人生とは、「死ぬまで生きる」ということか。「生きる」とは、時間との闘いです。つまり、如何に「時間の存在」を忘れるか。時間を忘れている間は、「死」が忍び寄ってこないからです。
という訳で、わたしは良い職業を選べたと思います。銀製品を制作しているあいだは、時間が止まっていたから。そして、寄る年波で制作がうまくいかなくなって来た時、「何をしようかあ?」と。
死ぬまで続けられる趣味は何かな、と。それで囲碁を始めました。囲碁の話です。
他にもいろいろな趣味はあるでしょうが何故囲碁か。俳句にも興味がありますが、良い俳句を詠めたかどうかはなかなか判断が難しい。が、囲碁は勝負に負ければそれは良くなかったんだと思えます。
他に将棋もあります。将棋は、勝ちの最終図がわかりやすい。王将を取られたら負けです。そこから逆算して、どうしたら取られないか又は取るかを考えられます。
また、将棋にはたくさんのルールがあります。ひとつひとつの駒の意味もあります。動かせる場所が決まっています。つまり、制約がある分、判断しやすいと言えるのでは。素人の考えですが。
囲碁は、全くと言っていいほどルールがありません。順番に一個づつ打つ。あとは、石が取れる条件でしょうか。碁盤の大きさは決まっていますが。
囲碁を始めて9年。10年でなんとか打てるようになろうという目標でした。段は上がらないものの、なんとか「打てる」ようになってきました。
囲碁は、最終的な「勝ち」の図がわかりにくいと思っていましたが、最近ようやく「囲碁とは何か」ということがおぼろげにわかってきました。そこに向かうにはどのように打ち進めて行けばよいのかが少々わかって来たのです。わかるのが、「遅すぎ」ですが、すぐわかるくらいならプロになっております。
対局が楽しくなってきました。今までは、「苦しい」方が多かったのですが。しかしながら、「苦しみ」は残ります。対局後に一回ずつの反省です。「なんで囲碁なんか選んじゃったのかなあ。」というボヤキが対局場で聞かれます。みんな日々苦しんでいるんだねェ、と。
囲碁でもAIが人間に勝つようになりました。そこで、あらゆる定石が覆されています。定石は半分くらいになったと言われています。今まで人間が長年こう打つべきと思っていたことが、「思い込み」であったとわかったのです。
しかし、AIは「何故か」という理由は教えてくれません。そこでプロ棋士が、新しい定石を考えつつあります。今は、混迷期です。
頭の柔らかい人たちは、新しいAIのやり方を研究しますが、初めから拒否する人々がいます。そんな先生に当たると最悪です。何事も新たな息吹を感じ取ることが必要ですね。
とりとめもなく、以上、話は終わります。