2019年2月10日日曜日

あのラヴクラフト以前にこんな人がいたのだ。

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The White People and other stories。作者はArthur Machen。この作者の事は何も知らないのですが、1887年から1901年という少々昔に書かれた作品です。何故この本を選んだかは、あのH.P.Lovecraft が「真ク・リトル・リトル神話体系」の構想を彼から得たと読んだからです。



で、読み始めてみて、単語はそんなにむつかしくないのに何故か意味がわからない。S.T.Joshiという人がIntroductionを書いているのですが、それをすっ飛ばして読んでいたので、これはIntroductionを読んでみなくてはなるまいと、読んでみました。そうすると何故かがわかりましたね。この本が書かれた時代のモラルです。今のようになんでもかんでも赤裸々に書いてある訳ではないんですね~~~。









表題のThe White People についてこのように書かれています。



This story----in which a young girl unwittingly reveals in her diary her inculcation into a witch-cult and, evidently, her impregnation by some nameless entity----transmogrifies illicit sex into a cosmic sin that will either lift us up into the ranks of the angels or plunge us down into the company of demons. And yet, Machen’s exposition of the details of the matter (especially the sexual element) are so indirect that many readers have been puzzled as to the exact nature of the scenario.



それでこれを読んだ一読者も理解できなかったので友達のラヴクラフトに尋ねたそうです。答えがこれ。



On account of a sympathetic action like that described in the prologue, the now-adolescent child----though without contact with any creative element----became pregnant with a Horror, to whose birth (knowing what she did of dark tradition) she could not look forward without a stark frenzy far beyond the fear of mere disgrace. Thus she killed herself.



そしてこのことが我々読者にわかるのは作者が最後に書いている------She had poisoned herself, in time. のフレーズのみなんです~~~。わたしにはラヴクラフトのような友達はいませんから、お手上げです。でも、詩と散文の間のような文章にはとても惹かれます。とうてい自分には書けないと思うけど、何かをつかみたいなあと、英語の本を読む事に日々苦悩しております。(石の上にも三年。の心境)







2019年1月21日月曜日

昨日の続きです。。。


我々が(ノン・イングリッシュ・スピーカー)英語を学んでいるのは、ネイティブ・イングリッシュ・スピーカーのためではない、ということを、言うのを忘れていました。

だいたい、人々の間で英語が話されるのは、英語が母国語ではない人々同士の方が、英語が母国語である人同士より多いという統計があります。そして、英語を話している人口は世界で一番多いわけではなく、ご存知の通り、中国語が一番。そして、スペイン語か英語。統計により違う。

つまり、英語は世界共通言語として、今、機能しているという事です。しかしそれは、時代の局面によって変化するという事。SF小説では、中国語が世界言語になっていると言うものもあります。『未来世紀ブラジル』という映画がありました。もし、ブラジルが世界で強力な位置にある国になったなら、世界言語はポルトガル語ということか。

そして、英語に関しても、どこの英語がメインかという事は、世界における立場によって変わります。今、アメリカ英語が世界共通と日本では思われているかもしれませんが、アメリカ英語は、アジア主体です。ヨーロッパでは、今尚、ブリティッシュ・イングリッシュ。

いくらイギリスが落ち目でも、ヨーロッパはアメリカには追従しませんよ。経済的にはするかもしないが、文化的にはどうでしょうか。この伝で、カナダが主流国になればカナダ英語が主流になるという事。オーストラリアしかり。ニュージーランドしかり。フィリピンしかり。マレーシアしかり。南アフリカ共和国然り…、云々かんぬん。







だから、言いたいことは、英語が世界言語だというのなら、英語を統一してほしい。統一した英語を世界言語として普及してもらいたい。今、色々な国で英語を学ぶと、アメリカ人の先生は、イギリス英語を理解していないし、イギリス人の先生はアメリカ英語を理解していない。その他の国の英語圏の人は、その立場によってアメリカ英語かイギリス英語かを選んでいる。

