2019年4月21日日曜日

大変です!!!









先日テレビを見ていましたら、細胞の培養によって肉ができる技術が完成したと言っていました。食べる肉です。世界の人口の爆発的増大で、今は75億人でしょうか、将来的に食料が不足します。その時のために、いろいろな人が代替食品を考えている訳です。



ユーグレナなどもそうですが、その番組では、大豆による模造肉と「本当に肉を造る」という2種類を紹介しました。大豆の方は、進化はしたものの、今まで通りの「肉に真似た」食品です。食品会社の研究です。



しかし、「本物の肉」の方は、アメリカとも研究協力をしているベンチャー企業。今までは、肉を100g造るのに、2000万円くらい掛かっていたそうですが、今回は、肉の細胞を培養する培養液を開発。培養液もその動物の内臓などを作りそこから作成される「本物の液」を使用します。



彼等は、実際ハンバーグを作り、食べる映像をオンエアーしていました。3~4年でコストを下げて、5~6年で市販できるようにするそうです。最初は、高くても買える人をターゲットに「フォアグラ」から始めると言っていました。








何か間違っていません???



第一に、本物の肉はいかがなものでしょうか。肉の食べ過ぎで肥満が蔓延している現在、肉を造ってどうするの。少々、味は劣っても、大豆の肉の方が健康的ではないですか。第二に、世界の飢えた人を救うために「フォアグラ」とは如何に。



最後に、内臓や肉まで創り出したら、『人造人間キカイダー』は、もう眼の前ですね。という事です。




2019年4月15日月曜日

マーク・トウェインの作品は簡単で読みやすいが一筋縄ではいかぬ。



IS HE LIVING OR IS HE DEAD ?





MARK TWAINの短編小説の題名です。『THE COMPLETE SHORT STORIES OF MARK TWAIN』の中の一編です。MARK TWAINの作品は、大好きで読んでいる訳ではありません。英語の勉強の一環として読んでいます。が、他の作品を読むよりは興味を持って読むことは出来ます。



MARK TWAINの生き方に興味があるのです。MARK TWAINは、一般的には子どもの読み物とか「オモシロ話」として受け取られていそうです。実際、童話や子供向けの「ほら話」などの本によく取り上げられていますから。『トムソーヤの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』などから、わたしの周りの人も、「ああ、あの童話を書いている作家。」といった感じの認識です。



しかし彼の作品は、もっと皮肉っぽいものです。話の筋が単純なので子供向けと思われているのだろうか、あるいは、日本語に翻訳されて紹介されている彼の作品が、少々毒気を抜かれているのだろうか。晩年の作品は、そんな彼のシニカルな面が強く表れてきています。実際、人間嫌いになって、ひとり静かに死んでいったようです。



EUが公用語を決める時に、英語が第一公用語になりました。その時、英国のブレア首相が、「英語を徐々にわかりやすく直していく…」、と演説したという話が、まことしやかにネット上に蔓延しました。例えば、「カと発音するCは、Kに変える」というような。CANDYならKANDYのように。また、thの発音はなくすとか、完了形をなくすとか。等々。



わたしは、「うまくできているなあ…、ほんとにそうだ、そうするべきだ。」と大賛成。でも、その後、そのネットの話のネタがMARK TWAINの原稿によっていると知りました。その時から、MARK TWAINがホントはどんな人なのだろうかと興味を持ったのです。











THE COMPLETE SHORT STORIES OF MARK TWAIN』の作品は、お話は単純で単語も難しくはなく、英語の勉強には向いていると思います。が、単語が古いということはあります。そして、簡単な物語は、読んでいてフンフンと読み流してしまいそうですが、一筋縄ではいきませんよ。まるで落語のようにオチのある話もあります。



もうひとつ彼の作品が単純と思われるのは、時代のせいではないでしょうか。彼の生きた時代は1835年から1910年。彼が著術をしていた時は、まだ19世紀末の洗礼を受けていなかったのです。まだまだ資本主義社会も成熟しておらず、人々の苦悩も複雑化していない頃、と思うのですが。



