2017年3月26日日曜日

囲碁あるいはAI



新しくPCを購入致しました。Vistaが今年4月に終了するという事と、今まで使っていたPCがとんでもない状態になっていたからです。立ち上がりは遅いし、時々変なメッセージが現れるし、何よりもスピーカーがoffになっていて、音がまるっきり聞こえませんでした。



で、新しいPCになったのですが、Vistaと使用方法が違うので慣れるまでに一苦労と思います。このUPの成功を祈るばかりです。







先日、囲碁サロンに行ったところ、1~2か月お休みをしていた人が現れました。「囲碁のことを忘れた。」との言葉。そばにいた人がすかさず、「幸せだったね。」って。感心しました。そうです。囲碁のことが片時も忘れられない我々にとっては、囲碁のことを忘れられたなんて…、なんて幸せなんだろうかあ~、と。



「ワールド碁チャンピオンシップ」なるものが開催されていました。大阪で。23日に終了しました。日中韓トップ棋士3人とAIDeepZenGo)による初の世界戦との触れ込みです。が、話題になったアメリカのアルファ碁は、エントリーを辞退。日本のDeepZenGoもこの世界戦の前に開催された「コンピュータ囲碁大会」で優勝できなかったのだから、興味半減です。



世界戦の結果は、井山さんは最下位。優勝は韓国の朴氏。ZENは、井山さんには勝ったが、中国、韓国の代表には負け、第3位でした。でも、まあ、AIの飛躍的な進歩は確認されたと言うことです。



それで、今後どうなるのか。2045年に到来すると言われているシンギュラリティ(AIが人類の知能を超える時)。囲碁とAIの関係はその先駆けとして注目を集めているようです。



未来大学の松原教授は、「強さを求められていた棋士の役割が変わるのではないか。」と述べています。つまり、現在AIは、人より強くなった。が、「どうしてここでこうゆう手を打ったのか」という説明はできない。その説明をする役割をプロ棋士が担うのではないかと。



キュレーターとしての棋士。どう思いますか。キュレーター、日本語で学芸員。博物館や美術館に所属し、芸術品の解説や管理または催物のプロデュースをします。つまり、その人たちは芸術家ではありません。だから、芸術家になりたいプロ棋士がそんな役割で満足できるのか、ってことです。



しかし、AIは好きで囲碁を打っているわけではないので、実際にはゲームソフトの開発ということで終わるのではと。プロ棋士は、AIの手を研究、研鑽し、囲碁の世界観を見極めていくことの一助とするのでしょう。






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2017年3月19日日曜日

今日のニュース


「先端人」というコラム(?かな)で、『脳の「仕様書」作りたい』というタイトル。この記事が経済欄にあるのも不思議だ。

京大霊長類研究所助教の井上謙一さんが、「2015年、世界で初めて霊長類のアカゲザルで、特定の神経回路を生きたまま操作することに成功した。」とか。実験のサルの目を動かしたり、目の動きを遅くしたり、速めたりすることができたようです。

彼の意図は、脳の構造を解明することだけでなく、配線や役割を示した「脳の仕様書」を作る事。神経回路を選択的に、狙ったタイミングで操作できるようになれば、パーキンソン病や鬱病などの病態の解明や治療法の開発にもつながると言っています。

で、

人類は、また、新たな脳の仕組み、メソッドを発見したようで・・・、不安は尽きない。






もうひとつ。読書欄で、辻邦生の写真を見ました。「文豪の朗読」という欄で、書いた著者自身が朗読したものを聞いて、聞いた人がどのような感想を持ったか・・・、の記事です。

辻邦生先生は、存じ上げないし、彼の著作を読んだこともないのですが、彼の奥さん、辻佐保子先生がわたしのゼミの先生だったのです。全然関係ありませんが、ものすごく懐かしくて・・・。ご両人ともすでに亡くなられておられますが、佐保子先生の死亡ニュースを朝日新聞で見つけた時は驚きました。ご主人の死後、一人暮らしだったようですが、佐保子先生は死後1週間たってから、発見されたのでした。

今もその新聞記事を持っています。ニ度と読み返す気はありませんが、なにかゴミ箱に捨てられなくて・・・。







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2017年3月10日金曜日

英語力


金正男が殺されて、その息子ハンソル氏がYouTubeに投稿し話題になりました。その英語を聴いていると、そんなに上手くはないなという感想です。内容ではありません。発音です。彼は、いろいろ有名大学に留学し学問を収めています。当然英語力は優秀でしょう。でも、発音はネイティヴ並みではありません。

 

わたしは、揶揄しているのではありません。「訛りは国の手形」と諺にあるように、英語がいくら世界の共通語になったとしても、英語を話す人の出自は隠せないし、また、隠すべきではないと思います。「ネイティヴ並みの発音が身に着く」と言ったような英会話教室の宣伝文句は少々奇妙だと思いますがどうでしょう。通じる程度に話せばよいのです。