彼等は、事実、理解しているかもしれない。が、認めない。可哀そうなのは、生徒です。そのはざまで、ある時はそれは英語ではないと言われ、ある時は正しいと言われる。

が、こんなこともこのご時世、お終いになるかもと、推測します。Internet of Things で、AIと何かの器機、そして自動翻訳が充実すれば、他言語など学ばなくてもよくなるかも。そして、その時が、英語が、学問として学ばれる時かもと。


そして、わたしは、英語を研究していますと言える時かもと。








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2019年1月20日日曜日

謎ですね~。

全然、このブログ更新できず、悩んでいます。

が、

全然、UPしていないのに、突然、ビジターが一日で、300人を超えました。UPしない場合、たいていは、一日、10人から20人です。

そして、

突然、ヨーロッパ諸国の一部がグリーンに染まりました。ビジターが多い国が緑に染まります。淡い緑から濃い緑まで。

何か、突然、ロシアが濃い緑になることもあります。が、今回はヨーロッパ。位置から見て、モロッコの向かい側なので、フランスかなあ~~、わかりません。









更新したい意志はあります。

『折々のことば』(朝日新聞コラム)で、

「彼らがわたしのいう事がわからないのはわかろうとしないからだ。」 
 ーーージュンバ・ラヒリ

こう言うのを見つけました。インド系米国人の作家だそうです。

わたしは、「そうそう、いくら英語を勉強して、イングリッシュ・スピーカーに話しかけても、彼らがわたしのことに無関心なら、聞いていない。」と。

正しい英語を話しても会話は無理だという事を言いたい。が、私が言っても、誰も信じないので、こんな人に言ってもらえると嬉しいなあ~、という事を書きたいです。聞いてくれるのは、ショップの人とか、ナンパしてくる人だけです。

「聴くことは他者を人として尊重することであるから。」と。


そんなこんなで、書きたい題材はあるわけですが、熟成する時間がない。囲碁を優先しているから。


言い訳でした。






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2019年1月4日金曜日

なぜ人間は五つの大陸で異なる発展をとげたのか



GUNS, GERMS, AND STEEL ――― 感想





著者ダイアモンドは「訳者あとがき」によると、進化生物学者である。ニューギニアでフィールドワークをしている時、現地のニューギニア人ヤリの質問から何故現社会では「持つ者」と「持たざる者」の格差がこうもあるのかという疑問を抱き、その後25年の長きにわたる研究からこの書を書き上げたと言う。



その研究は多分野の知識を必要としているが、あとがきによると、彼は「生理学で博士号を得たあと、分子生理学と進化生物学の二つの分野を専門に研究しているほか、分子生物学、遺伝子学、生物地理学、環境地理学、考古学、人類学、言語学についても詳しい。」らしい。しかしながら、この本は人類13千年の歴史を網羅し、ユーラシア大陸、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、アフリカ大陸と扱う地域も膨大なものである。この時間的にも空間的にも、とてつもない量の情報をすべて深く均等に扱う事は並大抵のことではない―――、でしょう。



他の学者(James Blaut)がこの本を批評して、彼は「ユーラシア大陸」という言葉を簡単に扱っていると言っている。また、ダイアモンドの説に同調していても、彼の論調は弱いと指摘している学者もいる。過去を単純化していると。わたしは学者ではないし専門家でもないが、ところどころで、自説を強調するあまり、事実を単純化あるいは無視しているのでは、と感じるところがあった。



前述の「ユーラシア大陸」についても、この大陸はヨーロッパだけが存在しているのではない。イスラム社会、中国、ロシア、スカンジナビア諸国、等などがある。中国については一章を費やして記述しているが、ヨーロッパについての如くの深い洞察はない。ヨーロッパについてもスペインやオランダ、フランスなど、記述されている国は偏っている。