IS HE LIVING OR IS HE DEAD ?』は、貧乏な才能ある若い画家達が自分たちの作品が売れないのは、世間の人が死んだ画家の作品を珍重するからだと考え、仲間の画家のひとりの死亡をでっちあげて、その人の作品を売り出そうというもの。その画家の名前がなんと「ミレー」です。フランスの有名な画家。このお話はフランスが舞台で、昔の小説にありがちな高級リゾートホテルの客の会話という態を取っています。



聞き役の紳士と語り役の紳士。その語り役の紳士が、画家の仲間の一人です。これは今まで誰にも言わず、秘密にしてきたが、もう話しても良いだろうと偶然同じテーブルに坐った紳士に語り始めます。彼らは、ひとりの仲間の死をでっちあげて、彼の描いた作品の値を吊りあげて来た。世間の人々は、作品の本当の価値ではなく、ちがう要素で作品を売買するということですね。そして、彼らは大金持ちになり、こんな高級ホテルにも宿泊できるようになったのだというお話。オチは、「さっき、目の前を通った紳士がミレーなのですよ。」というもの。



MARK TWAINの活躍した時代は、まだ現代の苦悩を知らなかった。ダダイズムも不条理演劇もシュールリアリスムもまだなかった。これらのムーヴメントは大衆の愚かさを揶揄したのでした。しかし、大衆の力は強い。そんな揶揄など吹き飛ばしてしまいました。「芸術」などという物は、もはや存在しない。あるのは、コマーシャリズムだけです。大衆に受け入れられないものは、作品としての価値はないのです。



MARK TWAINは、そんな世の中をシニカルに先取りしました。








2019年4月5日金曜日

人類とは違う「知性」の在り方



『愛しのオクトパス――海の賢者が誘う意識と生命の神秘の世界』





この本の著者は、アメリカの作家でナチュラリストということ。サイ・モンゴメリーさんです。彼女は、タコに興味を持ち水族館を訪れました。タコは人を見分けることができるらしく、彼女はすぐにタコに気に入られました。タコは好きな人間には腕を伸ばして絡ませるそうです。タコの吸盤には味覚を感じる能力があり、触れて相手の味がわかるのです。その味で誰かを見極めるのでしょうね。なんだかとてもeroticですねえ。吸盤が彼女の腕に吸い付くさまは、さながら恋人同士のよう…、と書かれています。



もともとタコは知能が高いと言われています。少々前の話ですが、サッカーのワールドカップで、スペインのタコが勝敗の予想をしているというニュースが流れたことがありました。もちろん、タコが予想をしているわけではありませんが。水槽に鍵をかけても簡単なものは開けてしまうとか、夜中に這い出して隣の水槽の魚を食べて、朝には自分の水槽に戻っているとか、そんなような話はよく聞きますよね。









この本には4匹のタコが登場します。そのそれぞれが違った個性を持っていることはもちろんの事、それ以上に興味深いのがタコの腕にはそれぞれにニューロンが集中し「脳のような」働きがあるという事。そして、腕それぞれが独立して行動しているので、「内気な腕」とか「積極的な腕」があると言われています。そう言えば、あの図体のでかい恐竜が、手足をその貧弱な脳でコントロールできたのかの答えは、4つの足にそれぞれ脳のような機関がある…と、いうことを思い出しました。



著者は、水族館でこのような聞き取りをし、新しい知性の可能性を感じます。このような話を聞くと、人類が万物の霊長であると豪語するのは「驕りである」と、いつも感じます。昔の人は、そのような万物からの知性を感じていたはず。いつの間にか、人類はどんどん増長していったんですねえ。神がいなくなって、科学が「宗教」となってしまってからなのでしょうか。



