2022年6月24日金曜日

囲碁の話です。が、ほとんど妄想。


 

人生とは、「死ぬまで生きる」ということか。「生きる」とは、時間との闘いです。つまり、如何に「時間の存在」を忘れるか。時間を忘れている間は、「死」が忍び寄ってこないからです。


という訳で、わたしは良い職業を選べたと思います。銀製品を制作しているあいだは、時間が止まっていたから。そして、寄る年波で制作がうまくいかなくなって来た時、「何をしようかあ?」と。


死ぬまで続けられる趣味は何かな、と。それで囲碁を始めました。囲碁の話です。


他にもいろいろな趣味はあるでしょうが何故囲碁か。俳句にも興味がありますが、良い俳句を詠めたかどうかはなかなか判断が難しい。が、囲碁は勝負に負ければそれは良くなかったんだと思えます。


他に将棋もあります。将棋は、勝ちの最終図がわかりやすい。王将を取られたら負けです。そこから逆算して、どうしたら取られないか又は取るかを考えられます。


また、将棋にはたくさんのルールがあります。ひとつひとつの駒の意味もあります。動かせる場所が決まっています。つまり、制約がある分、判断しやすいと言えるのでは。素人の考えですが。



囲碁は、全くと言っていいほどルールがありません。順番に一個づつ打つ。あとは、石が取れる条件でしょうか。碁盤の大きさは決まっていますが。


囲碁を始めて9年。10年でなんとか打てるようになろうという目標でした。段は上がらないものの、なんとか「打てる」ようになってきました。


囲碁は、最終的な「勝ち」の図がわかりにくいと思っていましたが、最近ようやく「囲碁とは何か」ということがおぼろげにわかってきました。そこに向かうにはどのように打ち進めて行けばよいのかが少々わかって来たのです。わかるのが、「遅すぎ」ですが、すぐわかるくらいならプロになっております。


対局が楽しくなってきました。今までは、「苦しい」方が多かったのですが。しかしながら、「苦しみ」は残ります。対局後に一回ずつの反省です。「なんで囲碁なんか選んじゃったのかなあ。」というボヤキが対局場で聞かれます。みんな日々苦しんでいるんだねェ、と。


囲碁でもAIが人間に勝つようになりました。そこで、あらゆる定石が覆されています。定石は半分くらいになったと言われています。今まで人間が長年こう打つべきと思っていたことが、「思い込み」であったとわかったのです。


しかし、AIは「何故か」という理由は教えてくれません。そこでプロ棋士が、新しい定石を考えつつあります。今は、混迷期です。


頭の柔らかい人たちは、新しいAIのやり方を研究しますが、初めから拒否する人々がいます。そんな先生に当たると最悪です。何事も新たな息吹を感じ取ることが必要ですね。


とりとめもなく、以上、話は終わります。




2022年6月19日日曜日

本を読む。


 

無性に本を読みたくなる時があります。


今、手元にあって読もうとしている本は、


『楽園への疾走』 J ・G・バラード

『マイケル・K』 J.M.クッツェー

『いにしえの魔術』 アルジャーノン・ブラックウッド

『虐殺された詩人』 アポリネール


『マイケル・K』は、割と最近買いました。後は、買ったけどまだ読んでない本。この類の本は本棚にたくさんあります。若い時分に「老後のために」と買いました。が、今が老後です。未だ読めず。


『いにしえの魔術』は、読みかけです。すぐ読めそうな気がします。しかし、今読んでいるのは、最後の『虐殺された詩人』アポリネールです。



講談社文庫の本です。アマゾンで検索したところ、現在は売っていないようです。白水社のものは掲載されていました。しかし、講談社文庫の『虐殺された詩人』の表紙はビアズレーのもので素敵なんです。


廃刊かあ~、と思って奥付を見てみたところ、昭和55年に買った様です。第3刷ですが。


読み出したところ、難しい。第一「詩」事態が難しい。若い時も途中で投げ出したらしく、栞が本半ばにありました。


う~~~ん。若い頃は理解できなくても、「とにかく読んだ」というものはたくさんありますが。


が、この歳になると「先が短い」ので、理解したい。しかし難しい。どうするか試練の時です。


短編集なので、他の理解しやすいものから読んでみようかなあと、妥協案です。




2022年6月17日金曜日

ジャニス・ジョプリン 2




以前、ジャニス・ジョプリンのことを書きました。TVコマーシャルで彼女の歌声が流れ、懐かしいなあ…と。


彼女のCDを買ったとき、家で聞くと涙が流れました。それで、今もう一度聞くにはどこで聞くのが良いのか? と言うのは、現在、CDを聞くのは、車の運転中かお風呂に入っている時だけだからです。