日本についても数か所で触れられている。その中で「日本は独自の文字カナを持っているのに未だに漢字を使っている。それは、漢字にステイタスを求めているからだ。」という記述があった。また、「日本は、日本語の話し言葉を表わすには問題がある中国発祥の文字の使用を未だにやめようとしていない。」とも。日本で漢字についてどれだけの学術書があるのかを知らないようだ。



この複雑な問題をこんな一言で表わしてほしくないものである。もちろん、わたしが日本人であるからこのことを指摘できるのかもしれない。が、ほかの部分でも、わたしには指摘できないが、もしかしたらこの程度の考えで書かれている個所があるかもしれないと邪推してしまう。











<彼のメイン理論>



人類の発展の必須要素・・・動植物の栽培化、家畜化(病原菌とその免疫を得られた)、



これにより、人口の稠密化を促す定住が可能になる



     →食糧生産に携わらない人を養える余力を得る

          王族と官僚・・・政治機構の発展

          職業軍人・・・征服戦争を継続・維持できる

          学者・・・文字によって記録を作成できる

情報の獲得・伝達(征服戦争を支える)

技術者・・・銃などの武器の生産を可能にする

      (鉄の埋蔵がある地域のみ)



政治機構と軍人、学者、技術者が相まって、他グループへの侵略、支配、統合を推し進め、また強大な勢力となる



これらの要素の発展により、より余力を得、スパイラル的に発達する。





<彼の仮説>



現代の社会はヨーロッパ人がアメリカ大陸、オーストラリア大陸、そしてアフリカ大陸の51%を征服しているが、この偏りはそれぞれの人々が暮らした環境の差異から来るものであり、決して人々の生物学的差異によるものではない。





<彼の証明方法>



社会は環境地理的および生物地理的影響下で発展してきていることを証明する。



基本的に、彼の理論の証明の根幹は、人類がそれぞれの場所に「いつ」定住したか、そしてそのそれぞれの場所が「何を持っていたか」ということ。そしてそこに到着した時点での「幸・不幸」、そしてその場所で所有できたものの「幸・不幸」で今の不平等が決定されているということである。



人類はおおよそ700万年前にサルから分岐した。その始まりはアフリカであった。100万年~50万年前にユーラシア大陸に移住。3~4万年前にオーストラリア・ニューギニアに移住。2万年前頃シベリアに到達。1万数千年前にベーリング海峡を渡りアラスカに到着。その後約1000年をかけてアメリカ大陸を縦断する。ここですべての大陸に人類が進出したことになる。(南極大陸は除く)。



約4万年前、クロマニヨン人が現れる。石器、釣り針、道具類や大型動物の狩猟、魚、鳥の狩猟すること、美意識、宗教意識、芸術的価値のある遺物の出土等から、ほぼ現在の人類の要素を備えていたと思われる。従って、クロマニヨンが現れる以前の人類はアフリカ、ユーラシア大陸には長く生息していたが、オーストラリア大陸に渡った時には、すでにクロマニヨンだった。



それぞれの大陸には大型動物がいたが、人類の進行によりオーストラリア大陸、アメリカ大陸の動物は絶滅した。人類を知らなかった動物は容易に人類によって殺戮されたからだ。しかし、アフリカ大陸やユーラシア大陸では、何万年もの進化の時間を動物は初期人類と共有してきたので、人間を警戒する能力が培われた。そのため絶滅を免れた。



→大型動物の絶滅(オーストラリア大陸・アメリカ大陸)は、家畜として飼いならす機会を人類から奪った。



家畜から得られる食糧、家畜からの労動力・輸送力、衣服となる皮革等などが得られない。家畜・人間の相互作用による病原菌、そしてその免疫力を得る機会を失った。



結論:人類が発展する為の要素の一つである大型動物の家畜化は、人類が大陸に移住した年代により「可能と不可能」の差異ができたのであり、そこに移住した人類の能力の問題ではなかった。





