わたしが現在持っている大江健三郎さんの本を、年代順に読んでいると以前UPしました。しかしながら「今、囲碁に夢中」なのでなかなか進みません。『死者の奢り』のあと、短編集の中の『他人の足』と『飼育』を読み終えました。
その内容の話ではありませんが、大江健三郎の本を読んでいると「ドキドキしている」自分がいることを感じました。たぶん、これが尊敬か、と。わたしは、基本的に現存している人を尊敬することはできません。彼らの才能に手拍子に敬服することができないのです。どうしても、勝負してしまいます。嫉妬でしょうか。亡くなっている人とは、もう勝負できないので素直にその作品を受け入れることが出来ます。そう言う意味で、大江健三郎と安部公房は(彼は亡くなりましたが)、素直に受け入れています。
ツイッターをしています。と言うかアカウントを持っているだけで、ほぼ使っていませんが。フォローもあまりしていません。「有名人をフォローしてみよう~」という文句があったのでしてみたことはありますが。でも、その人たちのメッセージが届いてもなんの興味も湧きません。いとうせいこうや糸井重里、津田大介その他です。
しかし、メッセージが入るとドキドキしてしまう人がいます。ひとりは横尾忠則。わたしのツイッターのアカウントに横尾忠則の顔写真が出るとドキドキと。横尾忠則は、わたしが高校生の時から気になる存在でした。彼の作品は好きです。『横尾忠則全ポスター』という画集も持っています。が、別に尊敬とか畏敬の念とかそんな感情は全然ありませんでした。で、「このドキドキ感は何?」と。わたしは、ドキドキするくらい彼を好きだったんでしょうか。
もう一人が、ダライ・ラマです。ダライ・ラマがツイッターとはと不思議かもしれませんが、もちろん、本人が書いている訳ではないのでしょう。広報官か…。しかし、彼の顔写真は載ります。彼は、ニュースなどで見る限り、どこにでもいそうな「オッサン」です。言うことも、あまり普通の人と変わりません。でも、「普通の人と変わらない」というところが、凄そうです。そんなダライ・ラマのお顔を見るとドキドキしてしまうのです。
ミュージシャンをフォローはしていません。音楽を聴くのは好きですが、何も理解できないくらいの音楽音痴です。ただ聴いていると「居心地がイイ」と思うものを聴いているだけです。しかし、ミュージシャンで誰の顔写真が現われるとドキドキするだろうかと想像してみると、忌野清志郎かなあと。あるいは、甲本ヒロシかなあ。
大江健三郎著の『他人の足』は、前に読んだ『死者の奢り』より、観念的でなくわかりやすい作品でした。感想はまた後日に書きたいと思います。
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