うちの落葉樹に葉が芽吹いてきて、若葉が出始めた。
また、庭がジャングルになってくるよ~~~。
春が来ても、わたしは、まだまだ、外には出られないのだ~~~。
『現代思想入門』 別冊宝島44
先日、本棚をプラプラと探索していたら、いつ書いたかわからない読書ノートを見つけた。中を見てみると、なんだか素敵な事が書いてあった。わたしにこんなこと書けるわけがないので、何かの本の書き写しと思う。
「人間は、哲学によって、人間であることから解放される。」
と、こう書いてあった。
多分、別冊宝島44『現代思想・入門――サルトルからデリダ、ドゥルーズまで、知の最前線の完全見取り図!』のノートと思う。中を見ると1985年発行とあった。約35年前だ。今はもう「最前線」ではない。この後にポストコロニアリズムやカルチャラル・スタディが続いて行く。
この頃は訳もなく、全然理解しないまま、心に引っかかったフレーズを書きとめていたのであろう。今は、少しわかるような気がする。人間は言葉を発明して以来、物事を抽象化し続けている。この抽象化したものと現実実体の乖離を埋めるものをヒトは探し続けているのだ――ということがわたしにもわかってきたからだ。
デカルトは「認識と実在としての対象の一致は、神によって保証されている。」と言う。神が存在していた時代はこれでよかった。人が神を信じなくなってからは、人類は自らの手でこの問題を解決しなくてはいけない。そして、今なお哲学者と言われる人たちは、この問題に取り組んでいるのだ。
フーコーは、その著書『言葉と物』の中で、エピステーメの三つの時代について述べている。
1.ルネッサンス期とバロック期:言葉と事物が一致していた時代から、裂け目ができ始めた時代
2.古典主義の時代(17世紀前半~18世紀末):言葉と事物が分離し、言葉が事物の記号となった時代
3.19世紀以降のいわゆる近代:「人間」という中心的概念の要求
人間は、確かに宇宙(自然)の一部であった。しかし、近代が「合理的理性」を人間の土台に据えたため、人間は自分の中から「自然」を排除し始めた。それは永遠に到達できない目標であるだろう。銀河鉄道999の星野鉄郎のように機械の身体を求め続けて行くとでも言うのであろうか。
しかしながら、21世紀、今現在廻りを見渡すと、そんな世の中になってきたようだ。いろいろなチップを体内に埋め込んで、人類は己をAIとつなげている。人間は、脳だけの存在となって、「体という牢獄」から解放されると言う「野望」を捨てきれないようだ。
フィリップ・K・ディックの『ガニメデ支配』を読んでいます。R・ネルスンとの共作なのですが、欧米のSF界では、共著は珍しくないとの事。しかし、ディックの力の方が相当勝っているようで、他のディックの作品と変わりありません。
まだ途中ですが、「なるほど」と思った一言を紹介します。
「黒人は宗教さ!」
ディックのお話は、「黒人」とか、どういう訳か「ジャップ」とか、人種の事が良く現れます。この場面はこんな風です。
「<黒人>て言葉はなにを意味すると思う、裏切り女さんよ?人種か、それとも宗教か?」
「人種に決まっているでしょ。」
「黒人は宗教さ、ユダヤ人と同じにな。白人もそうだ。白人教を別のひと言で表わすとなんになると思う?」
「知らないわよ」ジョーンは警戒しながら返した。
「<偽善>だ」
ガニメデ星人から地球を守る抵抗勢力の指導者、黒人のパーシィXとガニメデのスパイとして彼に接触する日系アメリカ人のジョーン氷芦の会話です。
これを読んで、何かに「人類に人種は存在しない。」と書いてあったなあと。それは、『ヒトの変異』だったと思います。人は住む場所によって「色や体形」がその土地の環境に影響されているだけで、人の違いは「文化」であると。そんなような意味だった――です。
ナ・ル・ホ・ドです。