以前、『植物は「知性」をもっている』という本を読みました。植物は植物なりの知性を持っている。それは、人間の「知性の在り方」と異なるので、人間は植物が知性を持っていることを気付くことができないのだ…、という結論。もし、宇宙人が地球に遣って来ていても、人類の知性と異なる「知性」の持ち主であったなら、人間は彼らを知性ある宇宙人と認識することはない。あるいは、できない。つまり、人間は謙虚に我々の知性がこの世で「唯一の知性」ではないと気付くべきである。



あるいは、他の生物は我々人間を利用して繁殖しているのであるとも言える。我々は彼らを利用していると思っているが、逆にコントロールされていたりして…。そこまで言うと、SFになっちゃうかな。





2019年3月15日金曜日

こんなひと言――見つけちゃいました。





今読んでいる本から―――








フィリップ・K・ディックの『ガニメデ支配』を読んでいます。R・ネルスンとの共作なのですが、欧米のSFでは、共著は珍しくないとの事。しかし、ディックの力の方が相当勝っているようで、他のディックの作品と変わりありません。



家を改築中で、家に「滞在」していなければいけない事が多いので、この本を読み始めました。まだ途中ですが、「なるほど」と思った一言を紹介します。








「黒人は宗教さ!」



ディックのお話は、黒人とかどういう訳か「ジャップ」とか人種の事が良く現れます。この場面はこんな風です。



「<黒人>て言葉はなにを意味すると思う、裏切り女さんよ?人種か、それとも宗教か?」

「人種に決まっているでしょ」

「黒人は宗教さ、ユダヤ人と同じにな。白人もそうだ。白人教を別のひと言で表わすとなんになると思う?」

「知らないわよ」ジョーンは警戒しながら返した。

「<偽善>だ」



ガニメデ星人から地球を守る抵抗勢力の指導者、黒人のパーシィXとガニメデのスパイとして彼に接触する日系アメリカ人のジョーン氷芦の会話です。





これを読んで、何かに「人類に人種は存在しない。」と書いてあったなあと。『ヒトの変異』だったと思います。人は住む場所によって「色や体形」がその土地の環境に影響されているだけで、人の違いは「文化」であると。そんなような意味だった――です。





ナ・ル・ホ・ドです。





2019年3月11日月曜日

予告したのとは違う本の感想ですが……

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『我々はなぜ我々だけなのか』





この本は、一月末に読みました。温泉旅行に行って、時間があったからです。感想文を書く思いはありましたが、なかなか書けず仕舞い。そうこうしている内に、先日この本の書評が新聞に掲載されました。



そこに「新書」とあったので、「あれ~、もう新書になっちゃたんだあ。」――これは、早く感想文を書かねばと。でも、勘違い。わたしの本も新書でした。つまり初めから新書の相当売れ行きの良い本だったのです。という訳で、時代に乗り遅れないように感想文、書きます。






新聞の書評の題は、「原人に肉薄する科学者たち」です。我々ホモサピエンスは、現在は、地球上にただ一種。しかし、およそ200万年前に「原人」と呼ばれる人類がアフリカから出た後、さまざまな原人が世界中に住みついたのです。つまり、「亜人種」と言われる、ホモサピエンスと非常に近い人類です。そして、なぜ今、地球上には「我々しか」いないのか。



その理由は、まだまだ研究途中ですが、本書はどこまでその研究が進んでいるのかという内容です。また、それ以上に興味あることは、今までの本は、ネアンデルタール人に代表されるように、ヨーロッパの亜人種についての研究でしたが、本書は「アジアにおける人類の進化」がテーマです。アジア人として、興味が湧きませんか。



アジアには北京原人、ジャワ原人ばかりでなく、「第4章-フローレス原人の衝撃」や「第6章-台湾の海底から」、また、ロシアのデニソワ洞窟からは、10万から5万年前頃のデニソワ原人が発見されており、同時期にネアンデルタール人も存在していたことがわかっています。私たちは、以前は一人ぽっちではなかった様です。








わたしの第一の疑問は、人類は約20万年前にアフリカから脱出して世界中に居場所を拡大していきましたが、なぜその前に違う人類が世界中にいたのか―――でした。実際、第一回目の人類のアフリカ脱出は、ネアンデルタール人に阻まれました。二回目の挑戦で成功したのです。



