2015年8月4日火曜日

イタロ・カルヴィーノ著作品について


今、イタロ・カルヴィーノの『遠ざかる家』を読んでいます。まだ途中なので感想は書けませんが、カルヴィーノのことについて少々。彼はわたしが大好きな作家です。彼は、1923年キューバで生まれました。しかし、両親はイタリア人で父親は農学者、母親は植物学者という環境。彼等はカルヴィーノが2歳になる時、イタリアの地に戻りました。そして、両親の「植物試験場」住みかに、幼少期を過ごしたのでした。1985年に亡くなっています。その訃報に触れ、また好きな作家が亡くなったかと自分の本棚を見直したものでした。

 

最初にカルヴィーノの作品に触れたのは、大学生の時と思います。その頃、植草甚一氏が刊行した雑誌『ワンダーランド』(後の『宝島』)を読むのが「カッコいい」ことだったので、彼が推薦したカルヴィーノに興味が湧いたのが一因と思います。彼の著作本は10冊、その他彼が編集した『イタリア民話集』を2冊持っています。

 

一冊目は、『木のぼり男爵』で、2冊目に購入したのが『まっぷたつの子爵』と思っていましたが、発行年月日を調べてみると『まっぷたつの子爵』の方が先でした。どうなのかなあ。『まっぷたつの子爵』は1974年に購入しています。『きのぼり男爵』は1975年です。そして、2005年に購入した『不在の騎士』とあわせて三部作となっています。題名から創造される通り、大人のための「童話」といった風情です。



 
 
 
 
 
『木のぼり男爵』は、木の上に上って生涯を木の上で暮らした男爵のお話。主人公コジモは十二歳の時厳格な父親に反抗し、食事の時間に退席して庭のカシノ木に登ったきり二度と下りて来なかったのです。

 

『まっぷたつの子爵』は、トルコ軍とキリスト軍の戦いの時代の話です。主人公のメダルト子爵は、その戦いのさなかトルコ兵の半月刀でまっぷたつにされてしまいます。そして右半分の身体だけ軍医の手当てで生き延びたのです。その後城に帰った子爵は、全てのものをまっぷたつにしようと試みます。今までは不完全な身体を持っていたと。半分の身体になった時、わたしは完全な身体を手に入れたのだ。半分になれば真実を手に入れることができると。

 

その後、城のある村に子爵のもう半分が戻ってきます。彼は、キリスト教徒と回教徒の戦いでの死体の山に埋もれていたのですが、そこを通りかかったキリスト教隠者に見出され、秘薬やなにやらで一命を取り留めます。そして、故郷を目指したのでした。右半分は「悪」、そして左半分の隠者に助けられた身体は「善」を体現していました。

 

『不在の騎士』は、2005年に買いましたが、書かれたのは1959年です。不在の騎士とは、鎧の中がからっぽの騎士です。自分が「存在するのかしないのか」の間で揺れ動く心情…か。

 

1960年、カルヴィーノ自身が、この空想的な<歴史>三部作についてのノートを残しています。その中で彼は、この三部作全体を人間の「存在」の仕方の歴史的進化を示すものと意味付けています。

 

『不在の騎士』(中世が背景)においては、盲目的な「不在」の状態の中で「存在」することを目指す原初的な人間、ついで『まっぷたつの子爵』(17世紀末)では社会によって引き裂かれている状態から「完全性」を回復しようとする人間、そして最後に『木のぼり男爵』(18世紀―啓蒙主義とフランス大革命の時代)で、自由主意志による選択を貫き通す(木に登ったまま、ついに地上に降りることなく生涯を全うする)ことによって真に人間的な「完全」に到達しようとする人間―――つまり「自由へと至る三段階」が描かれている。…と説明しています。

 

カルヴィーノはこのように書いていますが、これは作者による心情吐露であり、読者としては何ら彼の言葉に縛られることはないと感じます。この三作品の奇想天外な内容にただ「ホーツ」と感心してもいいはず。このブログを書いていて、「もう一度読み直してみようかなあ」と思ったところでした。

 

その他彼の作品で所有しているものは、

『宿命の交わる城』

『見えない都市』

『レ・コスミコミケ』

『柔らかい月』

『パロマー』

『アメリカ講義』

です。

 

『レ・コスミコミケ』は、大好きな作品でSF小説に分類されています。『柔らかい月』も大好きでSFぽいです。短編集ですが、そのなかの『鳥の起源』が一番のお気に入りです。以前、2か月ほど微熱が続き癌で死ぬんじゃないかと思った時、お棺の中に入れてもらう本は『柔らかい月』にしてもらおうと決心したほどでした。







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