2013年8月31日土曜日

ニュージーランド滞在PHOTOS

つづきです。

フィチアンガのビーチ。








フィチアンガから船で対岸に。そこのビーチです。人影はまばら。まるで、プライベートビーチのようですよ・・・。








オークランドに移ってから、フェリーに乗って、島めぐりをしました。そこのカフェです。







その島から見たオークランドのタワーです。






タワーにも行きました。タワーから見える風景。
オークランドの港です。こんな大都市で、すぐ近くにこんな港が見えるとは、・・・素晴らしい!




同じく、港。





タワーから見える街並み。中央に見えるのは、チョコレート工場。今は、ショッピングモールになっていますが、リノベート中でした。ほとんどのお店がクローズ。
今後、行かれる方は、新しいショッピングモールを見る事が出来るでしょう。たぶん。







タワーのガラスの床からの写真。中央のヘリポート・マーク(赤いところ)のようなものは、このタワーから飛び降りる、なんだっけ、バンジージャンプの目的地マークです。観光客は大枚を払って「わざわざ」ジャンプするのです。わたしはこのタワー滞在中、2回ほど見ました。ジャンプする人を。






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やっとニュージーランドの旅のphotoをUP・・・

今年2月にニュージーランドに行ったのですが、その時の写真を整理せず、今に至ります。昨晩、やっとPCに取り込みました。それで、早速このタイトルのバックに入れてみました。ピンクの靴はわたしの足です。


ニュージーランドには、4週間ほど滞在。3週間はフィチアンガという田舎町(しかし、リゾートエリア)に、あと5日間くらいはオークランドに。フィチアンガでは、英語スクールに通ったのですが、目的は「海」。2月はちょうど良い季節かと思っていましたが、もう秋に入る頃・・・ということで、海で泳ぐのには少し涼しかったです。でも、泳ぎましたよ~~~。朝晩は涼しく、日中は太陽が燦々と輝いている時は、真夏のようでした。

その時のお話は、以前にUPしましたので今回はPHOTOを。

フィチアンガで宿泊したのは、ユニバーサル・ヴィレッジという学校の寮みたいなロッジ。でも、その学校の生徒以外の人も泊まっていました。伝説の日本人女性Jさんなど・・・。





この建物は、ロッジの一部です。もうひとつ、メインの2階建ての建物があります。多分10部屋ほどあると思います。もう一つありました。違う棟で、3部屋ありました。一部屋は、現地の方が住んでいて、ひとつは、ロッジのオーナーの娘夫妻が居住、もうひとつは、同じ学校に通っていた日本人の男性。この男性は、テレビ番組の制作およびカメラマンで活躍している人でした。見た事のあるドキュメンタリーのお話をしていましたので、「活躍」している人でしょう。最初にロッジに着いたとき、47歳の金髪の日本人がいるとうわさになっていました。(この話もUP済み)。



ちょっと、続けて写真をUPする方法がわからないので、出直します。つづきはまた。。。










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2013年8月30日金曜日

デザイナーベビー


今週の宿題(プレゼン)は少々難題です。以下のお題から一つ選んで反対か賛成か意見を開陳しなければいけません。

 

experiments on animals    /   euthanasia     /    military service

choosing the sex of your child   /   cloning   /   working from home 

the legalization of soft drugs     /    body piercing    /   banning hand guns

 

 

難題というのは、全然関心がないからです。敢えて言うなら、choosing the sex of your child  cloning でしょうか。他の課題は、「好きにすれば」という感じ。選んだ二つの問題も真剣に考えているわけではなく、ただ興味があります。

 

子供の「性」を生み分けることとクローニングは自然の営みの法則に反します。その他の問題は、安楽死のことは少々脇に置いて、自然の営みの法則に関係なく、人間の制度の問題としてどうなのか、というもの。自然の営みに逆らうと言うことは、その分、過重の責任が人類に課せられるということです。

 

「子供の性を生み分ける」は、デザイナーベビーの問題と言えますが、今、その倫理的問題でアメリカなどでも、「クローン」以上に懸念されています。つまり、クローンと違い、誰にでも手が届きそうな事柄だからです。

