2014年1月27日月曜日

囲碁とあそぶ


今、囲碁に凝っています。自己紹介にも書いてありますが、最近(一年くらい前)始めました。パソコンの無料サイトでゲーム感覚でソフトと勝負していましたから、囲碁のことは何も知りません。つまり、やり方だけを知っているだけで、「囲碁の精神」とか格言とか用語とかはまったく馴染みがないということです。

 

その後、日本棋院の講座に通うことになりました。まあ、たいへん。皆さんが使う言葉がちんぷんかんぷんだからです。先ず、用語辞典を買って、囲碁の対局には関係なさそうだけど…、外堀から埋めることにしました。このお正月休みには、定石の本を一冊読破。なんとか、形が整ってきたような気がします。

 

しかし、実は「免状」だけは持っているのです。2級です。NHKの月刊誌で「あなたの級位を査定します」というコーナーがあったので、試しに出してみたのです。6問くらいの問題に解答を出し応募しました。それで、2級と認定されました。わたしの頭の中は「何故?」です。でも、関西棋院の公式なものなので、信用はできると思うのですが。結城十段が承認してくれているのですから。

 

わたしの目的は、ほんとの自分の実力を「早く2級にする」ことです。お正月休みの勉強により、わたしの通う中部棋院でも7級と認められました。よかった、よかった。なぜなら、とにかく、「ひと桁の級」だったのですから。

 

 

棋院での講座は二時間で、一時間は先生の講義。一時間は先生の指導碁です。一時間なので、たいていは、中盤戦くらいで終わってしまいます。その上、わたしは囲碁の正式な手順といったようなものも知らなかったので、「指導碁」が何を意味するのかがわからなかったのです。最初は、無謀にも先生に戦いを挑んでいました。でも、すぐに「これは違うぞ」と気が付いて、教えを請うという態度を会得しました。でも、まだ、どういう意味を持つのかがわかっていませんでした。

 

最近ようやくわかりました。先生は、一手、一手、わたしに囲碁の問題を出しているのだということが。だから、先生は時々間違った手を打ちます。その時、わたしは、その事に気付いて、間違いを咎める手を打たなければならないのです。そう言うことでした。

 

先生がある手を打つと、それは何を意味しているのか、わたしに何を求めているのかを瞬時に判断しなければいけません。例えば、「この定石を知っていますか。続きを打ちなさい。」なんてことです。わたしが、それを理解し、先生の思惑通りに石を置けたら、先生のご機嫌は大変いいです。わたしも、「ルンルン♪」と言う気分になります。

 

ここまで、一年かかりました。でも、勉強する取っ掛かりが、なんとなくわかってきたので、これからもやっていけそうな気がしています。





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2014年1月24日金曜日

カレー、お酒からの・・・


最近、時々、NHKラジオの「すっぴん」を聞いています。藤井アナとパーソナリティのトークで番組は進みます。

 

で、

 

投稿テーマと言うものが、毎日あります。

 

で、

 

某日、そのテーマが「カレー」でした。パーソナリティは誰でしたっけ…高橋源一郎さんかな~。ダイヤモンド☆ユカイさんだったかな~。とにかく、藤井アナは、カレーとご飯を食べないと。カレーだけ食べると。なぜなら、彼女はお酒を飲むから。

 

で、

 

カレーとお酒って(お酒は、ビールか日本酒かウィスキーか、等などはわからない)、合うの???まあ、それは、いいです。人それぞれだから。でも。あえて、カレーとお酒を合わせるのか、ってことです。それって、酒飲みとして正しいのか、とも思う。

 

 

と言うことは、抜きにして…藤井アナさんも晩酌しているんだって、思ったの。わたしも、まあ、特別な事がなければ、休肝日もなく毎日飲んでいます。(内容には気をつけています。つまり、ビールだけにするとか、今日はウィスキーを飲んでもいいかなあとか)。

 

と、

 

「なんで毎日飲むのか」と批難されます。こちらこそ、毎日飲まないで、よく日々生きていけるネ、って。

 

で、

 

その言い訳の…話をでっちあげました。

 

 

私、22歳の時、婚約していたのですが、違うガイに出くわしました。フォール・イン・ラヴです。お互いに好きでしたが、ある日、彼が、「来月結婚する」と言ったの。ベッドの中で。「えっ、誰と」。

 

