2014年12月10日水曜日

選挙雑感


選挙ですね。

  

選挙には、特別のことがない限り行くようにしています。が、特に今の政治の問題に興味があるのではありません。大体この世の在り方が間違っているのに、根本を直さないで、問題が解決されるわけはありません。

 

最近、「貧困が受け継がれ続けている」という記事を読みました。つまり、生活苦のためにこどもが教育を受ける機会を奪われて、報酬の良い職業に就けず、貧困が次世代まで続いていくというもの。もう三代も「生活保護」で暮らしている家族がいると指摘していました。日本もスラム化していくのかなあ。

 

資本主義は、はじめから、人々の間に格差が開いていくシステムです。人は生きて行くために「職業」を持たなければいけないようになりました。ただ、裏山に行って、食料を取ってくるわけにはいかないのです。もちろん、今なお、そのような生活は可能です(都市生活でなければ)。しかし、それでは、先進国であることを示すGDPに貢献しないのです。人は、モノを作り出してそれを売る、そして、誰かがそれを買わなければならない。

 

資本を持っているものがモノを作り売る。(もちろん、わたしの意見は相当単純だとは思いますが)、資本を持っていないものが、そういう中で、職業を得てモノ作りを担うのです。これ、平等だと思いますか。思う人は中間層にいるからです。資本主義社会が上手くいくためには、大いなる中間層が必要です。なぜなら、中間層が資本主義の矛盾を隠蔽する手助けをしているからです。中間層が、お互いに喰い合っている間に、上層は下層を搾取しています。しかし、その中間層も世界的に徐々に層が薄くなってきています。

 

タイラ・コーエンはその著『大格差』の中で、「労働市場から脱出、正確には追放されはじめた」成人男性の賃金は1969年から2009年のあいだに28%も下落したと述べています。それは、テクノロジーが「人間の労働者を代替する」からだと。教育とは、DNAで引き継ぐことができない事を学ぶことです。世の中が複雑になり科学が進歩し、人が「学ばなければならない」ものの量が膨大になりました。その膨大な知識を手に入れられる人の数はだんだん少なくなります。能力的にそして経済的に。コーエンは、「天才的なマシーンの時代」である21世紀は、機械と働ける15%の大金持ちには「胸躍る」未来であるが、それ以外の人には、「恐ろしい」時代になると警告しています。

 

 

こんな世の中で、人は「なんであんただけお金持っているのか」って叫ばないのだろうか。

 



 

資本主義は民主主義と個人主義との三位一体です。こんな話を読みました。古代の人類社会をリサーチするためにアフリカの未開社会を調査していた人類学者が書いていたことです。「その部落では、食べ物はすべて皆のものだ。川や森で得た食料は全部持ち帰って、全ての人と分かち合う。誰もズルをして一人占めはしない。もし、一人占めしたとすれば、その人は仲間外れになって、その部落では生きていけなくなる。しかし、貨幣がその部落に入ってくると、人は、「お金」はみなで分かち合わないのだ。家族で分かち合うのがせいぜいなのだが、そんなことも稀である。」と。つまり「個人」の誕生です。一人一人が「個人」でないと、資本主義は成り立たないのです。

 

民主主義はどうでしょうか。市民革命によって市民が表舞台に出てきました。しかし、市民とはブルジョアのことで、はじめからお金を持っていた人々です。そんな人々の私有財産を守るのが、共和国の使命なのです。民主主義は、個人の財産を正当な物とする理論です。

 

今日のニュースです。「皇后さまベルギー訪問へ」。この民主主義の世の中でなぜ国王とか女王とか天皇がいるんでしょうね。考えてみれば、民主主義の本場のヨーロッパの国々にも国王がいますよ。なぜ、生まれた時から身分の違う人々が存在するのでしょうね。

 

 

という雑感でした。








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