2014年12月14日日曜日

昆虫記


ある日湯船に浸かっていると、小さなゴキブリが壁を這っているのが目に入った。それは小さな種類のゴキブリとも言えるし、またはゴキブリの赤ちゃんとも言える。その時は、わたしは半身浴をしていた。お湯に半分浸かりながら朦朧とした意識の中で見るとはなしに壁に目を走らせていたのだ。ふだんは虫を殺しはしない。というよりむしろリスペクトすらしている。その異形の形と古生代から存在し続けている人類の先輩としての生物だからだ。しかし、ゴキブリだけは許せない。その傲慢な態度、なにものをも恐れないノンシャランな態度。

 

その時のゴキブリはとにかく小さかった。許そうという気にもなっていた。しかし彼は(悪い奴は、いつも彼なのだ。)壁に掛かっているわたしのタオルの方に近づいて行きそうな気配だ。咄嗟に、わたしの中に殺意が芽生えた。しかし、下手に殺しては後始末がたいへんと躊躇した。わたしのタオルの上で死んでもらっては困りものである。

 

その上、手近に適当な撲殺武器が見当たらなかった。本来ならば、たいていは新聞紙を丸めて叩く。あるいはビール瓶で叩く。新聞紙はそのまま捨てればよいし、ビール瓶ならば、彼の残骸から溢れ出た汚物を洗い流し、何事もなかったかのように酒屋さんに返せばいい。また、ビール瓶を割らずしてどのくらいの力加減によって、如何に彼を叩けば良いかなどと考えるというエンターテイメント性も加わるのだ。

 
 
 
 

しかし、風呂場には生憎そのようなものはない。わたしは洗面器を手に取った。しかし、洗面器で叩いて彼の死骸がその底にへばりつけば、それは最低な状況になる。そこで、わたしは彼に向かって洗面器をただ投げつけようと考えた。彼に向かってぶつけても、それに当たって死んでしまうような間抜けなゴキブリはいないだろうと思ったからだ。つまり、ただの威嚇。わたしの神聖なタオルに近づくなという警告だ。

 

わたしは投げた。それは彼から外れたように感じた。しかし、その小さな彼は壁に張り付いたまま動こうとしなかったのだ。何かそれは少し平らになった様な気もした。わたしは彼をそのまま見続けていた。しばらくすると前足が少し動いた。はじめは目の錯覚かと思った。が、段々頭も動き出した。しかし、下、半分は動かない。わたしは「下半身不随になちゃったの・・・?」と呟いてみた。

 

彼はそのまま上半身だけでのたうち続けたが、「ふ~ん、そのうち動き出すんだろうよ。」と、わたしはうそぶいてみる。ゴキブリなんてそんなもんさ。一回の攻撃で、死んだためしなんてないのである。案の定、そいつは動き出した。始めはもぞもぞと。そしていきなりダッシュ!あまりの素早さに少し感動さえ覚えた。彼は、わたしが投げつけた洗面器からなんぞ、何のダメージも受けなかったかのように、あちこちと全速力で走り回り始めたのである。むらむらと、彼に対しての悪意が再び湧き上がった。

 

湯船からわたしは、お湯をいっぱい洗面器に満たした。そして、彼に向かって思いっきりお湯をぶつけた。彼はその衝撃で壁から滑り落ち、くるくる回りながら排水溝に滑っていった。そしてそのままわたしの目の前から消え去った。

 

「ふんっ、なめるなよ!」、ビショビショになった壁のタオルを横目に見ながら、そう呟いてみた。








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