とか、いろいろ話は続くのですが、結論は、失恋の痛手で、その後、毎日泣いて、飲み続けていた。そして、それが止まらなくなった、…なんて。

 

いかがですか?納得してもらえますか。

 




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2014年1月19日日曜日

寿命150歳の世界・・・とは


日曜日は、新聞に書評欄があります。今日目にした興味深い本は、『寿命100歳以上の世界――20××年、仕事・家庭・社会はこう変わる』です。(Sonia Arrison著)。100歳以上とタイトルにありますが、人が150歳まで死なない未来を予測しています。と言って、読んだ訳ではありませんが。書評を読んだだけです。

 

人が150歳まで死なないなんて想像もできません。まあ、書評によれば、20世紀の前半まで先進国で人の平均寿命が80歳になるなどとは思いもよらなかったとあります。ならば、平均寿命が150歳になっても、それなりに生きていけるのでしょうか。

 

以前、iPSとか、ES細胞などの研究により、人は死ななくなるという話がありました。人は不慮の事故で体がバラバラになる以外は死なないと。それはそうかなと思いましたが、もっとずっと先の話かと思われるので、真剣には考えませんでした。しかし、「150歳」という具体的な数字が示されれば・・・、ちょっと衝撃です。

 

書評によれば、平均寿命が150歳になるとともに、健康寿命も延びて行くとあります。今、日本でも、健康寿命は70歳くらい。それでいくと、70歳から150歳までどのように生きて行けばいいのか…ということになっちゃいますから健康寿命も延びてもらわなければね。

 

 

150歳まで生きられるとしたらどんな問題が起こり得るか、単純に考えてみました。

 

まず、何歳まで働いたらいいのっていうこと。現在、定年は60歳・65歳?それから、20年は生きるとすると、130歳まで働かなければいけないのか・・・。疲れるう~。人が130歳まで働けば、若い人はどうするのかという問題も出てきますよね。今でも、就職難の世の中。年寄りは早く引退しろよって、話でしょ。というのも、テクノロジーが進んで、機会が人の職場を荒らしていますからね。

 

皆が、老後150歳までのんびりと余生を送ることが可能ならばいいですよ。でも、それは、現在でも先進国のお金持ちしか許されないことです。150歳まで、老骨に鞭打って働くなんて、考えるだに恐ろしい。人間社会が進歩(成熟)すればいいですが、そんな気配もないので、きっと、金持ちだけ長生きして富を一人占めしますよ。そして、途上国とか、低所得者はやはり惨めに生きて行くしかないのです。その惨めな時間が増えるということです。

 

健康と仕事の話はしました。もうひとつ、セックスです。どうでしょうか。80歳くらいまでなら結婚生活もうまくいくかもしれません。それももう死ぬとわかっているから上手くいくのかも。それが150歳となると…ね。結婚、離婚、結婚、離婚と忙しいことになりそうです。それから、今の家族制度が続いて行くなら、とんでもない数の大家族ができそうですね。または、人は子供を産まなくなり、年寄りだらけの世界になるのかな。途上国は若ものだらけ、先進国は年寄りばかりなんて。国の格差、また、国内でも貧富の格差が進みそうですね。

 

 

率直な話、わたしの周りには、定年後何をしたらいいのかわからない人だらけ。皆が自分探しの旅に出られたらいいけど、それにも才能が要りますから。「そもそも人類がこれ以上寿命を延ばすことは、幸福と言う点から言っても地球環境の点から言っても良いことなのだろうか」とは、評者の言。死を遠ざけようとするのは、人類の性。でも、現実的にそれが可能になった時、我々はどう考え、どう生きて行けばいいのでしょうか。






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2014年1月13日月曜日

読書会 パート2

 

以前も書きましたが、月一回、英語の読書会があります。読書会と言ったってそんなたいしたことはしていません。担当者が10ページ程の短編小説などをコピーし、皆に配布します。一ヶ月間でそれを読んで、集まった時に感想とか質問とかを互いにするだけのものです(先生はイギリス人)。

 

1月の読書会は、わたしの担当です。それでマーク・トウェインの『THE CANVASSER’S TALE』を選びました。この読書会のために『THE COMPLETE SHORT STORIES OF MARK TWAIN』を買ったのです。そこから、10ページ程度の作品を選び出し付箋を貼っていきました。そのような作品はたくさんありましたが、なかなか選べませんでした。何故なら内容の問題です。前回は、J.G.バラードの『溺れた巨人』を選んで、皆が戸惑った様子だったからです。今回は、皆さんの共感できるものにしたいなと。

