2015年4月10日金曜日

ご報告  2



ペナンに来て、ほぼ10日間立ちました。今週から英語のプライベートレッスンも始まりました。週3回です。英語に関していろいろ興味を魅かれたことがあります。

 

先ずは、ペナンのわたしが通っている英語学校の先生たち。ネイティヴ英語スピーカーではありません。今まで手に入れた情報では、オリジナリーで、ギリシャ人、フランス人、オランダ人です。今までの経験で、英語学校に通った場合、たいていはネイティブ・スピーカーか現地の先生。現地の先生は、英語は第二言語ですが、日常的に使っているのでネイティブ・スピーカーと同じでしょう。

 

ネイティヴ(英語圏で生まれた人)ではない英語の先生に会ったのは上海でした。彼らは最悪でした。時期が、10年前なので、今はいいかもしれませんが。つまり英語の知識はなく、ただ、日常英会話は話せるという程度。しかし、今回の先生たちは違いました。まだ二人にしか会っていませんが。(たぶん、わたしの先生はこの二人でしょう。)

 

英語ネイティヴよりいいかも。マルタや南アフリカに行ったとき、現地の先生に教えてもらいました。彼らは、日本にいる英語の先生より数段上でした。思うに、彼らは英語を学んだからかと(日本の英語の先生たちは、英語が話せるという事のみにベースを置いています)。英語を学ぶ上でのノウハウをより理解しています。それから、これが一番言いたいことですが、「英語を話しているんだぞ」という上から目線がないことです。

 


 

英語圏の人は、英語ですべてを解決できるので、他の文化への思いがいまいちです。いつも思うのですが、わたしが、海外で「ありがとう」と言われたら、「オオッ、」と思います。反対に、わたしが、エジプトなどで「ショコラン」というと、彼らは「オオッ」となります。自分たちの言葉を話してくれてありがとうということです。が、わたし達が英語圏で「サンキュウ」と言っても、彼らは感謝しません。「オオッ、よく英語を知っているね。」って感じです。

 

つまり言いたいことは、英語圏の人でない先生と英語を話すとき、彼らは、英語の特権から離れているという事です。つまり英語圏の文化からです。彼らは英語圏の文化を押し付けないということ。わたしが英語圏の文化から外れたことを行ったとき、彼らは「ハッハハー」と言う感じ(アメリカ人・オーストラリア人の場合)、または、「フンッ」(イギリス人の場合)。これは、日本にいる英語の先生の場合の事です。

 

今回のギリシャ人の先生は、わたしが、いろいろこのような先生の不満を言ったとき、彼は言いました。

 

「僕もアメリカの大学で学んでいた時(アメリカで博士号を取ったとの事)、全部発音を覚えなおした。英語を覚えなおした。僕が、論文を書いた時、先生は単語とかスペルを直すが、全部間違ったスペルや文法に直された。」と。

 

 

こんなことですよ。英語を一括りに表現することはできません。英語と言っても、それぞれの国で、独自の文化を担っているのです。私たちが、標準的英語を求めることは、彼らのそれぞれの文化を無視していることになるのです。また反対に、彼らの「これが英語だ」という独自の考えに惑わされてはいけないということです。彼らは英語の方言を話しているだけなのです(英語と一括りにしなければ、彼らは彼らの独自の言語を話しているという事)。

 

 

もうひとつ言いたいことは、英語がグローバル社会の共通言語だと言うなら、英語が壊れても文句を言うな、という事です。

 

 

疲れたので、次回に続くという事で、

 

失礼します。






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