2015年5月24日日曜日

わたしは、ずうっと怒っているのダ!


それは、NHKの受信料です。NHK放送を全く見ないのに、なぜ受信料を払わなければいけないのか。わたしが親の家を出たのは、18歳のときです。すると、どこからともなくNHKの集金人が現われました。その時は、実際にテレビを持っていなかったので(実は、もうテレビを見るのはやめようと決心していたのです。)、正直に「テレビはありません。」と言えました。集金人は、それでも疑り深く部屋の中を覗きましたが、部屋に入ることは彼らには許されておりません。実際、なかったんだしネ。

 

それ以来、NHKの集金人の魔の手を免れておりました。が、息子が大きくなってこんなことを言いました。

 

「なんで、NHKを見ないの。受信料を払っているんだからもったいないじゃん。」

わたし、

「えっ、払ってないよ。」

 

息子、絶句です。それで、社会生活のモラルを教える親としてどうなの?と思ってしまったんですよ。ちょうどその頃にNHKの集金人が現れたのです。なんだかんだの話合いの末、こどもの手前やっぱり払うか、っと。そして翌年2004年でしょうか、次々にNHKのスキャンダルの発生です。NHK受信料支払の拒否者がぞくぞくと現われました。あと1年頑張ればわたしも「拒否」の仲間になれたのにと後悔しきり。こどもに言い訳できるでしょ。その後も、NHKの集金人が現れ、BSの料金を支払えと。わたしは、死んでもBSなんか契約するものかと思っているので(もちろん、これ以上NHKに余分な見もしない番組の受信料を払いたくないから)、正々堂々と「BSアンテナなんてありません」と言いました。それでも彼は、「おかしいなあ。アンテナらしきものがあるのになあ。」とぶつぶつ言いながら帰っていきました。もちろん在りませんよ。

 


 

しかし、つい最近朗報が飛び込みました。NHKの番組を拒否できるアンテナが発明されたのです。さて、このアンテナを付ければ、人は堂々とNHKの受信料を拒否できるのでしょうか。

 

考案者は、筑波大システム情報工学科の掛谷英紀准教授です。彼は2013年にNHKの国会中継がネットでUPされた後、削除されると言う騒動があったことがきっかけで「NHK放送だけ映らないアンテナ」の開発に手を付けたと言うことです。

 

しかし最初の装置は、「NHKだけ受信できなくなるアンテナフィルター」でした。TVTVアンテナの中間に設置し、フィルターにかけてNHK放送だけカットするものです。これはベンチャー企業が商品化し、2014年7月からアマゾンや一部の店舗で販売されています。が、放送法では、「NHKの電波を受信可能な設備」を持っているとNHKの受信料を払わなければいけないということになっています。つまり、フィルターを取り外せばまたNHK放送を視聴できるのだから、受信料拒否の論理的根拠が乏しいと言うことになります。

 

そこで「絶対にNHK放送を受信できない設備」と主張するには、はじめからテレビにその部品が付いていて、それを外せばテレビ番組自体が全て映らなくなるというものでなければいけません。が、掛谷先生はその装置も開発したんですねえ。2015年4月にフィルター内臓のアンテナを発表しました。これで、アンテナを付ければNHK放送を受信できなくなるし、外せばテレビの機能を失うことになりました。掛谷准教授は、受信料不払い闘争を続けている弁護団に「アンテナ装置」を提供しています。裁判所がこれをどう判断するかが待たれます。

 

そもそもNHKの番組だけ映らないアンテナ内蔵のテレビは造れないかという疑問が湧きますが、これはNHKが持っている特許により商品化できないそうです。デジタル放送に関してNHKが持っている特許は100以上あり、その特許を使用してテレビを製造している企業にはNHK放送が映らないテレビはできないのです。NHK放送が映らないテレビを造る企業にNHKが特許使用の許可を与えることは到底ないからです。TV放送の技術革新に伴ってNHKは恒常的に特許を手に入れ、「特許が時効になる」という事態を免れています。

