2024年2月29日木曜日

昨日のコラムです。



「折々のことば」(朝日新聞)


自由という概念は空虚のなかには現れない。   トニ・モリスン


「米国のおける自由の概念は、白人に数え入れられたい人々の、黒人奴隷を自分たちの対極とするようなまなざしの中で形成されていく。」


なるほどなあ~、と、思いました。一つの概念はそれ自体では存在しえない。対立するものが必要。その対立関係において、それぞれの意味が確定するということか。


「自由」と言う言葉は、それ自体だけでは何の意味も産み出さないが(概念は存在するがぼんやりとしていて理解はできない)、「奴隷」という言葉があるからお互いの意味が確定し、理解可能になる。


「善」は「悪」があるから理解できる。


彫刻家は、「わたしが創り出しているのではない。木の中に存在する物が現れて来るのです。」というようなことをよく述べている。ひとつの「概念」を他の言葉で外側から囲んで彫り進め、絡みとっていくーーーというイメージ。


そう言えば、宇宙の物質は反物質があるから存在する。それ自体で存在する物はあり得ないのか。



わたしが「自由」と「奴隷」に反応したのは、奴隷がいなければ人類の繁栄はなかったなあと、思ったからです。「富」は、誰かを「搾取」することでしか産み出せない。全ての富が平均化し、全ての搾取が平均化する時は来るのだろうか……。


蜂や蟻は役割分担があり、一見、支配するものとされるものかのようだが、それらにはそんな概念はなく、「生きる」ということでは、平等です。人類にもそんな日は来ますか。


とりとめもなく、思いました。





2024年2月23日金曜日

最近わかった。


 

囲碁を10年続けていますが、最近ようやくわかりました。少々ですが、囲碁ゲームとは何ぞやーーーです。


なんと「チマチマ」としたゲームなのかと。


将棋は王将を取ると勝ちですが、囲碁には「何をしたら勝ち」ということはありません。もちろん地所を多く取ると勝ちですが。


石を取るという醍醐味はあります。が、別段取られても最終的に地合いが多ければよいのです。相手の石を取って、これ以上対戦者がわたしの石を取っても、わたし以上の石数が得られないとわかれば、「中押し勝ち」で勝利します。ーーーこれが一番気持ち良いです。


互いに石を取れないと、チマチマとひとつふたつと、地を増やしていくことになります。これはこれで、大変な事です。一手、一手の計算が必要。


こういうのが好きな人がいます。いくらこちらが戦いを挑んでも、ノラリクラリとかわします。戦いに乗ってきません。



辛い。


わたしもキライではありません。若い時、監査法人に6年くらい勤めていました。その時の仕事はこんなようなもの。チマチマと帳尻を合わせて行くーーーというような。合うと、それなりに達成感があり満たされます。


が、exciting ではない。


そんなヤツに会うとイライラします。そして、負けます。自爆です。


一時、ヨセに強くなろうと思いましたが、やはり上野愛咲美を狙います。ヨセもそれなりに学びますが。





2024年2月19日月曜日

雑感。


 

この頃、わたしは何故「出かける」のだろう?と思う。と言って、スーパーマーケット以外に出かけるところは、そうそうありませんが。まあ、週三回の囲碁の対戦くらいです。2回は棋院へ、1回は同好会のようなところへです。


もともと、出不精です。家にいるのが一番落ち着きます。まあ、誰にも会いたくないのです。ストレスを感じるから。


それが一番ストレスを感じる囲碁対決にどうして出向いていくのか?


対戦自体は楽しいです。でも、ゲームソフトで対戦している方がリラックスできるし勉強にもなります。相手は全く文句を言わないので、好きなようにできる。しかし、負けると腹が立つ。が、自分の不甲斐なさに腹が立つだけ。ゲームに恣意性はないので、勝ったからといって、個人的なイジワルあるいはサゲスミは無いのです。




という訳で、どうしてか?


人間、どうも人に会うことが必要らしい。仙人にはなれないようです。


と言って、おしゃべりしたいわけではないーーです。「わたし日常会話ができないのよ。」と、友達に言うと(わたしは人付き合いが悪いのに、たまに近づいてくる人がいる。そして、わたしを大好きだという。)、「そんなことないよ~。」って、日常会話ができない人が可哀そうだといった感じでした。


あらまッ。


良いお天気ですね~。とか、暖かくなりましたね~。とかは言える。それ以上の事は言えない。昨日どうしたとか、あの人がこんなことを言っていたとか「あたりさわりのない会話」ができない。わたしの会話は、全て「あたって、さわって」しまうのだ。そして疎まれる。


だから、何も言わずに囲碁対戦をして人の気配を感じるのは、良いかもしれない。なにかプライベートのことを聞かれ始めるとうっとおしいが。まあ、皆さん、対戦の方が大事な様で、勝敗が決まったら、「はいさようなら」といった体なので、やっていけるーーーです。


以上。





2024年2月2日金曜日

コンセンサス 2

 



息子の帰省の時の事である。


わたしは、家にいる時は常にテレビをつけている。薄~くである。かろうじて聞こえるほどの音声で。息子が来た時もそんな状態だった。


僕は、戦争が始まってからテレビは見ていない。

そうなの。悪かったね。音声下げるよ。(消しはしなかった。)


それから政治の話になって、




どこが政権を取ろうが興味ない。何も変わらないよ。


そうだね。自称アナーキストとしては、わたしもそう思うけど、自民党から変わったら、1ミリくらいは前進するかもしれないよ。震災の原発事故の時も民主党政権だったから、少しは透明性が出たかもしれないし。


そうかもしれないが、だいたい65歳以上の政治家は辞めればいいのに。


そうだよ。死ねばいいのに。


死ななくてもいいけど、引退してほしい。




関西系のわたしは、日常会話に「死」がふつうに出るが、息子はその遺伝子を受け継いでいないようだ。「一回死んで来い!」などとは、言わないようだ。


とにかく、65歳以上の政治家は「引退する」か「死ぬ」かで、意見の一致を見た。


またまた麻生氏の発言が物議を醸しだしている。まったく人権意識がないんだね。なんだか生きる亡霊のように森元首相も出てくるし。


まったく、何だかねェ~だ。