先ずは、CD置き場を探ってみました。オオッ、ボブディランもあった。って、全部自分で買ったんですけど。


その他、懐かしいCDがゴロゴロ出て来ました。自分の好きなものを買ったんですから、当然と言えば当然です。




しかしながら、ジャニス・ジョプリンを聞く決心がつかず、先ずは、ボブディランをお風呂に入りながら聞くことに。今までは、ジャズを流していました。ジャズは、現代のフリージャズです。


もちろん歌詞はナシ。モダンジャズのように感情移入をするところもナシ。ただ、音の流れを楽しんでいました。が、ボブディランは違う。聞いていると、英語の歌詞を辿ってしまうんです。意識がそちらに行ってしまいます。


やはり感情の起伏が起こらない、聞いていて心地よい曲がいいなあと(フリージャズは、心地よいと思うところでハズスので心地よくはないが、それが好きだから)。


と言う流れでしたが、今日決心して、車のCDをジャニス・ジョプリンに替えました。まだ近所のスーパーに行ったときに聞いただけです。昔ながらのロックのイントロが鳴り響いて~~~良いなあ~~~と。


運転しながら泣く?かどうかは、これからです。




2022年6月8日水曜日

夏の節電要請


 

今、話題のニュースです。


なんだか、日本って良いなあ~、って思ちゃって。節電で「良いな」は変ですけど。


宅配便がちゃんと届いたり、店員さんが親切だったり、日本には、他の国では考えられないことがたくさんあります。(嫌な事もたくさんあるが)。電気もそのひとつです。



マルタに居た時、3か月間、安物のコンドミニアムに住んでいました。ある時、突然停電しました。そこで幼い頃の習慣通り、外に出てみました。電気が来ないのが我が家だけなのか、このビルだけなのか、マルタ全体なのかを見るためです。


ドアを開けると、他の住人がいました。それで彼に電気は止まっているか聞いてみると、「そんな事はないでしょう。ブレカーが落ちているんじゃないのか?」って。それでは部屋のブレカーを調べてくれました。ちょっと怖かったけど。。。(だって、一人だったし、初めて会った人だから。)


結論は、異常なし。彼が去ってしばらくすると元に戻りました。ラジオが聞こえ出したのでわかりました。


で、次の日、英語学校の先生にその話をすると、「ああ、国が電気を止めたのね。」って。つまり、国は予告なしに、電気が不足しそうな時には、通電をやめるのです。そんなことは、しょっちゅうだと言うこと。


「何にもしてない時でよかったよ。シャワーで頭でも洗っていたら、頭が泡だらけで水が止まってしまうのよ。泡だらけで2~3時間過ごさなければいけないよ。」って。


そこで、「日本はいいよね~。」です。ちゃんと予告してくれるんだから。予告するということも、予告してくれるんだから。








2022年6月3日金曜日

上海生活


上海で暮らしたことがあると言っても、2003年から2005年までの約2年間です。それも北京オリンピックや上海万博以前の話ですから、上海は、まだまだ今の様相を呈していませんでした。と言っても、中心地は高層ビル群。日本より発展している側面もありました。


最近のロシアのウクライナ侵攻で、中国のこともよくニュースに取り上げられるので思い出しました。


習近平の「人権無視」、「思想統制」の事などです。でも、中国の人は、国家のやることをそんなに身近に感じていないと思います。


中国人の友達を見ていても、一番大事なのは家族、そして、親戚、そして地域のこと。国家は、異次元で活動している組織の如。しかしながら、日本もそうですよね。たいていの人は、政府のいうことに反応しないし、関心もない。自分の日常をより良く過ごすだけ。思うのは、「民主主義」を自分の力で奪い取った市民と与えられた市民の違いかと。



話が逸れてしまいました。思い出したのは、上海の英会話学校で会った人たちのことです。友達に頼まれて、英会話学校に通っていました。その頃、上海にその手の学校が出来始めて、まあ、数合わせです。


一人は、よく覚えていませんが、「政府が何かを禁止したが、そのことについてどう思うか。意見を言う授業」。その時の生徒は3人で、わたしと台湾人と中国人。わたしと台湾人が自分の意見を言いました。先生が(中国系アメリカ人)あなたはどう思うかと、中国人に訊きました。割と年配の男性でした。彼は、「羨ましい。」と言いました。私たちが「えっ、」と言うと、「あなた達が自由に意見を言えるのは羨ましい。私たちは、政府に意見は言えない。」と。


またある時、30代くらいの女性が言ったことです。「小さい弟が間違って毛沢東の写真を破ってしまった。母は、驚いて警察に見つかるといけないので、その写真を隠した。その後、しばらくビクビクして暮らしていました。」と。


台湾人の女性は、「ここに居る人たちは、わたしを台湾人とは思っていない。中国人なんだ。」と。


上海では、おもしろい経験をしたと思います(辛い事の方が多いが)。先生も面白い人もいましたよ。アフリカ人の先生とか。何が面白いかと言うと、上海には似合わず、いつもパッリとしたアイロンの効いた白いシャツを着ていた事です。