ペナンに持ってきた本の一冊が『日本人の身体』です。なぜこの本を購入したかと言うと、古武術家・甲野善紀氏の著書『身体から革命を起こす』の流れを組む本かなと思ったからです。著者は能楽師ですから、能の観点からの身体の所作とかそんなことかなと…。全然違いました。
『身体から革命を起こす』のポイントは、日本人の身体の動きは西洋人の身体の動きと違っていた。「文明開化」の時期に日本政府が西洋の運動の理論を受け入れたので、日本人の身体は本来の自然との調和を離れて違うものになってしまった。と、簡単におおざっぱに言うとそんなところです。そしてその違うものになってしまった現代人の身体はどのようにすると取り戻せることができるか…、という具体的な対策とその理論的解決がこの本でした。
『日本人の身体』は、基本的には同じ考えですが、「身体」本来の動きを取り戻そうというプロパガンダではなく、どう違うかを丁寧に歴史から説き起こしています。つまり、観念的に「日本人の身体」をどうとらえるべきかを説いていて随所に興味を惹かれます。
彼によりますと、日本には「からだ」という言葉がなかったそうです。「身」という言葉はありました。身は「実」と同源の言葉で、中身の詰まった「身体」です。中身とは命や魂で、つまり「身体と魂(精神)」という二元論ではなかった。すべてを抱合していたのです。納得できませんか。わたしはこれまで身体と魂を分化して考えることに納得できませんでした。この物質的な身体に精神的な魂が存在するという考えが納得できません。我々の身体は所詮物質なのです。で、我が意を至りでした。
日本には、その頃「魂」という言葉はなかったのです。著者は、『古事記』の中に「たま」という言葉は出てくるが、そのほとんどが「勾玉」のことを言っていると指摘しています。西洋では、紀元前8世紀半ばのホメロスの『イーリアス』で、すでに身体と魂が「言葉として」分離しているとか。
しかし、東洋でも身体と魂が分離して理解されるようになってきます。東洋哲学はその分離をひとつに戻そうとする試みと感じます。荘子や孔子しかり。己の身体を意識しないようにするところから心身の一体化が生まれ、何も考えることなく身体を動かすことができるようになります。一流のスポーツ選手や武術家あるいは演奏家や俳優、芸術家も「無我」になるという修行を経てきたのではないでしょうか(そして身体を意識しなくなる)。
この何事も「分化しない」ということが、東洋のそして日本人の特徴と思われます。つまり、境界線が曖昧ということ。あなたとわたしの境界線が曖昧、内と外が曖昧(空間的意味です)、いろいろなことを「曖昧にしておく」ことこそ「世界平和」と「宇宙との一体感」を得る極意なのです。ちょっと飛躍しすぎですか。
「溜息と内臓」という章は、とても刺激的です。ヒトは内臓を内に秘めています。だから内臓か。つまり、外の世界と断絶して進化に励んだということ。内臓とは粘膜。我々の粘膜が外と繋がっているところは、眼、鼻、口、閘門そして女性の場合はSEX機関です。しかし、植物は内臓を外に出していると著者は言っています。ちょっと理解不能ですが、そう理解します。で、植物は内臓を外に出しているから、宇宙と繋がっていると。環境との間に境界がないという意味です。だから、草木そのものは、神と繋がっているのです。私の言う神は、自然です。宇宙です。
そして、この「内臓」がただ者ではない。つまり、内臓に「魂」が宿っているのです。脳ではない、心臓でもない…。脳と内臓は、かなり親密な関係にあります。例えば、悩むと胃潰瘍になるとか…、そんなところです。「断腸の思い」という言葉もそれを表しています。日本人は、かなり前から(著者は古事記の例を取っています。)内臓に心があったと感じていました。しかし、腹にある脳は、情動とか「思い」を司っていたようです。理性的な思考は「脳」ということ。しかし、我々が幸せに生きるにはどちらが重要かということです。理性か情緒か(私見ながら)。
そして「息」。私たちは、「息を吹き込む」とか「息を合わせる」とかいう言葉を持っています。引用しますとこんな風です。
日本人の身体の基本は、自他の区別もなく、また環境と自己との差別もない曖昧な身体でした。ふだんはそれは曖昧な境界線の中に留まっていますが、なにかあるとすぐに溢れ出し、他人と一体化し、自然と一体化しようとします。「あはれ」とは、他人や環境と一体化せんとあふれ出した、蠢く自己の霊性そのものなのです。
つまり、息を合わせることによって、人類は発展してきたということ。息を合わせなければ、ヒトは、獲物を狩ることすらできなかったのです。いくらテクノロジー(弓とか矢とか)が発達しても。これがハーモニーです。インディビジュアリティを志向する産業革命以降のアイディアよりも、それ以前のハーモニーを大切にする世界こそ生物として我々が目指すところではないでしょうか。
我々とは言えませんね。私が共感するところです。
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