以上は、人類がそれぞれの大陸に「いつ」定住したのか、そしてその時の野生動物の状況および家畜化の話である。彼はこれによって、「家畜化」をできたかできなかったかは、そこに定住を果たしたヒトの能力ではなく、ただ環境によっている(大型草食哺乳動物が生息していなかった、生息していても家畜することが難しい種だったとか)ということを証明することを試みている。



次に「食糧生産」(栽培化)、病原菌の問題、鉄の問題、文字の問題を俎上にのせ、個々の問題も同様な方法によって説明する。つまり、例えば栽培化については栽培化できる植物が地域により「あるところ」と「ないところ」があり、その環境の問題だけにより、その場のヒトが発展できたかどうかが決まる。その場のヒトの能力に依っているのではないという風に。














あまりにも膨大な本なのですべてについて感想を書くことはできません。これでも、書きすぎと思うでしょ。



もうひとつ、関係がありそうでないような話ですが、数年前に「ネアンデルタール人とクロマニヨン人は遺伝子的にミックスしていないというのが学者間の定説であったが、実はミックスしていたという報告があった」との発見がありました。ネアンデルタール人は今の人類の祖先ではなく、クロマニヨン人から人類は進化しました。現在、アフリカ人以外の人は2~3%ほどの遺伝子がネアンデルタール人由来であるというのが定説です。



同時期に非常に近い種が同じ場所に住んでいて、ミックスしない訳はないし、ネアンデルタール人は絶滅したと言われているが、完全ということはあり得ないのだから、どこかに人類と違う「人類」が住んでいるかもしれないと、突然、あなたは「人間ではありませんよ。ちがう遺伝子が入っています。」という事が起こり得るかもと思っていました。



起こりましたネ。今では、他の「亜人類の遺伝子」も地域(アフリカとかアジア)によっていろいろ混雑していることがわかっています。非常に興味深いです。









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2019年1月3日木曜日

年頭に……

2018年の年頭は、朔日からこのブログをUPしていました。

いつもの元日の朝の宴会がなく、運動がてら、2キロほど散歩したという内容です。今回も宴会はなかったのですが、散歩はしませんでした。

なぜなら、12月29日にスポーツクラブに行けた事と、31日に囲碁クラブに行けた事。そして、1月3日がスポーツクラブの初日だったからです。これだけ、外に出る機会があるなら、もう散歩は良いかと。

あとは、やはり囲碁三昧でした。UPしたい「内容」はあります。朝日新聞の「折々のことば」で興味を持ったものや、今日の新聞では、「あなたの心は測られているのかも」という特集が。AIによるものです。

とても興味があるし、言いたいことはあります。しかし、囲碁に夢中で書く時間、あるいは、考える時間が持てません。

これが、前回UPした悩みです。

でも、書きます! それをやめるわけにはいきません。








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2018年12月29日土曜日

無題


一つの事に夢中になっていると、社会の事に無頓着になってしまいますネ。
どうやって、そこに折り合いを付けるべきでしょうか。










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2018年12月23日日曜日

今、尚、世界はキナ臭く……




『アンティゴネ』 ブレヒト





ソフォクレスが書いたギリシャ悲劇をドイツのヘルダーリンが翻訳し、ブレヒトが舞台用に改作したものです。戯曲です。1948年に上演されました。しかし、わたしが購入した文庫本は、2015年8月20日に初版本として出版されたものです。



最近、囲碁に夢中でなかなか他の事が出来ません。囲碁の本を読んでいると、それなりに頭は使うし、論理的思考は満たされますが、情緒的には満たされません。なんだかどんどん鬱屈していくので、「そうだ、何か小説を読もう。」と…、これは戯曲ですが、戯曲ゆえに早く読めそうと。