 

デザイナーベビーの前段階に試験管ベビーがあります。これが最初の自然の法則に逆らって、人類が子孫を作った例ではないでしょうか。はじめは、採取した精子を子宮内に入れるものでしたが、その後、活性の高い精子を選り分け、卵子と受精させてそれを子宮に戻すと言うように進化してきました。その後は、その精子の選り分け方が高度化し、デザイナーベビーの誕生と進んで行きます。最初の人工授精は、日本では1949年に初めて成功しました。現在では、年間約一万人の新生児が人工授精技術によって生まれているとされます(2012年、新生児約103万人)。体外受精は1978年に英国で成功、1983年日本で成功となっています。体外受精児が誕生してから、年々増加し、現在では、65人に1人が、体外受精によって、命を授かっているようです。何か前の数字と計算が合わないようですが、まあ、そんなところです。

 

 

わたしはこの事に関して、倫理的問題を追及するものではありません。それが自然の営みに逆らうことだから問題なのです。人類はあるいは生物は、この地球でこの法則に則り進化してきました。人類はこの法則に従って生き続けてきたのです。だから、誰も自分が死ぬことに対して文句を言わない。あるいは、言えない。それは、運命なのです。それが、この法則を壊すことによって、人類いは自分の運命に文句を言うようになる。なぜ子供ができないのか。なぜ、病気になってしまったのか。なぜ死ななければいけないのか。このような思いに、誰が全ての人に対して対処できるのでしょうか。全責任を負いきれるのでしょうか。現在の未熟な社会を見れば、そこで誰かは希望を叶えられ、誰かは叶えられないと言う、差別の構造が現れるのは必然です。

 

また、何についても一気に完全な技術を手に入れることはできないのだから、その進歩の過程においても未熟な技術の犠牲になる人が現れるであろうし、無責任な実験行為も行われるでしょう。実際、何年か前に「人工授精で生まれた子供に生殖能力があることが確認できた」と言う報道がありました。言いかえれば、人工授精を推し進めてきた人たちは、不完全な人間ができるかもしれないと言う可能性を無視して、この技術を進めてきたということです。

 

人類が責任を負いきれない技術の発現ということは、なにか原子力問題にも似て不気味な気がします。

 

あるいは人類は、自らの手で全てのものを支配しようと試みているのかもしれない。食べ物を改良する事、養殖する事、治水などなど自然の力を制御しようとすることを筆頭に、自ら自身をもということ。つまり、自らの生殖や生や死の問題をも。クローニングがその最終結論ではないでしょうか。それで、人類は自分の生や死を自然の営みに邪魔されることなく、コントロールすることが可能になります。ある人々はこれを第三の人類あるいは人類の第三世代と呼んでいます。これで宇宙ステーションにでも住めば、すべてを、自分の生死さえも、「人工」で手に入れることができる、最高の人類孤高の世界の出来上がりと言えるでしょう。

 

 




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2013年8月28日水曜日

メゲる・・・・・・・。


毎週金曜日に囲碁講座に通っている。棋院の。2時間のコースで、前半は詰碁とか手筋などの解説、後半は十人程度の生徒が先生を囲んで対戦となる。先生一人に生徒十人ということ。

 

この対戦でいつもメゲて、2~3日は立ち直れない。対戦と言っても、時間に制限があるので、いつも勝敗が付くところまではいかない。なので、負けたからメゲルということではない。

 

何故かな~~~。

 

ひとつは、権威主義的場所に慣れないと言うことかな~~~。と言って、そこがガチガチの権威の塊の場所ではないのですけれど。生徒も先生も親切で良い人たちだ。しかし、先生と生徒という一本の筋は通っている。

 

これはもうわたし自身の問題と言うしかない。つまり、全共闘世代とは言わないが(間に合わなかったので、そのあとの世代です)、大学ではまだ学生運動の余韻は在った。青春時代に「権威」に対抗して過ごしてきたのだ。権威に屈服することはできない・・・なんて、囲碁で大袈裟だけど、ついつい先生に立ち向かって行ってしまうのよ。

 

