今回の英語・読書会の本はモーパッサンの『LOOKING BACK』です。この作品を選んだ人は、いつも「世界の名作短編集」から小編を持ってくるので、フランス人のモーパッサン著ということになったのでしょう。英語への翻訳は、Translated by H.N.P. Sloman となっていました。
わたしは、世界の「名著」というものにほとんど興味がないのであまり読んでいませんが、モーパッサンの『女の一生』は、読みました。母が、わたしが中学生の頃、世界文学全集というのを、どういう訳か全部買ったのです。本棚一つ分くらいの量でした。河出書房の緑色の箱に入ったたいそうな全集でした。わたしは、心の中で「グリーンの本」と読んで、あまり近づかないようにしておりましたが、少しは読みました。その中の一つが『女の一生』だったのです。
高校生の頃読んだと思います。考えるに、その頃日本に伝播してきたアメリカン・ウーマン・リブに感化されていたので、題名に惹かれて読んだのでしょう。あるいは、世界最初の「意思を持った女」の本という宣伝文句に依るのかもしれませんが。しかし、わたしには、読んでいるうちに異様な匂いを感じた鬱陶しい本という感想しかありません。
今回この『LOKKING BACK』を読んで、臭いこそしませんでしたが、同様に鬱陶しい本でした。よくこんな暗い本を書けるなと。そしてまた、それに共感してしまう「自分」もいるにはいるのですが。ついでに、英語の電子辞書についている「ブルタニカ百科」でモーパッサンを調べたところ、
1850年生まれ、1893年没。87年頃から精神錯乱の兆候を来たし、92年に発狂、自殺を試み、精神病院で死亡。生来の暗い厭世観と冷徹な観察眼を特色とし、フランス自然主義文学の代表者とされる。
とありました。
然もありなんです。今回の作品のように人生を送れば、精神に異常をきたすか、自殺するは……、と。
内容は、この時代の特色でありますが、やはり、司祭が出てきます。それから、お城の持主である老婦人。この二人は、長い付き合いで、何でも話せる気心の知れた間柄。ある日、この老婦人が、司祭になぜ司祭になったのかと尋ねます。「結婚もしないで、子供もなく、人生の楽しみを全て捨てたような生活を」と。
“Come, M. le Cure(司祭の名前がM.), tell me about it; tell me how you made up your mind to renounce
all that makes the rest of us love life, all that comforts and consoles
us. What decided you not to follow the normal
path of marriage and family life? You
are neither a mystic nor a fanatic, neither a kill-joy nor a pessimist. Was it something that happened, a great
sorrow, that made you take life vows?”
この質問に答えるように、司祭Mの一人語りが始まります。
彼の両親は成功した小間物問屋で、彼をとても小さい時から寮のある学校に入れます。彼によれば、そんな小さな時から家族から離されて一人で暮らし始めれば、とても感受性の強い子供にとっては、考えられないような猛烈な苦痛を感じるのだと。たとえ短期間でも、抑圧が回復不可能なダメージを与えるのだと。
彼はそこでの学業を終えてから、これからの人生を考えるために6カ月の休暇を与えられます。彼は、彼のとてつもないSHYと感受性と抑圧からひとり自室に引きこもって過ごしていました。そして、ある日、散歩に出かけて時、小さな犬に出会います。彼は、その小さな打ちひしがれたような存在に出会って、自分の姿を見たように感じ、家につれて帰ります。それから、彼は、唯一その小犬に心を開き、いつも一緒に過ごすようになります。またある日、いっしょに散歩をしている時に、馬車が道の向こうからやって来ました。小犬は、その音に驚いて彼の方に庇護を求めるかのように向かってきました。その時、馬車に轢かれて死んでしまいます。
また、その描写の凄まじいこと、
I saw him roll, summersault, get up and
fall again amid the forest of legs; the whole bus gave two great bumps and I
saw behind it something writhing in the dust. He was almost severed in two; his
belly was torn open and his entrails were hanging out, spouting blood. He tried to get up and walk, but he could only
move his fore legs, which scrabbled at the ground; his hind quarters were
already dead. And he was howling pitiably, mad with pain.
それで、彼は、悲しみの内に部屋に閉じこもってしまいました。彼の父は、彼のその態度に怒り、「そんな犬が死んだことぐらいでそんなに悲しんでどうする。君の奥さんや子供が死んだとしたら、どうするんだ。」と言います。
“What will you do when you have a real
sorrow, if you lose a wife or children?”
その時、彼は気付きました。自分は痛みに弱いことを。
わたしの感想ですが、
彼は、自分が傷つかないために、「人のためにつくす」道を選んだのではないか。自分を捨てる(自分の感情を殺して人につくすこと)ことで、「人との距離を置く」と言うこと。彼は、「人を助ける」ために司祭になったのではなく、司祭という役柄を選んだ。つまり、人に感情移入してしまう自分を恐れ、自分の感情に重石をつけて、奥底に監禁してしまった。
そして、彼は「平穏な」日常を手に入れた。大事な存在を失うという恐怖もない、極めて平坦な人生を手に入れた。
この告白を聞いた老婦人は次のように言います。
“As for me, if I had not got my
grandchildren, I don’t think I should have the courage to go on living.”
彼は、もう一言も発せず、夜の道を自宅へと帰っていったのでした。
以上です。
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