。
MITが編集出版している長く続いている科学雑誌があるのですが、2011年に有名なSF作家達に依頼して、未来のテクノロジーとそれがどのようにわたしたちの生活に実現あるいは役立っていくかということを書いてもらいました。つまり、SF小説は我々が現実に手に入れる前に、新しいテクノロジーを小説の中で実現しているからです。予言ですか(?)。
つい最近読んだ新聞記事でも指摘されていましたが、2050年までにはAIは人間の知能を超えるということです。この雑誌の中でもそのようなことが指摘されている模様。
BBCの記事では、このように書かれています。
Meanwhile, some futurologists—notably the
American Ray Kurzweil—are busy predicting that moment out in the 2050s when
artificial intelligence might—they argue—at last outstrip its human
counterpart, and then go on getting better.
または、
“When we have machines that are as
intelligent—and then twice as intelligent as we are,” says Mr. Sawyer, “there
is no reason why that relationship cannot be synergistic rather than
antagonistic.” He adds that the single
biggest flaw with people being fearful of future clever computers or robots “is
the idea that a superfast, super powerful intelligence that is not human will share
human rapaciousness.”
しかし、わたしは例えAIあるいはロボットが人間以上の知能を持つ存在になっても恐れることはないと思っています。なぜなら、ロボットこそ人間の次の段階の進化だと思うからです。(もちろんそれを望む人々の)。人間は自然に無いものを作り出して進化してきた。そして、自然に自らの運命を握られていることに我慢できないようです。ヒトの「高貴な魂」は、肉体(自然)に囚われているのです。そこから逃げ出す道が、ロボットということ。究極の人工による人間のための「人間」です。
そして、話は元に戻って、このことが安部公房の『第四間氷期』とリンクしているのです。1958年にこの作品が書かれたなんて感動的!
先進国は人工知能を作り出した。もちろん日本も。で、それに何をさせたらいいのかわからない。予算を得るために何かをさせなければならない。そして、未来を予知させることにした。そこに、なぞの団体が絡んできます。彼らは胎児の段階で哺乳動物を処理し、水棲哺乳類を作り出しました。もちろん人間も。(しかし、日本の組織なので日本人だけ。興味あるわあ。)。そして、その未来の姿を見極めたくて、この人工知能に接触してくるの。
この本の題名通り、第四間氷期が終わるのです。世界は、水没します。これは、人工知能が予測した未来の世界ですが。そこで、人間は水棲人を受け入れられるのか。本からの引用です。
自然との闘いが、生物を進化させたことは確かです。―――しかし人類はついに自然を征服してしまった。ほんとの自然物を、野生から人工的な物へと改良してしまった。つまり進化を、偶発的な物から、意識的なものに変える力を獲得した訳です。―――次は人間自身が、野生から開放され、合理的に自己を改造すべきではないでしょうか。―――これで、闘いと進化の環が閉じる・・・もはや、奴隷としてではなく、主人として、ふたたび故郷である海に帰っていく時がきた・・・。
「だが、水棲人をそんなふうに認めることは、自分を否定することじゃないのか。地上の人間は、生きながら過去の遺物になってしまう。」
「耐えなけりゃなりませんよ。その断絶に耐えることが、未来の立場に立つことです・・・」
大部分の母親が、少なくとも一人は、水棲人の子供を持つようになったとき・・・水棲人に対する偏見が、本質をゆがめる恐れがなくなったときです。その頃はもう洪水の不安が現実のものになっていて、・・・・・・・水棲人を未来の担い手として認めるか、選ばなくてはならなくなっているはずだ・・・
たいへん長い引用になってしまいましたが、水棲人をロボットに置き換えれば・・・、納得できませんか。この本の締め括りはこんな感じです。
親子喧嘩で裁くのはいつも子供の方にきまっている・・・たぶん、意図の如何にかかわらず、つくった者が、つくり出された者に裁かれるというのが、現実の法則なのであろう・・・
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