 

よしんばNHK放送が映らないテレビが出現し受信料を払わなくてもよくなっても、NHKは今、テレビを受信できるスマホやPCから受信料を徴収しようとしています。また、イギリスのBBCのように税金から徴収しようとしている向きもあります。NHKの集金人から逃れるには、生活保護の受給者になるか、寺山修司ではないが「テレビを捨てよ、町に出よ」しかなさそうですよ。






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2015年5月18日月曜日

『THE MAN OF THE HOUSE』


4月は読書会をお休みしていたので、久しぶりの教室です。テキストだけはしっかりペナンにも持っていっていました。でもその目的は、ペナンでの英語のプライベートレッスンの前にホテルの部屋で声を出して読んで、発声練習をしようというもの。だって一人旅ですから、声を出して話す機会があまりないからです。この方法は、日本でも役に立ちますよ。英語のレッスンの前に家で声を出して何か英語で書かれたものを読んでいくと、舌が滑らかになります。

 

ということで、テキストの話の内容を考えると言うよりもただ読んでいただけです。それでも、3~4回は読んだので内容は把握しました。今週の木曜日がその日なので、もう一度頭を整理しようとテキストを取りだしたところ、今回はじめてその題名が目に入ったと言う訳です。「THE MAN OF THE HOUSE」でした。この題名が目にとまったところ、ほんと、「目から鱗」といったように、作者の意図がはっきりしました。

 

FRANK O’CONNORの作。世界の名作短編集からいつも持ってくる生徒のテキストです。内容は、母と10歳の息子の貧しい二人暮らしの家庭のお話です。母親の身体の具合がおもわしくなく、貧しい人のために無料チケットで薬をもらえる薬局に、その10歳の息子が薬をもらいに行く話……、簡単に言うとそんなところです。

 
 
 
 

この10歳の息子のことを母親や隣のおばさん、お医者さんまでが褒めるのです。「娘ではこうはいかない」と。あるいは、「息子である」ということが強調されます。こんな感じです。

 

It’s a funny thing about women, the way they’ll take orders from anything in trousers, even if it’s only ten.

 

あるいは、

 

“Wisha, isn’t he very good?” I heard her say in a low voice to my mother.

“As good as gold,” said my mother.

 

ドクターが薬をもらいに行かなければいけないという場面では、

 

“I’ll go, Doctor,” I said at once, relieved that he had said nothing about hospital.

“This is a long way,” he said, doubtfully.  “Do you know where it is?”

“I’ll find it,” I said.

“Isn’t he a great little fellow?” he said to my mother.

“Oh, the best in the world,Doctor!” she said.  “A daughter couldn’t be better to me.”

“That’s right,” said the doctor. 

 

なんでこんなに「男の子である」ということを強調するのかと疑問に思っていたところ、題名に気付いてビックリ。すべて納得しました。The Man of The HouseMANは、息子のことだったんですよね(気づくの遅いよね)。わたしは、ずいぶん前の小説だから男性贔屓なのかと思っておりました。

 

 

この10歳の男の子は生意気な奴なんです、最初は。母を助けて家を守るという意識で、他の子供たちを子ども扱いするような。つまり、ひとりで母を助ける健気な息子役を演じているような感じ。一日目はそれですみました。しかし、次の日も母親の容態はよくなりません。で、彼は二日間も「良い子のお芝居」はできなかったみたいです。母の病気が重くなって、ひとりで生きて行かなければならなくなるという「現実」を知ったのです。

 

The depression was terrible when, next morning, my mother seemed not to be any better.  I had done all I could do, and I felt helpless.  I lit the fire and got her breakfast, but this time I didn’t stand at the front door to see the other fellows on their way to school.  I should have been too inclined to envy them.