本書によりますと、チンパンジーがボノボと別れた700万年前頃に人類である原人が生まれました。人類の歴史は、だいたい、初期の猿人、猿人、原人、旧人、新人となります。この区分は学術的なものではなく、一般向けの理解を助けるための用語です。英語にはないのですが、人類進化の流れを理解するには便利そうです。



300万年から200万年前の間にアフリカで原人が誕生します。ホモ・ハビリスです。ホモ・ハビリスはアフリカに留まっていましたが、ホモ・エレクトスが「出アフリカ」を果たしました。という訳で、ホモサピエンスがアフリカ脱出を図った時、すでに、亜種人類がユーラシア大陸に存在していたのですね。



この辺の事情はとても複雑で、いろいろ疑問が湧いてきます。現在では「アフリカ単一起源説」が確立していますが、これも21世紀に入ってからの事でした。それ以前には、それぞれの地域にいた原人から人類が進化してそれぞれの人種、つまり白人、黄色人種、黒人なんてこと?―――になったという説もありました。「是非、本書を御一読下さい。」と言うほかないです。



もうひとつ興味深いのは、以前、ネアンデルタール人のDNAが現人類にも存在し、ネアンデルタール人と我々の交雑があったと確認されています。クリスチャンには耐えられないような真実です。そのように、アジアの中の原人、ジャワ原人、北京原人、フローレス原人等々が我々の内にあるかもしません。その意味では「我々は一人ぽっちではなかった。」と言えるかもと、本書は指摘しています。













2019年3月3日日曜日

少々、GIVE UP

2月は、1回しかブログを更新できませんでした。

ここで、弱音を吐きますと、今、囲碁の昇段がかかっているのです。文章を書く余力がありません。

しかし、予告だけしておきます。

次回は(今度こそ)、『アナキズム入門』の感想文を書きます。

自分を追い込んで目標を達成するという、いつものパターンでありますが。






2019年2月10日日曜日

あのラヴクラフト以前にこんな人がいたのだ。

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The White People and other stories。作者はArthur Machen。この作者の事は何も知らないのですが、1887年から1901年という少々昔に書かれた作品です。何故この本を選んだかは、あのH.P.Lovecraft が「真ク・リトル・リトル神話体系」の構想を彼から得たと読んだからです。



で、読み始めてみて、単語はそんなにむつかしくないのに何故か意味がわからない。S.T.Joshiという人がIntroductionを書いているのですが、それをすっ飛ばして読んでいたので、これはIntroductionを読んでみなくてはなるまいと、読んでみました。そうすると何故かがわかりましたね。この本が書かれた時代のモラルです。今のようになんでもかんでも赤裸々に書いてある訳ではないんですね~~~。









表題のThe White People についてこのように書かれています。



This story----in which a young girl unwittingly reveals in her diary her inculcation into a witch-cult and, evidently, her impregnation by some nameless entity----transmogrifies illicit sex into a cosmic sin that will either lift us up into the ranks of the angels or plunge us down into the company of demons. And yet, Machen’s exposition of the details of the matter (especially the sexual element) are so indirect that many readers have been puzzled as to the exact nature of the scenario.



それでこれを読んだ一読者も理解できなかったので友達のラヴクラフトに尋ねたそうです。答えがこれ。



On account of a sympathetic action like that described in the prologue, the now-adolescent child----though without contact with any creative element----became pregnant with a Horror, to whose birth (knowing what she did of dark tradition) she could not look forward without a stark frenzy far beyond the fear of mere disgrace. Thus she killed herself.



そしてこのことが我々読者にわかるのは作者が最後に書いている------She had poisoned herself, in time. のフレーズのみなんです~~~。わたしにはラヴクラフトのような友達はいませんから、お手上げです。でも、詩と散文の間のような文章にはとても惹かれます。とうてい自分には書けないと思うけど、何かをつかみたいなあと、英語の本を読む事に日々苦悩しております。(石の上にも三年。の心境)