ブレヒトは、わたしの青春時代のヒーローです。その頃「ブレヒトの異化」という概念が流行っていました。それまでの舞台演出は、「アリストテレス的演劇」つまりルネッサンスの時期から始まった西欧の演劇が主流でした。観客は観劇する時、その内容と同化し感動し情緒的に満たされると言う構造です。ブレヒトはそれを嫌い、「異化」、つまり劇と観客が同化しないことを望みました。観客は劇に感情を翻弄されるのではなく、客観的に劇と対峙し、その内容を把握し、自分の意見を述べる事、考える事を要求されるのです。



というような事を『アンティゴネ』を読み終わってから、つらつら考えました。わたしも少し満たされた気分です。











ブレヒトの『アンティゴネ』とソフォクレス原作の『アンティゴネ』の間には、少々の違いがあるようです。翻訳者の谷川道子さんが、長い、長い、解説文を書いていますが、その中で述べられているその違いは、ブレヒトの脱神話化の意図のための様です。



そもそも『アンティゴネ』はギリシャ神話です。人間と神のお話。神に定められた運命は人間には変えることが出来ない。それをブレヒトは、人間と人間の話として構築しました。アンティゴネは、自らの運命を神の意志に委ねるのではなく、自分の手で変えようとしたと。そのためにブレヒトは筋の骨組みを少々変えていると、谷川道子氏は指摘しています。



アンティゴネは、オイディプスの娘です。オイディプスが自らの母親と、そうとは知らずに交わったために出来た子どもの一人です。末娘です。ソフォクレスは、その呪われた子どもたちまたは一族の話を書き連ねています。



オイディプス王が自分の犯した罪を引き受けて去った後、テーバイの王権は、息子である兄弟が一年ごとに交互に治めると協定しながら、約束を守らなかった兄エテオクレスから政権を奪うために、弟ポリュネイケスが敵国アルゴスと組んでおこした戦争がテーバイの勝利に終わったという後日譚があります。



しかし、ブレヒトの場合は、王権を継承した伯父クレオンが起こした戦争での事件です。兄エテオクレスの戦死に驚いた弟ポリュネイケスが逃亡し、逃亡兵として殺されます。その弔いを禁じたクレオンのお触れに妹であるアンティゴネが逆らい捉えられるという内容。クレオンの戦争も、アルゴスの鉱石目当てにテーバイがしかけた侵略戦争であることが明らかになります










その違いはブレヒトが生きた時代に関連があるかもしれません。ブレヒトは、1898年、南ドイツに生まれ、第一次世界大戦に召集されました。そして、医学部に在籍していたことから衛生兵として敗戦まで陸軍病院に勤務しました。その時の経験から、詩や戯曲の創作に入り戯曲作家として名前が売れました。



それから時代は、第二次世界大戦に突入していくのですが、ブレヒトはヒットラーが政権を掌握してから、ナチスに追われる身になり、アメリカに亡命。戦後、東ドイツに戻り劇団を設立し、演劇活動を再開するのです。それから、彼の「異化理論」により世界的な名声を手に入れました。1956年に心筋梗塞のため亡くなっています。



そんな時代に生きたブレヒトは、『アンティゴネ』で何を表現したかったのでしょうか。第二次世界大戦終結後、ブレヒトは、「古代ギリシャ悲劇の偉大な抵抗者は、我々にとって最も重要な意味を持たなければならない反ナチ抵抗戦士の代理を務めているのではない。今日では彼らを思い出させるようなことが殆ど起こらず、それどころか忘れさせてしまうようなことばかり起こっているだけに、なおさらこれは残念である。」と書いています。



解説ではこれを、「終戦と共に核戦争の危機と東西冷戦が始まり、反戦と抵抗の論理が終焉していくことへの苦々しい思い」と、分析しています。ブレヒトの『アンティゴネ』は、ナチズムとスターリニズムとマッカーシズムの三つの極を生き延びて、これから生まれるべき新しい世界と新生ドイツを前に、国家とは、祖国とは、演劇とは何かが、ブレヒトにもドイツ人にも、根底から問われなければならなかったであろう時代に書かれ、創られたのだ、との提言です。



時代は、今尚ですね。











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