「人種問題」は彼の作品の『キモ』なのでしょう。
『日本人の9割が知らない遺伝の真実』
思うに、人は「自分が完璧である」(遺伝的に)と思って生きているのでは。しかし、昨今の科学技術の発展は、いろいろな真実を明るみに出します。つまり、遺伝的に完璧な人などいないという事。『ヒトの変異』という本について以前UPしたことがありますが、その本によると、「ヒトの遺伝子は、毎回(人が誕生する時)20%程度は変異している」ということです。
人は、遺伝子的に不都合なところがあっても「生きていける」と言える。その程度のアロウワンスは「誤差の範囲内」ということなのでしょうか。そのことが、現実に科学の力で明るみに出されると、「差別の構造」が生じてくるということなのでしょうか。
著者の意図も「格差社会と遺伝の関係」では、「行動遺伝学が誤用される事を恐れているから」の部分もありそうです。出来ない事を遺伝子のせいにされ、だから、金持ちになれないのも当然だ…、というような論理のすり替えです。
人により出来る事と出来ないこと、「向き不向き」は様々で、そこに努力や環境だけでなく遺伝子的要素が働いている…、と考えるのが「行動遺伝学」とのこと。
しかし、「だから遺伝子的に不向きな事はやめて、向いている方向に進みましょう。」と言うことではなく、不足する能力を別の方法で補うことで自らの希望する事を出来るようにする事が重要なのです。
「遺伝について考える時に大事なのは、私たちの人生を、主体性や自由を損なわずに最適化できるかどうかである。」
批評家、早稲田大学准教授の市川真人氏は、
「遺伝の認識を差別ではなく可能性の発見と確認として、評価軸の多様化や個人の努力を越えた社会保障の必要性を説く本書は、今日の社会に必要な一冊であるだろう。」
と、言っています。
なんか~、映画『ガタカ』を思い出すわあ~。
こんな言葉で始まるそうです。(ウィキペディアより)
「我々は母なる自然に手を加えようとするが、母もそれを望んでいると私は思う。
遺伝子操作により、優れた知能と体力と外見を持った「適正者」が数多く存在する近未来。知力体力に非常に優れる「適正者」たちは当然、教育課程においても、社会においても優位だった。一方、自然妊娠で生まれた「不適正者」たちは「適正者」に劣る存在だった。両者の間には社会レベルでも個人レベルでも大きな隔たりがあった。
主人公ヴィンセント(イーサン・ホーク)は、両親の軽はずみな性交渉により「不適正者」として産まれた。弟アントン(ローレン・ディーン)は「適正者」だった。子供のころから「適正者」の能力を目の当たりにし、弟を含め「適正者」たちには決して勝つことができなかったのだ。
そんなヴィンセントが小さな胸に抱いた夢は宇宙飛行士になることだった。しかし、宇宙飛行士は「適正者」のみに許された仕事で、「不適正者」には夢のまた夢、なれる可能性など少しもなかった。
主人公は、なんとか「適正者」のIDを手に入れ、宇宙局ガタカの局員になります。そして、宇宙船に乗りこめると思った瞬間に事件が起こり、彼が「不適正者」であるということが明るみに出そうに。
しかし、宇宙船に乗りこむ最終チェックのゲートで、彼を「不適正者である」と知っていた医者や局員(ユマ・サーマン)が、黙って彼にゲートを通らせるのでした~~~。
未来は、SF小説の中にあると思う…、この頃です。
わたしのブログのvisitorは、何故かアメリカからが一番多い。何故だかは未だにわからない。わたしのハンドルネームが、誰かとかぶっているという変なコメントが三回ほど来たことがあるが……?
無視。
「人気投稿」という物を表示しているが、それが英語の本の読書感想ばかりが上位に来ていた。それは、アメリカのせいかなと思っていたが、しかし、最近では、日本語の本の感想とか日々の感想が上位になってきた。何だかとても嬉しい。