 

ここから、彼の冒険がはじまります。母の薬を離れた町の薬局まで取りに行くと言う。言わば、「はじめてのお使い」ですね。なんやかんやあって薬局に着くと小さな女の子が同じように薬を待って、ベンチに座っていました。彼女はその薬局に何度も来ているようで、馴れた様子で少年にどうしたらいいのか教えます。すっかり仲良くなって、彼は母親にもらった1ペニーを彼女と食べるお菓子に変えてしまいます。その1ペニーは母が用心のために彼に持たせたもの、そして、彼は来る道にあった教会で「母が治ったらここに1ペニーでろうそくを買って供える」と誓ったお金なのでした。

 

I had a penny, which my mother had given me by way of encouragement, and I made up my mind that when I had done my business, I should go into the cathedral and spend it on a candle to the Blessed Virgin, to make my mother better quick.

 

この女の子がしたたかな奴なんです。彼が「息子でなく娘」だったら絶対に騙されないのにと思いましたね。彼女は、彼がもらった母のせきどめシロップを飲ませてくれと頼むのです。せきどめシロップは甘くておいしいからと。彼女は彼から瓶を奪い取ってゴクゴクと飲みます。そして、彼にも飲むように勧めます。彼ははじめは断わりますが、一口飲んでしまいます。彼女が言う通り甘くておいしかった。それで、順番に飲んでいるうちに全部飲んでしまいます。彼がそれに気が付いて、突然泣き出します。大泣きです。彼女は、「なんで、そんな馬鹿な老人みたいに泣いているの。瓶のふた(コーク)が落ちて、全部流れたと言えば良いじゃない。そんなことは、いつでも普通に起ることよ。」と言います。

 

彼は、「君のせいで薬は全部飲んじゃったし、教会に供えるろうそくを買うお金も君のキャンディになってしまった。」と文句を言います。彼女は、「フン!馬鹿な奴」って感じ。

 

“Ah, don’t be a old crybaby!” she said contemptuously.  “You have only to say the cork fell out.  Sure, that’s a thing could happen to anybody.”

 

 

帰り道、彼は「奇跡が起こって母の病気が治ったら必ずお金が出来た時、戻って来て、ろうそくを供えますから奇跡を起こして下さい。」とthe Blessed Virginにお願いします。その上、薬を飲んだせいか彼は身体の具合が段々悪くなり、家に辿り着くと母の寝ていたベッドに倒れ込みます。母はびっくりして、事情を問い正します。彼が説明すると、母親は「わたしが悪かった。」と言います。こんな小さな子供にたいへんなことを頼んで悪かったと。

 

彼はそのまま意識を失ってベッドで寝てしまいます。翌朝、母がやさしく彼の面倒をみます。「良い子だ」と言ってくれた隣のおばさんの信用は逸っしますが、「ある意味奇跡は起こったのだ」と彼は思うのでした。

 

I knew that was a judgment on me, but I could do nothing about it.  Later I saw my mother come in with the candle and her paper, and I smiled up at her.  She smiled back.  Minnie Ryan might despise me as much as she liked, but there were others who didn’t.  The miracle had happened, after all.

 

 

結論は、なんでしょうね。「結局、10歳の男のなんてこんなもんだ。」っていうことでしょうか。言い過ぎか?







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2015年5月16日土曜日

旅先でバスに乗る


ペナンで英語学校のプライベート・レッスンを受けていました。レッスンの最初はたわいない出来事を話すことから始まるのですが、ベン先生が、「週末は何をしていたか。」と聞きます。で、わたしは、「ジョージタウンに行きました。」と。それで、次の質問が、「ここでバスに乗るのは簡単か。」と。この質問で、いろいろな街でバスに乗った時のことが甦って来ました。で、「他の都市と比べればペナンは簡単な方だ。」と答えました。

 

そもそもわたしが一人旅を始めた最初の街が南アフリカ共和国のケープタウンだったのです。その時に受けた洗礼は、その後のわたしの旅の助けになりました。「ケープタウンに比べればなんでもない」が合言葉です。ペナンのバスも時刻表はなく、いつ来るかわからないし、手を上げて合図しなくては停まらないのでようやく来ても、油断していると停まらずに行っちゃうこともあります。でも、バスは綺麗でエアコンもきいているし、快適です。

