2018年6月17日日曜日

我々の住む「このような世界」は、どのように作られていったのでしょうか。





思うに、私たちは『心を人にだけ与えられたギフト』と考えがちです。しかし、ヒトは『人として』<神>に作られたものではなく、他の総ての生き物と同じく40億年をかけて進化し続けた結果であります。同様に心も始めから『心』として人類に備わっていたのではなく、進化によって手に入れたものであると思います。



HUMAN――なぜヒトは人間になれたか』という本に出会いました。NHKが番組として取材したものの記録です。ホモサピエンスはアフリカで約20万年前にサルから枝分かれしました。その時点ですでに身体的にはほぼ現代人と変わらぬ姿であったと言われています。それではなぜそれから今までの間、人類は身体的に進化しなかったのか。その答えを「それは人類が『心』を発達していた為」と考えて、この取材班は調査を始めました。



本は「協力する人」、「投げる人」、「耕す人」そして「交換する人」という章建です。取材班はそれぞれの項目で、世界中のその種の研究をしている学者にインタビューを試み、人類がどのように徐々に『心』を手に入れ、その他の地球上の生物を押しのけて、最強の生物として繁栄していったかの道程を検証します。



人類の進化の過程、あるいはなぜ他の生物には見られない発達過程を経たかという調査や学説は多々あります。この調査はそれを『心』と結びつけました。そこに新しさが感じられます。



『心』を論じると、おいおい哲学的方向に傾いていきがちです。しかし、この本は科学的スタンスを保ち続け、かつ、とても分かりやすく書かれています。と言って単純にはならず、各章で「なるほど!」と言った感想を持ち得ます。












第一章「協力する人」では、狩猟採集時代にヒトがお互いの獲物を分けあって、共に協力しながら家族・部族全体としての発展を成し遂げていくと述べられています。それを「共感」と位置付け他の種との差別化します。



チンパンジー同士は助けるが助け合わない。人間は助けられるから助け合う。相手の幸せを第一義的目的とし、率先して親切にしてやろうという意思があるのです。そして、そうすると結果的に自分にも利益が返ってくると気付く。「情けは人の為ならず」ですね。



隣同士の檻に入っているチンパンジーは、隣のチンパンジーが餌を手に入れるのに自分の檻にある道具が必要と気付くことが出来ます。そしてその道具を隣のチンパンジーに与えることが出来ます。しかし、隣の檻のチンパンジーはその道具を使って餌を手に入れた後、道具を与えてくれたチンパンジーと餌を分け合う事はしません。また、道具を渡したチンパンジーも分け前を要求しません。



一方、対立が「殺し合い」にまで発展していくのは、ヒトだけの特徴であると書かれています。一見矛盾するようなこの行為が、実はお互い裏腹の関係にあるという説明は、とても納得のいくものです。



「共感」があるが故に、「他者」が自分の仲間に不正な行為をすることを許せません。不公正な人が社会で勢力を得れば、「協力という美徳」が崩壊します。故に社会を保護するために、そのような人たちには罰が下されます。



第二章「投げる人」では、ホモサピエンスが「投げるという行為」を発見したことによる進化が語られています。



飛び道具の発見です。6万年前、ホモサピエンスはアフリカを旅たちました。紅海を渡りアラビア半島に辿り着きました。しかしこの「出アフリカ」は、第二回目でした。一回目は12万年前です。この時は、宿敵ネアンデルタール人に行く手を阻まれて敗退しました。この亜種人類ネアンデルタール人が、なぜホモサピエンスに駆逐されたのかには、いろいろな説があります。この本では、人類が「投げる人」になったからだと言っています。そしてこの投擲具が「心」を変えたのだと。



第三章「耕す人」では、農耕による富の蓄積が人の心にどのような影響を与えたかが述べられています。初めて「人間」がこの世界で上位に位置付けられました。そして、人間社会も平等社会から階級社会に変わっていきます。



最後に、第4章「交換する人」で述べられるのは、繁栄が人類の心をどう変えたのかです。「交換」とは非常に高度な信用に裏打ちされている…、とのこと。この章を一言では表現できませんが、ギリシャ、アテナイでの世界通貨と言うべきコインの発現が、『アンティゴネ』などのギリシャ悲劇を産み出したという指摘はとても興味深く感じました。





