2015年10月13日火曜日

ノーベル賞からの~、ひとりごと


今年も日本人がノーベル賞を受賞する運びとなりました。わたしの周りの人たちもいろいろと話題にしています。「日本人は賢い。」と言っている人もいました。今回は、中国の方も同時に受賞しましたが、韓国と中国は「なぜ、日本人がノーベル賞を我が国より多く取れるのか」ということを分析しています。そのひとつの答えは、「日本語」でした。

 

「日本人は、日本語でモノをなんでも考えることができる」これが重要な事です。中国や韓国は、もちろん自国語はありますが、学問をする場合多く英語で学びます。そのために自国語でなく英語で研究をしてしまうということです。その他、欧米以外の国では、自国語を棄てた国もあります。言葉を棄てると言うことは、その国の考え方を棄てると言うこと……言葉は、その国に必要な事を表わすために発展しているからです……、その国の伝統を棄てると言うこと……伝統は、その国の言葉でしか伝承されえないからです、つまり、その国のアイデンティティを棄てると言うことになってしまいます。

 

アフリカの多くの国は、英語やフランス語、ポルトガル語などが公用語となっています。もちろん彼等のもともとの言語もあります。しかし、西洋文明が彼等の国を襲った時、彼等は、その事象を表現する語彙を彼等の言語の中に持っていませんでした。アジアも同じです。フィリピンは、英語を受け入れました。それゆえに大学で物理や化学などを学ぶ時、それを表現する自国語を作り出せませんでした。もちろん、英語を受け入れてからの文化の熟成はあるでしょう。それは新たなるアイデンティティの創出と言えるでしょうが熟成の期間はかかります。

 



 

日本についても同じ事が言えます。俗に言う「黒船来航」です。しかし、日本の場合は、その前に、西洋の情報をたくさん仕入れていました。種子島の鉄砲伝来…でしょうか。西欧の第二次産業革命からの植民地支配の前に、日本は予備知識を獲得していたこと、それが日本がラッキーだったことなのでは。それは、日本人の探究心のたまものとも言えますが。

 

以前、『黒船来航――日本語が動く』という本の感想をUPしました。その時に述べたように、その時点で、日本人は蒸気船を知っていたし、彼等と意志を通じ合う言語も持っていたのです。また、誰が、その船のボスであるのかとか、どの船に重要な交渉相手が乗っているのかとかの情報は持っていたのです。

 

そして明治維新。西洋文化が、ものすごい勢いで日本を襲って来た時、日本の大学では、西欧の知識を日本語に翻訳したのです。翻訳できるボキャブラリーを日本語がすでに持っていたという現状はありましたが。生徒達は英語での授業の後で、翻訳の時間を設け、今日習得した知識をすべて日本語に変換したのです。この時変換された日本語が今の我々が日本語で新しい事象を表現できる基礎になっているのです。

 

(西欧文明が彼等を襲った時、中国は違っていました。中華思想です。彼等が中国より優れているとは思わなかったのです。西欧の知識を軽視しました。中国では後に、日本が翻訳した西欧の新しい語彙の翻訳を取り入れました。)

 

ですから、意味が少々違うこともあります。例えば、「神」とか「哲学」とかです。我々の「神」と彼等の「神」は全く違います。また、日本語に「哲学」はなかったと思います。あるのは「思想」でしょうか。しかし、quantumを「量子」として日本語で考えられるとか、その他、水素、原子、分子、などなど、我々は科学を日本語で思考できます。量子以降は日本語にはありませんが…。英語圏の特権ですね。
 
これをどう考えるかは…、「あなた次第」ということで。おヒラキ。







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