 
 
 

ケープタウンでは(1998年の話ですから今はどうなっているかはわかりません)、バス停はなし、どれがバスかもわからない。普通のワンボックスカーで、前の窓ガラスに何かのカードがあるだけです。ホストファミリーのママにバスはどんな感じかどうやってバストわかるのかと聞いても、「道路に立って、手を上げればいいのよ」の一点ばり。降りるときも、適当なところで「降ります」と言わなければ停まりません。

 

学校に行く初日は、ほんとにどうしようかと思いました。学校の位置もうろ覚え、バスもわからずどこで降りたらいいかもわからない。でも、先ずママの言ったことは正しかった。道に立って適当に手を上げたら、向こうがわたしを見つけて停まってくれた。乗ったら、6~7人もうすでに乗っていたのですが(ベンチが4列位あったので、多分15人くらいは乗れると思われる)、わたしの後ろの席の人がわたしに小銭を手渡したのです。とっさに受け取ってしまいましたが、なんのことかわからず握りしめていたら、皆の冷たい視線。そのうちの一人が、目配せで運転手の方を促すので、「ああ、運賃だ」って。運賃を前に送っていくのだとわかりました。それで、自分の分の運賃を加えて前の席の人に渡しました。降りるところもわからなかったのですが、何かそれらしいところで人がたくさん降りるところでいっしょに降りました。学校はきっと街の繁華街にあるだろうという判断です。まあまあそれなりに、無事学校に辿り着きました。

 

それからはバスに乗るのも慣れましたが、たまに違う車に手を上げて、運転手に「違う違う」と手を振られたりしていました。それから、降りる時のこと、初めは、「I’d like to get off here.」 などと言っていたのですが、ある時、運転手に、STOP HERE! と言えと言われ、それはまずいかなと、STOP HERE PLEASE! と怒鳴っていました。

 

 

他の都市でもバスに乗っていましたよ。たいてい交通手段はバスしかありませんからね。ケープタウンの次に難解なところはマルタでした。マルタのバスの運転手は荒っぽいことで有名(同じく2001年のことですから今の事はわかりません。しかし、2008年に行った時も、同じような感じでしたが)。タクシー運転手より凄いとのこと。バスのドアは開けっぱなしで走るは、急ブレーキをかけるは、そうそう、最終便のバスは、交渉次第でタクシーの如く、好きなところに行ってくれました。

 

その他の都市でも、バスに時刻表がないのは当り前のこと。時刻表があるのは日本だけではないんでしょうかねと、I guess。そうそう、ペナンのバスは釣銭をくれません。きっかり出すか、釣銭は諦めること。サンフランシスコもそうだったような気がしますが~~~。ハワイ島は、CATという無料のバスが、市街地を回遊していました。ペナンもジョージタウン内は、CATが走っていました。オークランドは、無料ではありませんでしたが同じように一周のルートがあり、いつまで乗っていても文句を言われません。

 

 

おもしろいことに日本にいる英会話の先生はバスに乗れない人が多いですよ。電車か地下鉄にしか乗れないって。でも、ヨーロッパ人は大丈夫そうです。日本ほど親切なバスは他にないと思うんですけどネ。





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2015年5月12日火曜日

アジアへの旅


永らくアジアへ旅行するのは躊躇していました。20数年前、バリ島とタイへ旅行したことがあります。その時のアジアの様子は今回のペナン島と大いに違っていました。つまり、言いにくいですが、アジアはまだ貧しかったのです。欧米や日本からの観光客が集まる豪華なホテルの周辺には、貧民層の小さな家々が密集していたのです。こんな状況の中、のほほんと観光気分には浸れない、というよりボランティア活動なんかに取り組むべきだと。しかしながら、わたしはそんなキャラではないしと、アジア旅行を封印したのでした。(軟弱でスイマセン。)

