2013年8月13日火曜日

神曲







今、ダンテの『神曲』地獄篇を読んでいます。読んでいる途中なので、内容についてとやかく言うことはできませんが、(それから、「詩」なので、わたしに詩を味わう能力があるのかと言う疑問もあります)、興味深いです。わたしの弱点として、本筋ではなく細部にこだわりがいってしまうと事がありますので、その方向で書いてみます。





もちろん翻訳本を読んでいます。それで、興味を引いたのは、キリスト教の「地獄」でありながら、言葉は仏教用語が使われているという事。批難している訳ではありません。ただただ、おもしろいなあと思ったので。



例えば、三途の川。アケロンとルビは振ってありますが。その他、地獄の門番の「仁王立ち」とか、です。キリスト教自体が日本特有のものではありませんから、それに相応しい言葉がないことは当然です。それでも宗教らしい雰囲気を出そうとすると、一般の日本語より仏教用語の方がより的確であるのでしょう。



もうひとつ読みかけの本があります。Lafcadio Hearn の『Glimpses of Unfamiliar Japan』 です。こちらは英語で読んでいます。ハーンの興味は見るところ日本の(明治時代ですが)風景と、民間伝承(おとぎ話を含む)、仏教にあるようです。それで仏教用語とか日本特有の単語が頻繁に散見されます。彼は先ずは日本語でそれを示し、それから英語で意味を示します。時々はノートでさらに詳しく解説しています。例えば、Monju Bosatsu---the Lord of Wisdom。The Sai-no-Kawara, which is the place to which all children after death must go など。またこんなものもあります――innen, the result of errors in a previous life。



こんな本を二冊同時に読んでいるものですから、なおさらそれぞれの宗教の言葉使いに目が行ってしまう訳です。



もうひとつ、仏教の地獄への入口は三途の川で、道は三つしかありませんが(地獄の種類が三個と言う事)、キリスト教の方は九つあるようです。キリスト教の地獄は三角錐をさかさまにしたような形をしています。つまり、じょうろの内側を下って行くと段々と罪深い過酷な層になって行くという物。上層の界の方が広い円周です。翻訳ではひとつの階層が圏谷(たに)となっておりますが。わたしはまだ第七の圏谷を読み終えたところです。



興味深いのは、第一の圏谷は辺獄と呼ばれキリスト教の洗礼を受けていない人が行くところなのです。実際、ダンテの先達であるウェルギリウスも神によって辺獄から呼び出されてダンテの地獄めぐりの道案内をしています。その彼はキリスト教以前の人。つまり、キリスト教がなかった訳なので、どう考えても洗礼は受けられません。それでも「キリスト教の」地獄に行っちゃうのですね。その他、ホメロスなどの偉大なギリシャ詩人やソクラテス、プラトン、アリストテレスも。カエサル、ブルータス、キケロやユークリッドもいます。第二の圏谷は愛の為に罪を犯した人が行くところですが、そこにはクレオパトラもいます。



さすが、唯一の神、絶対神。キリスト教に全然関係のない人の罪まで引き受けてしまうのですね。どこかに日本の武将もいるかもしれませんよ。他人に暴力を加えた人として。





以上、本筋に関係のない感想でした。





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