2026年10月14日水曜日

久しぶりに『折々のことば』です。


 


「文字ノ精ガ人間ノ眼ヲ食イ荒ラスコト、猶、蛆虫ガ胡桃ノ固キ殻ヲ穿チテ、中ノ実ヲ巧ミニ喰イツクスガ如シ」


中島敦氏の短編小説からの引用です。


文字の霊を調べる老博士が、文字のバラバラの線に意味を与えるのは文字の霊だと直観する。同時に文字を知ることが、見落としが増えたり、臆病になったりと、生そのものに障ることに戸惑う。


もう一つ、


「何事にも辻褄を合わせたがることの中には、何かしらおかしな所がある。」


同じく中島敦氏の短編小説『文字禍』からです。


着衣が皮膚を、乗り物が脚を弱くしたように、文字とともに人の頭脳はむしろ働かなくなった。と。




私が常々思う事です。人は何かを定義するたびに、定義からすり抜けていったものを見失う。何かをマニュアル化することで、一般人には使いやすくなったり、何かを作り上げたりし易くなるが、マニュアル化から抜け落ちたものに気付かなくなる。


「言葉」もそうです。感情を言葉にすると、そこから何かが抜け落ちる。


この『折々のことば』は、哲学者のものではなく小説家の小説の中からのものということで、この短編集『文字禍』に興味を持ちました。アマゾンでしらべると今では、出版されていないようです。


しかし、円城塔が中島敦をリスペクトして同じ題名の小説を書いている模様。円城塔自身の小説は、『Self-Reference ENGINE』しか読んでいません。あまり評価していないのですが、しばしば、円城塔に出会います。何かしらの因縁があるみたいです。



読むかどうか、ーーー考慮中。。。






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