 

そして今回ペナン島に行きました。近年のアジアの発展ぶりは素晴らしく、もうアジアへ行ってもいいんじゃないかと。引け目を感じることなく、ゆったりとバカンスを楽しめるかなと。先回ニュージーランドのフィチアンガの語学学校に行った時、生徒にタイ人が多かったことも一因です。今まで、中国人や韓国人に学校で会う事はありましたが、その他のアジア人に会うことはありませんでした(サウジの金持を除く)。

 

で、やはりアジアは良いわあ、落着くわあ、です。ヨーロッパ人やアメリカ人より同じ顔立ちのアジア人にはやはり親しみがわきますよね。これは私だけの「偏見」かなあと思ったところ、最近面白い記事を見つけました。『日本人を助けた中国軍艦』です。4月のお話らしく、ペナンで新聞を読んでいませんでしたから、初耳の出来事です。

 


 

インド洋の小さな島、ソコトラ島で起きたお話のよう。イエメン情勢の悪化によりその島の空港が閉鎖されました。その近くにいた中国軍艦がその島に滞在していて閉じ込められていた中国人をオーマンの港まで送り届けました。その中にひとりの日本人がいたのです。この記事を書いた記者は、その日本人を助けた中国人の女性にインタビューをしました。

 

北京在住の日本のアニメが好きなイラストレーターで、アラビア語を独習し、趣味で中東を旅行している張阿美さん。3月下旬に日本語教師の中国人の友達とソコトラ島に行きました。それでこの事件に巻き込まれ、同じホテルに泊まっていた日本人のAさんと知り合いました。他にも外国人旅行者は十数人いましたが、「東アジアの顔は私たちだけだったから、話をするようになった」と張さんは言っています。それから10日間、三人は食事を共にし、日本語や英語で「どう島から脱出するか」について話し合いました。

 

そこで、中国大使館から中国軍艦を派遣し、救援すると連絡が入ったのです。張さんが「日本人の友達がひとり一緒だ。」と大使館員に告げると、一緒でもいいとの返事をもらいました。Aさんも日本大使館に連絡し、事情を説明すると「お願いしてください。」との同意をもらいました。オーマンの港に着くと、「日本人に最初に下りてもらいましょう。」という客人に礼を示した艦内放送が流れたそうです。

 

記者は、Aさんにも取材を申し込んだそうですが、その時いろいろな批判がネットに飛び交ったので、辞退したいという事のようです。つまり「おめおめと中国の軍艦なんかに…」という類のものです。

 

 

これはこれでいろいろ考えさせられる記事ですが、それはまた考えるとして…、今回のわたしの興味は、「東アジアの顔は私たちだけ」にあります。ペナンは同じ「東アジアの顔」ではないけれど、アジア人としての共感は覚えます。確かにね。

 

 







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2015年5月10日日曜日

ベンジャミン先生


ペナンのベン先生の名前はベンジャミンでした。前に、彼はギリシャ人だと書いたと思いますが、間違いでした。わたしは、先生の出身を尋ねようとして、「オリジナリー」を付けてしまったみたいです。それで先生は「ギリシャ」と。話しているうちに何か話が合わないなあと思っていると、彼はオーストラリア人だったようです。

 

ひとつ思ったことは、「日本ってホント特殊だよね」ということ。海外の学校でヨーロッパ人に会うと、たいていオリジンは違う国。日本人はどの地方ということはあっても国まで違うと言う事はそうそうありませんから。しかし、もうそんなことは無くなってくるのかも。あるいは、日本人はオリジンを尋ねると言う発想がないだけで、実はけっこういろいろな人がいるのかもしれませんね。

 

それで、オーストラリアですが、ベンはオーストラリアの悪口ばっかり言っていたの。わたしも調子にのって普段通りにオーストラリアへの不満をしゃべりまくっていました。そしたら、途中で「アリャリャ、この人オーストラリア人だったんジャン」と。

 