 

最初に選んだのが『CANNIBALISM IN THE CARS』でした。しかし、読み進んでいるうちに、「これはダメでしょ。」と。列車の中で、主人公がなにか高貴な名のありそうな紳士と隣り合わせになります。その紳士が、退屈しのぎにと話を始めます。(いつものパターンですけど)。

 

彼が若かった時、同じように列車の旅をしていました。その時、吹雪で列車が立ち往生し、雪の中に閉じ込められてしまうのです。何日かは、お互いに協力し合い助けを待ちます。しかし、なかなか救助隊が来ません。そして、食料も底を尽きます。最後に、そのコンパートメントの十数人だけが生き残ります。が、まだ助けはきません。そこで・・・、ひとりを犠牲にして生き延びようという意見が出てきます。

 

「誰を殺して食べるか」の投票です。どうですか、読書会のレディたちには薦められない内容でしょ。その話合いの模様が延々と繰り広げられるのです。一人の人が、一人の名前を上げて、推挙します。違う人が、その人は「これこれ」の徳があるので賛成できない。とか、「痩せているので、食べる部分が少ない」とか、話しあう始末。一人は決りました。でも、まだ救援隊は来ません。そして、次の話合い…云々です。最後に、彼ともう一人が残ったところで、助けられます。さて、この話は本当のことか、あるいはその紳士が退屈しのぎにデッチアゲタことなのか。紳士は、主人公との別れ際に、ニヤッと、狂気の笑みを浮かべて去っていくのです。

 

 

わたしが、マーク・トウェインを選んだ理由はと言いますと、

 

彼はご存じの通り『ハックルベリー・フィンの冒険』とか『トム・ソーヤの冒険』とかの作者です。皆さんは彼が子ども向きの本の作家で、陽気な明るいアメリカンとお思いかもしれません。しかし、晩年の彼は、厭世的な皮肉屋です。最晩年の作品『人間とは何か』では、思い切り「人間」というものを否定しています。同様に、『ガリバー旅行記』のスウィフトも最後の『馬の国』では、人間不信丸出しで、馬の世界を懐かしむ…、話でした。小説家否芸術家で呑気なオプティミストなんて皆無でしょう。「いるわけない」でしょう。彼等は、人間の業・不条理を凡人の代わりに代弁して創作している人々なのだから。

 

わたしが、最初彼に関心を持ったのは、EUが英語をオフィシャル・ラングイッジに選んだ時に、ネットで流れた文章です。(公用語は24言語ありますが、欧州委員会では内部での作業を行う際には英語、フランス語、ドイツ語を使用することができ、すべての公用語を用いるのは公式情報や伝達の際に限られます。)その文章は、EUは英語を第一公用語とするが、その代わりに「英語を徐々に変えて行く」と言うものでした。英語独特の表現方法を見直していくということです。例えば、代表的なのはthの発音。これは将来的には、tの発音とすると。また、サイレント文字ghthrough)などは、スペルからなくすとかです。EUのカンファレンスでブレア首相(当時のイギリス首相)がこういうことを五年計画で成し遂げると演説したということになっていました。

 

「えっ~、すごいな~。ほんとうか。」と思ったら、それは、ず~~~っと以前に、マーク・トウェインが書いていたことだったんです。興味深くありませんか。俄然、彼に興味が湧いてきたということです。

 

 

今回わたしが選んだ『THE CANVASSER’S TALE』は、「やまびこ」を売り歩くセールスマンの話です。ちょっと滑稽でまたもや「人間なんて♪ららっらーら、らーら♪」なんて内容です。皆に受けるといいけど・・・。




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2014年1月9日木曜日

『137』を今、読書中・・・


新しい単語をGETしました。

oyster です。もちろん日本語で「牡蠣」です。而して、その別の意味は・・・、

The world is his oyster.

Golf is his oyster.

