『折々のことば』です。
エーテルの波はつねに送られているが、しかし、われわれはたいてい、受信機をはずしているのである。 (マルティン・ブーバー 哲学者)
生きていると言うのは「語りかけられている」ことだと哲学者は言う。と、鷲田清一氏。
その語りはじかに私に向けられたものでも、人の声でもないかもしれないが、紛れもなく私に、応答することを求めている。なのに私たちは「甲冑で身をかため」、この言葉の芽を摘む。
わたしは、ヒトが言葉を発するようになって以来、いろいろなものを失ってきたと思っています。「言葉にならないもの」を失ってきているのです。
言葉のおかげで人類は分かり合い、文明も発達し、科学も発展し続けています。人は、そのような進化を受け入れてきたーーーその方向に進むのに躊躇しなかった、ということでしょうか。
もちろんそれで人は幸せになれた面もあります。だけど、何かを失った。
どちらが良いのかは、単純には決めれれないけれど、「何かを失いたくなくて」文明に逆らっている人々もいますし、ドロップアウトしている人々もいます。アマゾンに住む忘れられた人々や、無法地帯「ゾミア」に住む人々。
科学が普通の人の持つ能力・理解力以上に進んできた現在、これからどのような世界にヒトは進んで行くのか、と。
コンピュータ・チップを脳内に埋め込め得る時代、AI機能を搭載したドローンが、戦争をしている時代。フィリップ・K・ディックのSFのような時代が来たのだなあと、オモイマス。
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