2024年2月29日木曜日

昨日のコラムです。



「折々のことば」(朝日新聞)


自由という概念は空虚のなかには現れない。   トニ・モリスン


「米国のおける自由の概念は、白人に数え入れられたい人々の、黒人奴隷を自分たちの対極とするようなまなざしの中で形成されていく。」


なるほどなあ~、と、思いました。一つの概念はそれ自体では存在しえない。対立するものが必要。その対立関係において、それぞれの意味が確定するということか。


「自由」と言う言葉は、それ自体だけでは何の意味も産み出さないが(概念は存在するがぼんやりとしていて理解はできない)、「奴隷」という言葉があるからお互いの意味が確定し、理解可能になる。


「善」は「悪」があるから理解できる。


彫刻家は、「わたしが創り出しているのではない。木の中に存在する物が現れて来るのです。」というようなことをよく述べている。ひとつの「概念」を他の言葉で外側から囲んで彫り進め、絡みとっていくーーーというイメージ。


そう言えば、宇宙の物質は反物質があるから存在する。それ自体で存在する物はあり得ないのか。



わたしが「自由」と「奴隷」に反応したのは、奴隷がいなければ人類の繁栄はなかったなあと、思ったからです。「富」は、誰かを「搾取」することでしか産み出せない。全ての富が平均化し、全ての搾取が平均化する時は来るのだろうか……。


蜂や蟻は役割分担があり、一見、支配するものとされるものかのようだが、それらにはそんな概念はなく、「生きる」ということでは、平等です。人類にもそんな日は来ますか。


とりとめもなく、思いました。





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