全体として、とても分かりやすく、読みやすく、興味どころ満載……、といった感想を持ちました。












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2018年6月11日月曜日

IoTの時代に向けて




今年の初め頃からどうも花粉症になったような気配がする。くしゃみと鼻水が止まらない。しかし、最近掃除をサボっていることもあるので、ダスト・アレルギーかもしれないとも思った。医者に掛からないので真相はわからない。



それで、ちょっとぜいたくかとは思ったが、iROBOT買った。もう、少しくらいの贅沢をしても良い歳だろう。使ってみると、なんて素晴らしいのだろうか。iROBOTの動きに見入ってしまう。



一回目の始動時は、部屋を右往左往しているのを見て、大丈夫かと心配した。二階の部屋で使っているが、そこは二部屋続きで、間に引き戸の溝と段差がある。そこで、その動きの回転が狂ったりして、二つの部屋を行ったり来たりと迷走していたのだ。使っている内に部屋の構造を掌握したのか、迷わず掃除し始めた。一回だけブラインドの紐に絡まって死んだようになっていたが、わたしが紐の処理をしてからは、上手く掃除している。








通常、週二回掃除している。iROBOTが部屋を掃除しやすいようにと邪魔なもの――椅子やクズ籠や床に置いてある体重計等――を廊下に出す。そして、ドアを閉めると言いう工程となる。ドアを開けておいて廊下も掃除してもらうというオプションもあるが、今のところは保留している。廊下からの階段から落ちないかと心配だから。もちろん落ちないだろうけど。



そして、わたしは一階に降りて、自分の朝の仕事を始める。しかし、iROBOTOのスィッチを入れてすぐにドアを閉めればいいものを、やはり少しの間iROBOTの動きを見つめてしまう。それは、少しバックして自分のホーム(充電器)から離れる。そして半回転して向きを変え、障害物にぶつかるまで前進する。と、また半回転して前進する。その毎回の半回転が微妙にずれていて、軌道が少しずつ横にずれていくという仕組みのようだ。初めは障害物にぶつかる時、思い切りぶつかって大きな音を立てていたが、今では学習したのかソフトになった。



わたしが、一階で仕事をしていると、時々二階からゴトゴトとiROBOTが部屋の敷居を往復している音が聞こえるが、その内にわたしはそんなことはすっかり忘れてしまう。しばらくして、何かの用事で二階に上がると、ああそうだと、iROBOTの存在を思い出す。「どうかな?」と、ドアをそっと開けてみる。すると、それはすでに自分のホームに帰り静かに収まりかえっているのだ。



ちょっと感動モノの一瞬だ。何も言う事を聞かない人々のいる人間社会で暮らしていて、何も文句を言わず、仕事を終えたら黙って自分の居場所に戻っているそれを見ると、愛おしさを感じる。こんなわたしみたいな人間は、人を避けて自分のいう事を聞く機械の方へのめり込んで行くのかも知れない。










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2018年6月1日金曜日

6月1日です。

ちょっと、ブログUPをサボっている間に、6月になってしまいましたねえ。

今まで、月に8回のUP目標が、囲碁の趣味が増えてから、月に4回になってしまいました。それが、この頃では、それさえ守れないように……。

今日は、今日の新聞から。

今までも取り上げていた『折々のことば』からです。

クラシック音楽の作曲家、指揮者の「武満徹」さんの言葉です。

人間の発音行為が全身によってなされずに、観念の嘴(くちばし)よってひょいとなされるようになってからは、音楽も詩も、みなつまらぬものに…

声を出そうとする行為は、肉体の挙動のひとつだと、彼は言っています。

わたしが、感じるところ、それが口先だけの発話になって、その語る意味も希薄になった……、というような事かと。」

彼が言うところ、

発話(これは私の言葉ですが)は、ため息や叫びと同じく「意味が言葉の容量を超える時に起こる運動」と。そして、それは時に、「論理性を断ち切り」もする。








わたしが言いたいことは、

日本語って、話し言葉ではなく「書き言葉」だよねー、という事。しゃべるときに、文字で話しているのではという事。

日本の小学校では、日本語の発音方法を教えていない。読む(音読ではない)事を重視。だから、英語とか中国語、その他の言語の習得の時につまずいてしまうのだ。彼等の方も、日本語の発音に注意を払っていない日本人の発音に戸惑ってしまっている。「何故、同じ単語で違う発音なの?」と。


なんでも、受け入れる日本語は、それなりにマスターしやすいとも言えそうですが。











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