 

またハンソル氏の動画の中で、オランダの韓国大使に感謝の念を述べていました。マスメディアは、彼のインタヴューを採りに行きます。で、英語で質問しオランダ大使も英語で答えます。つまり、お互いに第3国の言語で意思の疎通を図っているという事。これを英語が共通語となって良かったと思うか、違う国の言葉で意思の疎通をしなければいけないことに異を唱えるのか。

 

まあ、概ねの方が、英語が共通語である事には賛成されるでしょう。しかし、違う国の言語で自分の意思を表現できるには相当の英語力が必要と思われます。通常の一般の会話ならば、それでいいと思います。お互いに誤解しても事件にならないような程度のお話ならばね。だから、国際会議では人はそれぞれの自国の言語で発話します。そして「専門家である」通訳がいるわけ。

 

ここに矛盾があります。英語が世界共通語になると英語圏以外の人は英語を学びます。英語圏の人は、他の言語を学ぶ事がおろそかになります。そして、英語圏では、英語からその他の言語に通訳するための人が払底するのです(そのため、英国では他の言語を学ぶ必要性を感じ、小学校からの他の言語の学習が必修となりました。アメリカではどうでしょうかねえ。)

 


 

もうひとつ。テレビニュースなどで英語ネイティヴではない人が、英語でインタヴューに応えていたりすると、日本人は、「だから日本人は。」とか「日本人は英語が話せない。」とか言いますが、マスメディアを信じてはいけませんよ。彼らは、英語がちゃんと話せる人にインタヴューしているのですから。つまり、英語が話せる人しか意見を発信する事ができないという…現実も起きてくるのです。

 

以前、(詳細は忘れましたが)、アフリカの女性の大統領が何かの賞をもらいました。その感謝の言葉を英語で話せと、アメリカのマスメディアが強要し、世界の顰蹙を買っていました。彼女は、自国の人々が理解できるように母国語で感謝の念を発信したかったのです。

 

 

と言うことで、わたしたちはどのように英語と付き合っていけば良いのでしょうか。







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2017年3月3日金曜日

文系力も必要よ!


この間テレビを何気なく見ていたら、ある医者が興味深い事を言っていました。癌治療の特効薬、オプジーボについての番組です。記憶はあいまいですが、この薬は癌細胞を特定し、癌細胞だけを攻撃するので、人体に優しいという事。つまり、手術なしに薬だけで癌が治るということか。

 

しかし、この薬の値段が半端じゃない。年間3500万円程度必要といいます。日本には健康保険とか高額療養費の制度が充実しているので、実際に個人が払うのは130万円程度という話。この番組で紹介されていた癌患者さんは、月額4~5万円くらい薬代を負担していると言っていました。

 

では何が問題かと言いますと、個人負担以外の薬価は税金で賄われているという事実です。このオプジーボの効力が高ければ高いほど、多くの人が使用することになります。その分国民の負担が多くなるという事。約5万人の患者への投与が想定されています。そして、これは税金から支払われます。

 

そして、その医者の言ですが(お医者さんの名前は覚えておりません。國頭英夫さんかもしれません。が、わかりません。)、…医者や製薬会社は人の延命のために研究しているのです。科学が進歩し、多くの人に役立つことはいい事です。しかしそのために、膨大な負の遺産を抱える事になる(薬代の事)。それは、科学の進歩に制度が追い付いて行かないからです。…、だいたいこんな様なことを語っていました。

 
 
 

 

実際、最近の科学の進歩は目覚ましいものがあります。この特効薬然り、その他iPS細胞による皮膚の製造、角膜の製造、臓器の製造、または今話題のAIAIによる自動運転自動車やIoT。昨日の新聞では、AIAIを創る時代を見越し、AI自体にも倫理観を与えなければいけない…、とかが述べられていました。

 

と言うことで、我々一般人は置いてきぼり。また、人が作る制度も置いてきぼり。科学の進歩を見張る、あるいは制御する、あるいはサポートする人間力の進歩も考えに入れてもらいたいもの。ところが、政府は大学の文系を切る様相です。プラクティカルな学部にのみ力を入れないで、今のところは社会に役立たなそうに見える文系の学問――哲学とか文学とか――を専攻する学生も育成していかないと社会に破綻が起こりそう。未来を想像できる人の育成が必要と思いますが~。

 

人間の産業活動により排出される有害物質により引き起こされた四大公害病。日本では、特に高度経済成長期、つまり1950年代後半から1970年代のこと。このまま科学の進歩を野放しにしておいたら、新たな災害が起りそうな予感がするのですが、いかがでしょう。








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