パトリック・モディアノが今年のノーベル文学賞を取りました。新聞紙上で彼のいろいろな本が取り上げられています。なんか全部興味深そう。たいていは、『暗いブティック通り』、『1941年。パリの尋ね人』、『失われた時のカフェで』の三冊を紹介しています。
『暗いブティック通り』は、記憶喪失状態の探偵が自らの出自とアイデンティティ探索へと乗り出すミステリ風の物語と言われ、『1941年。パリの尋ね人』は、実際に彼が1941年12月31日付の「パリ・ソワール」で見つけた尋ね人の記事をもとに調査を重ね物語を紡ぎ出したということ。最後の『失われた時のカフェで』は、この二つの作品の精髄を内包する連作短編集と。
それで、わたしはどの本も読んだことがないので、最後の短編集を読んでみようかなとアマゾンを検索しました。しかし、どの本もアマゾンは売っていませんでした。「古本の販売者から購入して下さい」というスタンス。なぜかなあ。なんでこんな有名な作品をアマゾンは売らないのかなあ。もう絶版したんかなあ。などと思いましたが、出版社がノーベル賞を取った作品を絶版などしませんよねえ。
近くの大きな本屋さんで見てみようと思い本屋さんへ。いつもアマゾンで本を買っていて、本屋さんでは雑誌を買うだけでした。つまり、久しぶりに「本を買う」という目的を持って本屋さんに行った訳です。
先ず、新刊書のコーナーに行くと、最近新聞などで書評が書かれた作品が並んでいます。彼の本で棚に並んでいたのは、『暗いブティック通り』のみ。どうしようかなと思いましたが、やはり、初期の目的通り『失われた時のカフェで』を買おうと決心しました。だから、それはカウンターで注文することにし、だらだらと他の本に目をやっていたら、『倍音』という本に目が止まってしまったのです。「止まってしまった」という意味は、同時にたくさんの本を買うと絶対全部読めないので、買うのは彼の本だけにしようと堅く思っていたからです。目に留まると必ず買わずには居られないから。
『倍音』はタモリさんや黒柳哲子さんが、紹介していた本です。その時から「おもしろそうだなあ」と。というのは、今私は、日本独特の「身体の所作」に興味があるからです。日本ばかりでなく、他の西洋でない国々にも、その国独自の人間の所作があったはず。それが、日本で言うと明治維新の頃から西洋に追い付け追い越せの政府の「モットー」により、西洋の慣習を追いかけ続けてきました。そこで、日本人独特の身のこなし方などが忘れ去られたということ。『倍音』は音楽関係についての本ですから、日本人の音楽とは何だったのかという興味で……、買ってしまいました。西洋で楽譜というものが発明された時に、楽譜で表わすことのできない「音」が消え去ってしまったのです。合理性の手のうちからこぼれ落ちた不条理です。こちらの方こそが、「人間」そのものと思うのですが。
身体で言えば、最近買った本は、『日本人の身体』です。こちらも以前UPした『身体から革命を起こす』のように、日本人の独自の身体の動かし方は明治維新の西洋からの「体育授業」ですっかり失われてしまったという事。『日本人の身体』は、能楽師の身体の所作から日本人の身のこなしを考え直すというもの。
もう一冊買ってしまいました。これはアマゾンから。1か月お待ちくださいと言う事でしたが、つい昨日届きました。『愉楽』です。中国の最近の作家のもの。現代の中国人の作家の本は、始めてです。障害者ばかりが住む村の話。レーニンの遺体を購入し、それを見せものにして、村おこしを図ろうという意図で、陳腐で壮絶な技能を持つ集団を結成し、旅の一座を作り、遺体の購入資金を作ろうと言う話です。おもしろそうでしょう。閻連科という作家のものです。中国本土では、ほぼ彼の作品は発禁処分。しかし、世界的にはいろいろな賞を受賞しています。2014年度フランツ・カフカ賞も受賞しています。
という訳で、今、読まなければいけない本は、
『失われた時のカフェで』
『日本人の身体』
『愉楽』
『倍音』
です。
『失われた時のカフェで』は、本屋さんで注文しましたがまだ「入りました」の連絡は来ていません。
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