2015年8月23日日曜日

さて、アスリートは機械化するのでしょうか――


来週は英語のトピック・クラスがあります。このトピックは、以前にも書いたことがあるのですが、その回のクラスが中止になってこの話題は宙ぶらりんになっていました。で、今回もう一度見直したところ、興味の対象が少しずれたので書き直してみました。

 

新聞記事などを題材にして話しあうクラスです。ですから、わたしが取り上げた記事は、朝日新聞のコラム「ひと」の中から伊藤数子さん(52歳)。題は『障害者スポーツをビジネスにする』です。

 

彼女の本業は、金沢市の企画会社社長。でも、NPO法人「STAND」を立ち上げ、障害者スポーツをネットで配信できないかと健闘中です。きっかけは、彼女の友達が障害者で電動車椅子サッカーの選手であったこと。2003年の大会にその彼が体調不良のため出場できなくなったのです。彼のためにその試合を見せたいとインターネットで中継しました。それが反響を呼び主催者から中継の継続を頼まれたのです。「障害者をさらしものにするのか」という批判もある中、彼女の思いは「迫力あるプレーは一般スポーツと変わらない価値がある」というもの。

 

福祉のイメージがある障害者スポーツですが、ビジネスとして成立すれば彼等たちの独立の基盤にもなるでしょう。あるいは誇りにも。彼女は大会の動画配信などで資金を集めます。広告や協賛金などで協力する企業も増えてきましたが、まだまだ黒字化は難しく、私費を投入している段階だそうです。

 



 

そこでわたしが気になるのは、かすかに記憶の片隅にある陸上選手です。彼は両足がないものの義肢を使ってのランナーです。その彼がパラリンピックではなくオリンピックを目指しているということ。それで、今回検索してみました。

 

彼の名前はオスカー・レオナルド・カール・ピストリウスです(現在は、残念ながら恋人を射殺した罪で服役中です。)。南アフリカ共和国のパラリンピック・オリンピックの陸上選手で、アイスランドの義肢メーカーが製作した刃のように薄い炭素繊維製の競技用義肢を使い、100m、200m、400mの世界記録保持者ということ。

 

彼は、2008年北京オリンピックに400mで出場することを目指していましたが、IAAF(国際陸上競技連盟)は、カーボン製の義肢による出場は協議規定に抵触すると決定。彼の出場は却下されました。しかし、彼はスポーツ仲裁裁判所に提訴し、結果、ピストリウスは健常者のレースに出場することができると裁定されました。つまり、彼の記録がオリンピックに出場できる基準に達していれば、なんの問題もなく出場は可能となりました。実際、2012年ロンドンオリンピックには400mリレーの選手として出場を果たしました。両足が義足の陸上選手が始めてオリンピックに出場したと話題になったことを覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。彼はまた、オリンピック閉幕後のロンドンパラリンピックにも同時に出場しました。

 

彼のモットーは、

"You're not disabled by the disabilities you have, you are able by the abilities you have."(障害によって不可能なのではなく、持っている能力によって可能なのだ。)

ということ。

 

 

興味深い検索結果はもうひとつあります。ソニーコンピュータサイエンス研究所、義足エンジニアの遠藤謙氏です。彼は、最先端のロボット義足や途上国向けの安価な義足の研究で米誌『テクノロジー・レビュー』の「世界を変えるイノベーター35人」に選ばれました。

 

彼は、「身体障害と呼ばれてしまうのは代替技術がまだないからにすぎない。」と明言しています。彼は次のように述べています。

 

「メガネのことを考えてみてください。視力の低い人がつけると普通の視力になり、しかもほとんど人体の一部と化して、デザイン性も高い。目が悪いくらいで身体障がいとは言われませんよね。なぜなら代替する技術がすでにあるからです。」

 

また彼の考えでは、足がないことはそこに余白があるということです。その分逆に健常者がふだんできないこともできるようになる。そういう可能性もありえるということ。つまり、健常者より速く走ることができるということです。

 

再び彼の言(そのままの引用でゴメンナサイ)

 

「人間は走るとき、膝下がバネのような働きをします。だから、バネを足より軽いもので再現できたら、そのぶん健常者より速く走れるはず。そういった現象が、たとえばパラリンピックで起きるのではないかと思います。

ふたつの意味で、身体障害という言葉を技術でなくしたい。ひとつは、障害を技術で代替できれば、それは傷害ではなくなる。もうひとつは、技術で代替することによって健常者の能力を上回れば、かえって傷害には身体性を拡張する可能性があることになる。そこまでいけば傷害と健常の境目はなくなります。」

 

 

どうでしょうか。そこで最初のこのUPのタイトルに戻ります。『さて、アスリートは機械化するのでしょうか――』……。

 

人間の能力には限界があります。いくら頑張っても空は飛べないし、新幹線より速くは走れません。しかし、テクノロジーには無限の可能性があります。遠藤氏の言うように、障害者はテクノロジーの力を借りて健常者より能力を持つことが可能になるでしょう。disabled personabled personに勝るということ。この状況で「アスリートである健常者」は何を思うのでしょう。またひとつ不気味な未来が出現するのかも???






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