2013年8月13日火曜日

ダンテ『神曲』 (2)





ダンテの地獄は次のような構造になっている。



第一の圏谷:キリスト教の洗礼を受けていない者

��辺獄)

第二の圏谷:愛ゆえに現世を逐われた者

第三の圏谷:生前、大食いであった者

第四の圏谷:貪欲な吝嗇家、浪費家

第五の圏谷:地獄の下層界ディースの市

第六の圏谷:皇帝党

第七の圏谷:虚偽瞞着

   第一の円:人殺し、横領

   第二の円:自殺、財産を散財する者

   第三の円:ソドム、高利貸し

第八の圏谷:

   第一の濠:女衒

   第二の濠:女たらし、阿諛追従

   第三の濠:聖職売買

   第四の濠:魔術、魔法

   第五の濠:汚職収賄

   第六の濠:偽善

   第七の濠:窃盗

   第八の濠:権謀術策

   第九の濠:分裂分派

   第十の濠:虚偽偽造

第九の圏谷:裏切り者の円

   第一の円:カインの国―――肉親を裏切って殺した者

   第二の円:アンテノーラ―――裏切りによりトロイアを敗北させた者の名前による

   第三の円:トロメーア―――客人を裏切って殺した者

   第四の円:ユダの国―――恩人を裏切って殺した者



と言う風にダンテは地獄をすべてたどって行く。そして、第二部煉獄篇へと進む。





ここまで読んで来て、キリスト教、西洋中心のこの文学が何故世界でも有数の文学になり得るのかと言う疑問がわいた。もちろん、キリスト教文化の国で重要な文学作品の位置を占めるのは理解できる。しかし、キリスト教に関係のない国々ではどうなのか。



例えば、第五の圏谷ディースの市で円屋根の回教寺院が見える。イスラム教の寺院を悪の城と位置付けているのだ。また、第八の圏谷の第九の濠にはマホメットがいる。「俺はめった斬りにされたマホメットだ」と叫んでいる。もっと凄いのは、第九の圏谷の第四の円な名はユダの国である。



こんなこと書いていいの、と思って訳者あとがきを読んでみると、翻訳者平川祐弘氏も同じ考えらしい。「イスラム教の始祖を地獄の底に堕としイスラム寺院を下地獄の悪の城に見立てている『神曲』を世界文学の最高峰と呼び続けることははたして賢明なことだろうか」と書かれている。彼によると、『神曲』のアラビア語への翻訳はあるそうである。ただし、地獄篇第二十八歌は削除されていると。また、彼は以前、日本イタリア学会で「『神曲』に見られるキリスト教の厭うべき点」という発表を申し込んだが、断わられ、その理由の説明も得られなかったと付け加えている。



もう一人川本皓嗣氏も終わりに一文を寄せている。タイトルは『「喜劇」という名の大叙事詩』である。その中で、彼もダンテのゆるぎないキリスト教への信仰について述べている。ヨーロッパ中世と古典古代の融合と、逆に真っ向からの対峙という両面を、きわめて高い次元で体現しているとこるが『神曲』の偉大なる所以であると。



二人ともに、ダンテのこのキリスト教に対する大いなる自負について考察しているのだが、この事を抜きにしても『神曲』は偉大な詩であることに間違いはないと言っている。わたしにとっても、ダンテの描写力は素晴らしいと言い得る。ビジュアルのないただの言葉だけで地獄のおどろおどろしさを感ずることができた。もちろんこれには翻訳家の技もあるだろう。すばらしい翻訳家の恩恵で、我々読者は階段の第一段をオミットして、二段目から上れるというものだ。翻訳家のフィルターを通してより高い段階の観照が得られる。日本の翻訳文化に感謝と言うところである。







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