今日の「折々のことば」です。(朝日新聞のコラム)。
「わかる」と言ってくれる人ほど敵だ。(品田遊)
ニュースに「許せない」と憤り、猫を見て「ほっこり」し、英雄譚に「スカッと」する。人の感情は「出力そのものにあらかじめ反応が織り込まれている」と作家は言う。ちょっとしたモヤモヤもすぐにみなと同じリズム乗せられる。そんな滑らかさが嫌で、一日の終わりに『淀み』を残すために日記をつけていると。ーーー鷲田清一・解説
この間の「折々のことば」には、「愛すべき愚かな隣人が苦境の時に助けてくれる人々なのだ。」というような物があった。
わたしは、その通りだと思う。
知り合いが、田舎の生き辛さを語っていた。何でもおせっかいに口を挟んでくる人。根掘り葉掘り聞いてくる人。プライバシーをどう思っているのかと。
わたしは言いました。でもそういう人こそが、道端で転んだ時に一番に駆け寄ってくれて、助け起こしてくれて、「大丈夫か?」と言ってくれるのだと。(「愚かな」隣人と言ってしまうのはどうかと思うが。)
が、今日の「折々のことば」にも共感する。
ちょっとした友人が、本当に平凡な単純な本を読んで、「面白い。勉強になる。」と言う。わたしが、何かの話で「大江健三郎の『死者の奢り』を読み返してみた。」と言ったところ、「難しい本を読んでいるんだね。でも、それは、私も読んだよ。ドロドロした話だったけど、読み終わった後、なんかスカッとして、爽やかに気分になった。」と、同じ彼女が言った。
爽やかになったって。。。わたしは、読み終わったあと鬱々して、しばらく立ち直れなかったのに。。。
彼女は、本当に良い人で、だから友達でいられる。しかし、なぜこの文章を書いているかと言うと、
先日の忘年会の事。わたしはビールを飲むが、彼女は飲まない。カシスソーダを飲んでいる。なにかの拍子に、「そんなマイナーな本ばかり読んでいるからだよ~。」と言ってしまった。その瞬間「しまった!」と思ったが、彼女は、どの本の事と言ったので、「内田康夫だよ。」と言ってしまった。
だから嫌なんだよ~。飲まない人と酒席を持つのは。こちらは、口を滑らすが、相手は素面だ。そのあと、わたしは、またも鬱々し、未だに尾を引いているのだから。