ロボットのお話は大好きです。人類とロボットあるいはAIの関係あるいは共生は、今までは夢の未来のお話でしたが、最近になって夢のお話ではなく現実性を帯びてきました。ソフトバンクの「製品」人と意志を通じ合える(感情を持つと言っているが)というのが売り物のペッパーは、第一弾売りだしと共に3分で売り切れになったとか。私は筑波大山海博士が開発したHALが世にデビューして以来、その他のロボットについても追跡しています。
数年前の名古屋トリエンナーレでは、ロボットが舞台に立つという実験演劇が催されました。ひとつは、見かけはロボット(ペッパーのような)であるロボットが出演します。セリフや動作はあらかじめプログラミングされており毎回同じように役をこなします。もうひとつは、見かけは人間の女性そのままのロボットが出演します(多分、NHKの藤井彩子アナをモデルに造られたもの)。こちらは、セリフは陰で俳優がしゃべります。なので、劇の進み方次第でセリフを変えることは可能です。で、どちらが観客の共感を得たかというと、見かけはロボットの方でした。観客はそのこどものようなロボットの見かけと拙さに感情移入したのです。この実験の目的は、人の日常にロボットが入って来た時、人はどのように反応するのだろうかというものです。
ロボットが日常的に人間の生活シーンの中に存在することはまだまだ先の話でしょうが、今日、興味深い新聞記事を見ました。それは車です。自動運転する自動車です。これは見かけはヒトではありませんが、まぎれもなくロボットでしょう。日産やホンダなどの主要自動車メーカーは2020年を目処に実現を目指しています。記事ではそのために高精細な地図作りが本格化していると伝えています。人間がハンドルを握らなくても目的地に着く自動車にとってはそんなデジタル地図は欠かせないでしょう。自動車メーカーは地図データを自動車運転の心臓部と位置付けています。地図大手の会社と提携する各社の攻勢も激化している模様です。
このような社会が現実のものとなってくると、どのような「現実」が現れるのでしょうか。ロボット法学会なるものが存在します。法学者や技術者、官僚ら約60人が参加しています。ロボットが引き起こすであろう問題点をあらかじめ研究しルール作りを図ろうという意図です。
例えば、
ヒト型ロボット(ペッパーのような)を公道で使うのは違法かどうか。
自動走行車が事故を起こした場合、責任は誰にあるのか。乗車中の人か、車のメーカーか、人工知能の開発者か。
人の動きを忠実に再現し、五感を共有できる分身ロボットで、海外旅行をしたら不法入国になるのか。その分身を拘束すると人権侵害になるのか。
念じた通りに動くロボット義手を壊したら、器物損壊か傷害か。
こんなところです。ハッカーが自動走行自動車をいかにハッキングするかのデモンストレーションをしていましたね。そんな問題も浮上するでしょう。
また、ロボットそのものが人に危害を加えないという安全性も問題でしょう。産業用ロボットは人と協同で働く場合、人の能力に合わせて能力をレベルダウンします。能力をそのまま発揮すれば、人間を巻き込んでの事故になる可能性があるからです。また、人とコミュニケーションをとるロボットでは、人との関係性が問題となります。ひとつは物理的関係性。人がロボットとうっかり接触すると骨を折ったりするかもしれませんからね。しかし、ロボットがその危険性を感知して頻繁にストップしていたら使い物になりません。そして心理的なものも重要です。ロボットが人と会話をし、もし人の感情を傷つけたら……。ロボットは、人が悲しみや嫌悪や怒りなどの否定的な感情を引き起こすことをしてはならないのです(話してはならないのです。)。
ひとつひとつ考えてみると、この問題点を潰していくのは相当たいへんで複雑でしょうね。人類はまた見切り発車をして、未来にその「付け」を残していくのでしょうか。
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