前回英語学習について考えました。関連して、わたしが興味を魅かれたエピソードを紹介したいと思います。すべて朝日新聞の記事からです。
一つ目は、『英語をたどって』という連載記事から。わたしが興味を持ったのはその中の一つ、北関東の男子高のお話です。
栃木県立宇都宮高校の英語部のこと。わたしは失礼ながらこの高校のことは知りませんが、記事から察するに有名進学校のようです。記事は少し古く2013年。この記事で「昨年12月の全国高校生英語ディベート大会で宇都宮高校が初優勝し参加250校の頂点に立った。」とあります。
その英語部の顧問であり英語教諭有坂由美さんは、三年前に(2013年の三年前)宇都宮高校に異動してきました。その時、外国語指導助手(ALT)が教える授業を見て驚きました。なぜかと言うと、中学生レベルの英会話をしていたからです。「今何時ですか」とかの類です。生徒達に感想を聞くと、「つまらない」、「息抜きの時間」との返事。そこで、ALTに彼等の知的水準に合わせた授業をしろと談判。そして、英語で議論をする授業が始まったのです。
彼等の知的興味を引く授業は大成功で、生徒の英語力はどんどん上がりました。ディベート大会に出場した生徒の中には、入学時には全然英語を話せなかったという者もおり、発音も日本人的な生徒が多く、帰国子女たちが多いディベート大会では不利かと思いきや…、優勝ということです。前副部長の小田君は、「言葉の情報量では帰国子女の英語には勝てない。少ない言葉で反論できるようにした。ぼくらは相手の主張の幹を切る。」と言っています。
そして日本で優勝を果たした彼等は、トルコで開催された世界大会に出場します(2013年)。その結果はどうだったのか。小田君は、「透明な壁にぶちあたったみたいでした。」と言います。相手にぶつかれないということでした。話すスピードや語彙が段違い。嵐のように主張が飛んでくる。
予選の相手国は、タイ、トルコ、チェコ、アラブ首長国連邦、スウェーデン、インド、レバノン、ボスニア・ヘルツェゴビナの八カ国。結果は、レバノンに勝って、1勝7敗。しかし、彼等の1勝は快挙で、日本代表では3年ぶりの勝ち星だったのです。
世界との差は何なのか。出場した生徒達の話です。「外国の高校生たちは議論するのが当然、主張するのが当然、という感じだった。でも僕らは日本でふだん、議論する必要がない。へたに議論しようとしたら、煙たがられる」。また、「英語部の中で議論するのはいいけど、教室でやったら友達がいなくなる。クラスの多数の意見なら違う意見は言わない。英語部では、気になることがあれば口にする」。
インタビューを敢行した記者の結論は、
「英語ができない」って何なのか。ひょっとして「議論ができない」ことを英語のせいにしているのではないのか。
と言うことは、つまるところ「文化の違い」と言うことでしょうかねェ。言語と文化は切り離せない関係ですから。この矛盾点を如何に克服するかですね。わたしも英会話クラスでは浮いていましたし、煙たがられていました…、今思うに。
二つ目の記事は、最近のもの(2015年8月)です。『いま、子どもたちは――英語ディベート』。同じく話題はディベートです。こちらは茨城県立竹園高等学校のお話。ディベートのだいご味はチームプレーだと述べられています。英語を流暢に話す生徒がたくさんいても、必ず勝てるわけではないと。
わたしが興味を持った点は、ディベート大会のために生徒がさまざまな話題を徹底的に調べることで、生徒達の進路選択にも刺激を与えているというところでした。
2年生の諸岡彩さんは、今年の話題である「PKO」について調べているうちに、日本の国際的な立場や国際関係をもっと知りたくなり、外交官を将来の視野に入れたそうです。また、ディベートで論理的な考え方を鍛えてもらっていると感じている上島さんは弁護士や検察官に興味が出てきたそうです。2年生の高橋さんは、原発の是非を調べて論じたことがきっかけとなり、大学では、環境系の学部で学ぶつもりだと言っています。
やはり英語を学ぶと言うことは「英語を学ぶ」と言うことでは終わらないと言うことでしょうか。単に「英語を学ぶ」と言うことは目的になり得ないのです。彼女たちもそれぞれの道を模索し、突き進みそしてその上で英語力が武器になればステキなことでしょう。(ちょっと上から目線でした。スイマセン。)
最後は2015年9月の記事から。『ひと』という毎日掲載されているコラムです。9月2日の「人」は、大場則之さん。海外留学のお話です。彼は、「ISC留学net」というネットワークを立ち上げました。留学の相談からアフターケアまでのすべての世話をしてくれるそうです。そのきっかけはこうです。
彼は慶応大学理工学部を卒業し、ベンチャー企業の雄、堀場製作所に入社しました。24歳の時、フランスの田舎町に赴任。その時は片言で英語が話せるだけでした。4年余り欧州で過ごしました。その後転職などを経て、6年前に死期を悟った学習塾の社長にあとを託され学習塾を営むことに。
そこでいろいろな問題を抱える親や子供に遭遇します。どうすればいいかと考えたところ、自分がひとり欧州で暮らした日々を思い出しました。日本人ひとりぼっちで暮らした忍耐の日々。しかし、仕事も生活も自分で決断することで「生きる力」ができたと。彼は、留学も人生修業だと考えました。迷える親子を「留学道」に誘おうと思ったのです。今では、年間100人ほどが一年間の海外生活に旅立ちます。親からも「見違えるほどたくましくなった」との声が聞こえます。
「留学道」とは興味深いですね。「道」とは、何かの技術に哲学的な意味が加わることと思います。剣術が剣道になったり、柔術が柔道になったりと。「術」はテクニック、「道」はその術に精神性を見出すこと。この三つのエピソードはすべて、英語を話すテクニックからの…、もう一段上の何かにスライドすることと思いますがどうでしょうか。
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