2015年10月23日金曜日

中国人の英語教師 (上海滞在記2003-2005)


前回、少々彼女の事を書きました。「ヒーさん」のくだりです。彼女はわたしの上海の友達の英語の先生でもありました。彼女が友達の英語名の名付け親です。友達の英語名は「メイ」です。これからは、友達のことをメイさんと言うことにしましょう。

 

中国人はたいてい英語名を持っています。英語を習う機会があった人はですが。英語の先生が、英語名を授けるからです。メイの息子も幼稚園の時から英語を学んでいるので、彼の名前はトニー。小学校に入学した時、彼のクラスにはもうひとりトニーがいました。彼女の息子は、先生に名前を変えろと言われたそうですが、メイは先生と交渉して、「トニー」を死守しました。

 

メイとは、2002年にイギリスのマーゲートに行った時に出会いました。その時、学校には日本人がわたし以外にもう一人いると聞いていたのですが、見当たりません。それで彼女がそうなのだろうかと思っていると、先生が生徒の名前を紹介する時に彼女の名前を発音できず、彼女は「メイです。」と自分で名乗ったと言う訳です。その話はまたの機会にということで、中国人の英語教師のお話です。

 



 

彼女は裕福な家の出らしいです。でも上海出身ではない。メイに言わせれば、「彼女、上海人ないね。」です。上海人はすごく上海人ということにプライドを持っています。おそらく、東京に対する大阪のようなもの。北京に対する上海です。上海に進出している企業は大阪の会社が多いってご存知ですか。統計的にどうなのかは責任を持ちませんが。

 

彼女の生い立ちについては本人から2回ほど英語で延々と教えてもらいました。彼女の父親は彼女のことをとても可愛がっていて、大学に進むようにいつも言っていました。でも、彼女は父親にお金を出してもらって素直に大学に行きたくなかったようです。つまりINDEPENDENCEを標榜していたんですね。

 

そこで、勤めながら勉強ができるという制度がある会社を見つけました。そして応募しました。その面接でいつもの弁論術を発揮して(彼女は凄い。その上「どうやって人を説得すればいいのか」というような本をいつも読んでいる。)その会社に入社しました。しかしその会社で働いて学んでいるうちに「これは自分が望んでいるものではない」と思い始めたそうです。それで会社に面会を申し出てその主張をしたとか。つまり、会社は学校の費用も払っているのだから、途中で勝手にやめることはできなかったのです。そこを再びうまく丸め込んで家に帰りました。寮制でしたから。

 

わたし:おとうさん、怒らなかったの?非難しなかったの?

 

彼女:お父さん沈黙していた。でも、わたしは知っていたよ。お父さん他の人にはニコニコ顔で娘が帰ってきたと嬉しそうに言っていた。わたしに大学に行けと言ったの。いろいろ考えて英語を学べば英語の先生になってひとりで生きていけると思ってそうした。

 

そして彼女はその通りになったのでした。わたしと会った時は、すでに英語の先生ではなかったので、まだまだ紆余曲折はあったのですが。

 

 

彼女のお父さんですが、彼は殺されました。40歳代の時に強盗に襲われたのです。これも中国の不幸な出来事です。今も(2003~2005)そうですが、中国の取引は全て現金なのです。もちろん銀行振り込みは出来ますが、銀行間での決済システムがないので、振込でも現金を銀行の窓口に持って行きます。

 

わたしのアパートの家賃の振込も銀行に現金を持っていって支払いを済ませました。ご存知の通り、上海はどこでも人、人、人。銀行も例外ではありません。窓口では大量の札束を一々数えるので、すごく時間を要します。また、偽札も多いので、何重にもチェックしますから余計です。銀行に「VIP室」というサインがある部屋があったので「どういう意味」とメイに聞いたところ、「偉い人は早くできるんだろうよ。」と言う返事。

 

「ヘェ~、共産主義の国でかあ。」と言うと、「そうね。不思議ね。」と。

 

 

そんなことで、彼女のお父さんは商売をしていた為、いつも取引のために大量のお金を持っているといううわさが流れており、それで強盗に襲われたという訳です。

 

世の中は不条理だらけのようです。








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