2016年6月12日日曜日

ベーシックインカム


最近、わたしが興味のあるトピックに関するニュースが、立続きに報道されていると前回書きました。その第2弾が『ベーシックインカム』です。ご存知のようにベーシックインカムとは、なんの区別もなく(例えば収入とか年齢とか)国民の全員に一定のお金が支払われるシステムです。つまり、児童手当とかなんとか給付金とかいうようなもの。

 

この世に誕生したら、全ての人間が一定の収入を保証されます。このシステムは19世紀から理論的には存在しますが、それを具体的に採りいれようという試みは、ヨーロッパでは、十数年前からと思います(間違っていたらスイマセン)。日本では、5~6年前に取り沙汰され、一時期流行った思想です。

 

ニュースによりますと、スイスで今月5日にその是非を問う国民投票が行われました。以前、多分2~3年前、誰かが「スイスではもうベーシックインカムが始まっている。」と言っていたので、「そうかあ~」と思っていたのですが、まだのようでした。

 

スイスの国民投票では、賛成が23.1%、反対が76.9%という結果を得ました。ベーシックインカム推進派は、「貧困撲滅」などを訴え、最低限の生活を維持する為に成人に対して日本円で約27万円、未成年に対して約6万8千円を毎月支給することを提案しました。スイス連邦政府は、年間22兆7千億円超の巨額な費用と、スイス経済の競争力の低下を懸念し反対の立場を表明しました。まあ、国民の判断は反対だったのでした。

 

しかし、スウェーデンやオランダでは、実験的に取り入れる、日本で言う「特区」を作り試験運転するようです。わたしは、時代はベーシックインカムに賛成の方に流れていくと確信しています。今までは個人の問題として政治では取り扱われなかった事柄が、徐々に人の権利として認められてきた実情から見ると、ベーシックインカムも想像の問題ではなくなると。わたしが生きている間にとは…、思えませんが…。

 

つまり、ほんの4~50年くらい前までは、会社務めの女性が出産のために育児休暇を取る等と言うことは、日本では全く考えられませんでした。働く女性の出産育児等というものは、まったく個人の問題だったのです。なぜ、そのために会社が経費を払わなくてはいけないのか…、という論調です。そんな考えは、今では社会的に受け入れられていますが、実際問題としては、まだまだの感。まあ、とにかく、考えだけは社会に受け入れられたとしておきましょう。

 

それ以前では、病気です。病気は個人の問題であるので、そのために働けなくなった人は、会社を退職しなければいけませんでした。会社での福利厚生が義務付けられたのもそんなに「昔」の話ではありません。

 
 
 
 

といった意味で、ベーシックインカムは徐々に受け入れられるでしょう。資本主義が発明され、一番長くその時代を生きている、そして社会も成熟したヨーロッパにおいて、実験が始まると言うことは、世界はその方向に進んでいくということでは。

 

ベーシックインカムでの一番のネックは、ネオリベラル派と社会の平等を推進する市民派の政治家思想家の意見が「賛成」で一致していることです。ネオリベラル派の主張は、ベーシックインカムを推進するために、その他の社会福祉の費用を削減しようというものです。例えば、雇用保険、年金、その他給付金です。市民派は、もっと基本的な「資本主義とは何か」とか「お金とはどういう意味を持つのか」というところから思考しています。矛盾する両派の結論が同じだ…というところが、ベーシックインカムを素直に受け入れられない問題点となっているのです。

 

 

ともあれ、わたしはベーシックインカムに賛成します。しかし、すべての人に生きるための費用が支給された時、人は「何の為に生きるのか」という根源的問題を突きつけられるでしょう。もう言い訳は通用しません。生きる為に働く…という理由は無くなるのですから。全ての人が「生きる目的」を自らの力で志向し、そしてもし手に入れることが出来たとしたなら、この社会はどんな社会に変身するのでしょうか。そこがわたしの一番知りたいところであります。








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