たいそう物々しい「お題」ですが、ペナンに滞在中に思ったことです。去年4月にもペナンに行きました。着いたそうそう、「今日から雨期が始まる。」と言われ、今年は2月に行こうと思ったのです。
が、2月は春節がありその混雑ぶりに散々な目に会いました。そしてもうひとつ厭だったところは、日本人が多かったことです。去年はホテルでは、2~3人の日本人しか見かけませんでしたが、今年は7~8組の老夫婦カップルが…。せっかく日本から離れたのに、また日本人のサークルに取り込まれる事がないようにしていました。でも、例の春節でホテルの朝ごはんビュッフェで日本人カップルと相席に。そして彼らから聞きました。日本の寒い2月から逃れるために老夫婦はペナンに来るんですよと。老夫婦と言っても、65歳から80歳くらいと思いますが。
今回は2回目の滞在なので、観光はせずだいたいはビーチで寝転んで過ごしていました。そして、彼らをよく見かけたのです。わたしは、囲碁の本を真剣に読んでいたし、「わたしに近づくな」ビームを放出していたので彼らはわたしに近づきませんでした。が、わたしは彼らを観察していたのです。
ビーチのチェアーで寝転んでいるのはたいていは白人です。彼らはお互いに見知らぬ者同士でもあいさつ程度はしています。聞いていたところ、イギリス、ドイツ人、あるいは、ドイツ語らしき言語を話す人々でした。そして、日本の老夫婦たちも彼らとあいさつを交わしていました。
そこで思ったこと…、彼らは日本人の感覚で英語をしゃべっているなあ…、ということ。
日本人の謙虚な態度に何も文句を言う所はございません。でも、相手次第ですよね。だいたい、会話において日本人は話相手より「下手(したて)」に出るように話します。しかし、それが通じるのは、その下手感覚をフォローしてくれる日本人が側にいる時のみです。こちらが下手に出ても、必ずその中の一人が「いやいやそんなことはございません。」などと、立ててくれるからです。同じ調子で海外で話すと、「アツ、そう。」と簡単にスルーされてしまいます。もしくは、下手に出て話したことを本当のことと思われて、「バカな奴」と見下されるのがオチです。
例えば、何かの役員にでも推挙された時、「とてもわたしの器ではございません。」などと断わると、日本では「なにをおっしゃいますか。あなたが適任ですよ。」などと誰かがフォローしてくれて、その人は「断わったが、仕方なく引き受けた」という「かっこう」が付きます。が、これが海外ならば、そんなことを言ったとたん、「そうですか。では他の人に。」と、すぐ無視されます。
ずいぶん前のことですが、中国語を習っていたことがありました。その時の先生は上海から来た女性で、たしか名古屋大学の大学院生だったと思います。彼女が言っていたこと、
「日本人賢いね。人が十人いて、リーダーを決める時、中国人なら皆がわたしがリーダーになると騒いで、リーダーは全然決まらないね。でも、日本人はわたしがなると誰も言わないから、皆が推薦して、最後にはリーダーに相応しい人がリーダーになりますよ。」
と言うことで、西洋人ばかりでなく中国人の前でも「謙虚」にならない方がよさそうです。
わたし、上海に暮らしていた時、上海と日本を往復しているうちに日本人に見られなくなりました。自分ではどうしてかはわかりません。飛行機の中で、フライトアテンダントが食事の注文を取る時に、わたしの前の人達は日本人で、彼女は日本語で「ビーフがよろしいですか、チキンがよろしいですか。」と尋ねていたのに、わたしの前に来ると英語になりました。WHY?ですよね。
考えるに、わたしは英語は発音などうまくありませんが、ある時から間違えても平気になってしまったんですね。それかな(?)とも。発音なんかも「発音は悪いが何か問題でも」、なんて態度で話していますから。
それで最近気が付きました。上海で暮らしていた頃、日本の文化と中国の文化の違いからなにかしら摩擦が起きますが、「これはどちらが悪いという問題ではなく、単なる考え方の違いなのだから気にしないでおこう。」という心境に達しました。しかし、西洋人の「上から目線」のものの言い方には我慢できませんでした。まだ、修行が足りなかったのだと思い直しました。
つまり、日本人が「下手(したて)」に出なければ世の中を渡っていけないのと同様に、彼らもいつも自分が正しいという態度でいなければ、彼らの「世の中を渡っていけない」のだと実感したからです。しかし、マレーシア、タイ、インドネシアでは、日本人の感覚のまま言葉を話しても、イケそうな気がしますがあ~、まだ、研究不足です。
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