ご存知の方には、つまらない指摘と思いますが、わたしにとっては、とても興味深かったので。

oyster :思い通りになるもの、または、大好きなもの・・・です。

語源は何なんでしょうね。まだ、未調査です。

                          *
         

今、『137』を読んでいます。以前にもご報告いたしましたが。まだ、読み切ってはいません。まあ、途中経過と言うことで。

このoyster はここからGETしたわけです。


まだ、何ページかな、そう40ページほどしか読んでいません。そして、「137」の意味はまだ出てきていません。ペラペラとページをめくると、ほどなく、その意味がわかりそうです。

基本的に、自伝、その他、人の人生には興味ありません。が、この本は、プラス、心理学と物理学の本でもありますので読み進めています。進んでいますか、ってことですけど。


「偉い人」の伝記というと、(子供向けでは)、小さい時からどれだけ偉かったかという報告に終始しますが、今のところそんなことはなく、如何に二人とも常識外れの変人だったかが述べられています。


次回、そんなところもご報告したいです。取りとめもなく・・・スイマセン。






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2014年1月5日日曜日

年頭の・・・


わたしはジュエリーデザイナーな訳でしたが、引退するとの宣言に、友達あるいは周りの人々は、「それでは何するの」と。

 

「そうね~。それでは小説家になる~。」

 

と言うことで、今まで文章を書く修行(?)をしてきた訳です。上海から帰って来てブログを始め、約10年。始めたのは2016年と思います。文章を書くのにようやく慣れてきました。が、小説家にはなれません。なぜなら、何か小説を書き始めたとたんに、自分自身「つまらない」と思うからです。最近、小説家の人が、「小説家は、文章を書き始めると、途中で必ずつまらないと思う。しかし、それでも書き続けることができる人が小説家になれるのだ。」と言っているのを読みました。

 

しかし、それって、2流ってことでしょう。あるいは3流。天才は、自分の作品に疑問を持ったりしないよ。もちろん、2流、3流の小説も必要なのはわかっています。それで、満足できるかってことです。わたしが書くのは3流以下です。誰も読まないと思うから。でも、修行し続ければ、3流にはなれるかも。なにかコツをつかめればね。

 

そこで、囲碁です。囲碁って、客観的評価があります。級とか段。やり続ければ、何らかの評価は得られる。そして、3流でも生きていける。それは、3流と言う評価が確固たるものだからです。

 

だから、わたしはここで、気楽に囲碁の道を選ぼうかな~~~、なんて思っています。勉強すればそれなりに評価が得られるからです。これって、人生の「逃げ」でしょうか。今のところ、初段を目指します。

 

 

もうひとつ。スランプって言う言葉を聞きました。もちろん、知っている言葉です。でも、わたしには関係ない言葉と、ずっと思っていたから、気付きませんでした。「わたしって、スランプかも」って。

 

彫金師ですが、自分の作品がくだらなく思えて、引退しました。自分の作品を好きになれないのです。もう全然才能ないって思ったけど、今、囲碁に打ち込んでいたら、また、やる気が起きることがあるんだろうかと思い始めました。高橋源一郎さんも小説が書けず、2~3年競馬をしていたって聞いたから。そして、また突然書く意欲が湧いてくるって。そうかな。ほんとかな。

 

 

とりあえず、年頭の決意。「囲碁をやり抜く。」

 
 



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2014年1月2日木曜日

新春から世迷い言


元旦は、一年で朝からお酒を飲んでも許される唯一の日だ。(と言って、毎年2日も3日も飲んでいるが)。と言う訳で、わたしのお正月初めは、日本酒を飲むことで始まり、終わった。無駄な一日だったと言えるだろうか。

 

そして、ひとつの言葉がわたしの頭を駆け巡った。それは、「AMALGAM」。合成物という意味。アマルガム、アマルガムと唱えると、なんだか戦隊物のヒーローの様。あるいは、ロボット・スーツの名前みたいだ。ガンダムみたいに。

 

 

 

辞書によるとamalgamは、an alloy of mercury with another metal, especially one used for dental fillingsです。味もそっけもない用語です。しかし、こんな使われ方もします。

 

an amalgam of emotions  感情の交錯

an amalgam of imagination and truth  想像と真実の混交

a curious amalgam of the traditional and the modern  伝統と現代の奇妙な交雑

 

どうですか。なんだかロマンチックじゃありませんか。単なる科学用語からこんな哲学的な表現が現われるとは。今年は、こんな調子で英単語をゲットしていきたいと思います。

 

 

One thing I hope is an amalgam of IGO(囲碁) and English.

 




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