彼の「悪口」は、先ず矛先はアメリカ。そしてアメリカの後を追っていくオーストラリア。「アメリカ人は子供っぽくて、頭の中味は空っぽだ。」って言うから、「そうだ、そうだ。それからオーストラリアもね。」ってわたしが言うと、「その通り。オーストラリアはアメリカの尻を追いかけてばかりいて、いろんなところの紛争にアーミーを派遣している。」と。

 

そうそう、オーストラリアは、以前はヨーロッパの方に目を向けていたのに、今はアジアに目を向けて、「世界の警察、アメリカ」ならぬ「アジアの警察、オーストラリア」っていう勢いだよ。と、わたし。

 

それは、オーストラリアにアジアからの移民が増えたからだ。政府も彼らの意見を気にしている。と、彼。

 

それは人口問題がからんでいるんじゃないの。と言うと、

 

全くその通り。オーストラリアは、大きくて空っぽだ。って、彼。

 

彼はオーストラリア人だったので、自国の悪口を平気で言えたんですね。わたしは、それでも怯まず言いたいこと言っていましたが。

 



 

今回のペナンでの英語のプライベート・レッスンを受けるにあたり、10回ですが、自分の話したい事のリストを8個持っていきました。一回目は、お互いに様子見になるだろうから、話題は必要ないかもと、思ったからです。それでも、一つ足りないのは、初日にベンにレッスンに対するわたしの意向を述べたところ、ではそのトピックの題を言ってみろと言われ、数え上げていくうちに、「この先生はタダものではないな」と感じ、一個あやふやなトピックをパスしてしまったからです。持っていったのは9個だけど、先生には8個しか言っていないということです。

 

ベンは、わたしの意向を素直に真剣に受け止めてくれました。たいていの場合、日本の教室では無視されるか、ウンザリされるかですからね。つまり、彼も同じ性癖の持主だったんです。「くだらないことをとことん考える」という。彼は、「僕は反対意見を言うけど、それは話題を盛り上げるためにこんな意見もあるということなので、あらかじめ断わっておく。」と言いました。それで、わたしも「大丈夫、何をいっても怒りださないから。」って。彼は、「そう望むよ」という訳で、セッションが始まりました。

 

彼との話し合いは楽しかったです。それは、彼が「ちゃんとわたしが話すことを聞いている」と思えたから。わたしが、彼の意見に突っ込みをいれると、「その点は、まだよく考えていないからいろいろ調査してから話す。」とか言うので、「へぇ~」って思っちゃいました。最後の回は、わたしのトピックがなかったので、「どうするか」と聞くと、「僕が話す」と。それで、最終回は彼のレクチャー。でも、聞いているだけではつまらないので、そこそこ突っ込みをいれて、楽しく過ごしました。1時間半のレッスンでしたが、たいてい2時間近く話しあっていました。

 

 

彼は、今年中はペナンにいるけど次にどこに行くかは未定ということで、次回わたしがペナンに行く時、「まだ彼がペナンにいるかどうか」を確かめると、彼のメールアドレスをゲットしました。で、メールアドレスから彼の名前がベンジャミンとわかったという次第です。






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2015年5月2日土曜日

最終報告


ペナン島から帰宅しました。429日にです。しかしながら、経由地香港で飛行機が遅れ、帰ったのは深夜。結局、30日でした。

 

ペナン(マレーシア)は、居心地良かったです。マレー人は、マレー系、インド系、アラブ系、中国系。宗教で言えば、ほとんどがイスラム教のようですが、ヒンズー教も仏教も共存していました。イスラム教徒いえば、頭から爪先まで黒ずくめの女性もいれば、頭だけスカーフで隠している人もいました。つまり、いろいろな人々が平和に暮らしているということです。

 

(「マレーシアは、多様な人々が平和に暮らす素晴らしいところだね。」とベン(英語の先生)に言ったら、「そう思うか。」と言ったので、「見かけ上は」と言っておいた。まあ、複雑な事情もあるのかも。)

 

それから、人々がいつもそこかしこで掃除をしているということ。道はきれいです。ホテルもきれい、プールもきれい、海岸もきれいでした。そうそうトイレもきれいでした。

 



 

わたし、この歳になってナンパされるとは思わなかったのですが、滞在中に電話番号を2個押しつけられました。もちろん、掛けはしませんよ。一人は、ウェイターがナンパ師に変身です。人のよさそうな、いいお父さんって感じだったのになあ。もう一人は、ビーチに坐っていた時に通りがかりに声をかけてきました。観光客にただ親切に声をかけてくれたのかもしれないので無視できないでしょ。

 

彼はなかなか去らないので、少々お話をしました。そこで得た情報です。彼の少々の日本語とわたしの英語力との会話ですから、少々の誤謬があるかもしれませんが。

 

ここでは、人々が何語を話しているのかしばしわからないことがあります。マレー語の中に英語が入り込んでいることもありますが、基本的に彼らは英語を話すので英語かと思えばマレー語。マレー語と思えば中国語などなど。それで、彼に「ホテルの従業員も何語を話しているのかわからないよ~。」と言うと、「ホテルの従業員はたいてい外国人だ。」と言いました。「日本人は見当たらないョ。」と言うと、「今は、日本人は少ない。5年くらい前はたくさんいた。」と。少々険のある言い方だったので、ふ~~~ん、それは彼らの不満なんだと気付きました。つまり、仕事を奪われているのね。

 

わたしはもう帰る頃だったので、毎日のビーチ浴でもう真っ黒。で、彼が、「よく焼けたね。もとは、白かったのか。」と言います。わたしは普段でもそんなに白くないので、そんなことはないと言いますと、「色が黒い人ほど良い人だ」という彼の説を開陳。黒人が一番で、それからインド人、そして彼ら東南アジア人。同じアジア人でも東アジア人は評判良くなさそうです。色が白いから。「今度来た時、連絡してね。2~3日で僕が真っ黒にしてあげるよ。」って。

 

そう言えば、バスの中では、白人系はなんか敬遠されている雰囲気でした。彼らの自己主張の態度も一因だとは思いますが。エピソードをひとつ。

 

バスを降りるときはボタンを押して降りることを知らせるのですが、ある時、白人女性がボタンを押してもバスが止まらなかったの。彼女は怒鳴り出して、「止まって、ドアを開けなさい。」って。それで、運転手と言い合いに。結局は、停留所でないところでバスは止まって、彼女は降りました。彼女の言い分はわかるけど、「どうなんだろうな、わたしだったらどうするかなあ」と思いました。バスの運転手はその後も、「彼女がボタンを押すのが遅かったのだ」と文句タラタラでした。

 

そして、その2~3日あと、同じ事を目撃しました。しかし今回は、マレー人の厳つい男でした。ボタンを押してもバスは止まらなかった。彼は、「えっ」という感じだったけど、そのまま次のバス停まで乗っていきました。この彼の方が文句を言いそうなタイプだったんですけどね。そうだよね。わたしもやっぱり次のバス停で降りるよねと思った次第です。

 

 

という訳で、どうも白人系は敬遠されていそうですが、ある時バスに乗車した時、日本人の4~5人が、大きな声で日本語で話していました。定年退職後の御夫婦二組と言った感じです。話の内容が、バスの中でスリにあったとか、親切そうに近づいてきても用心しなくてはいけないとかそんなこと。そんなこと、日本語とはいえよくバスの中で大声で話すなあと、目を伏せて聞いていたら、わたしの近くに立っていたマレー系のおばさんが、わたしに目配せしてきました。わたしは、いつの頃からか見かけが日本人じゃなくなっているので、彼女もわたしが迷惑そうにしているのを見て、「ほんとにね」っていう目配せを送ってきたのかなと。

 

結論、「色の白い日本人」は、でっかい態度を取らず、もっと慎ましやかにしなくてはイケマセンよ。






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