もうひとつは、十数年英会話クラスに通っていること。日本及び海外。英語の先生と生徒の関係は、日本における「おけいごと」の先生と生徒の関係と大いに違っている。多分それに慣れてしまったのね。ずけずけと何でも言っていいのだ。わたしの中から、先生の言うことを立てると言う感覚がなくなってしまったのね。(おとなでこれなので、幼い時から英語を学ぶのはどうかな。これは別のお話ですが)。

 

「権威に対抗する+先生に何でも言ってしまう」・・・これが、囲碁クラスで災いを招く。

 

先回の事、わたしがへまな手を打ったので、先生が困った顔をした。その顔を見て、わたしは、「ああ、また下手な手を打ってしまったんだ。」と思って、「ケラケラ」と思わず笑ってしまった。自分が情けなかったからだ。で、先生に「笑いごとではありませんよ。」と。大いに窘められた。

 

それから、時間が来て最後に、一人ずつ対局について先生の講評があるのだが、わたしが「この辺で切ろうとしたんですが、だめでしたね。」と言うと、先生が、「あなたは切ろうとしていたんですか。」と仰った。まるで、十年早い!といった様子。・・・メゲタ。

 

 

家に帰ってビールを飲んだ。飲んでいるうちに、「えい、どうにでもなれ」と、ウィスキーを飲んだ。それで、土・日は一日中ふさぎ込む破目になったのである。飲みすぎの・・・欝状態だ。

 

次回は頑張るゾっ!
 

 




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2013年8月25日日曜日

ユーグレナ



実は、次回の英会話クラスのプレゼンの「お題」が『日本人が発明した一番重要なもの』です。わたしは、「えっ、日本人の発明・・・。日本人はリノベーションは得意だけど、どうも、イノベーションはね~~~。」と言ったんです。しかし、考えてみれば、近年、驚くばかりの発明が日本人の手で成し遂げられています。それもニッチでとてもユニークな研究ばかり。わたしは、それで、「ミドリムシ」のことについて述べようと計画しています。
 
 

ミドリムシは、ほんとうは「虫」ではなく学名ユーグレナという微生物の一種です。葉緑素を持ち光合成をするので植物の仲間と思われていましたが、鞭毛運動で動き回ることができる原生動物でした。体長0.05mmながらアミノ酸やビタミンなど59種類の栄養素を持ち、食べ物としてのバランスが良いそうです。ミドリムシのサプリメント自体は以前から存在していましたが、今回の発明は、ミドリムシを大量培養する技術です。ミドリムシは他の生物に食べられやすい微生物なので大量には育てにくかったのです。

 

この技術を開発したのは東大出身者によるベンチャー企業「ユーグレナ」です。会社を起こした原点は社長である出雲充(33)がバングラディッシュに訪れた経験にあります。彼は、飢えに苦しむ子供たちを目の当たりにし、世界の飢餓を解決する仕事をしたいと思い、帰国後、文系から農学部に転向したのでした。そこで、ミドリムシの存在を農学部での友人である鈴木健吾さんから教えられました。鈴木氏は培養技術を確立した立役者で、この会社の研究開発部長として出雲氏をサポートしています。出雲と鈴木が2005年に立ち上げた会社は、今、従業員36人、2012年9月期の売上高約16億円の企業に成長し、2012年、東証マザーズにも上場しました。

 

東京では、「みどりラーメン」なるものを食べることができるそうです。ミドリムシ6億匹の粉末がスープに溶け込んでいます。その他にもお菓子や飲み物を味わえるお店も都内にできたとか。また、JR渋谷駅そばのジュースバーで、ミドリムシの粉末入り飲み物が提供されています。

 

このような食料としてばかりでなく、藻の研究はエネルギー問題からも世界的に注目を集めています。藻からバイオエタノールを作りだし、車や飛行機を動かす計画です。出雲氏は近い将来飛行機の燃料としてユーグレナオイルを供給すると宣言しています(2015年か2020年でしたが忘れました)。その他、世界の大企業(英国の石油会社BP、米国のエクソンモビール、三井物産など)も、新たな資源として研究を進め実用化する為に技術を競い合っています。

 

 

2013年5月、国連食糧農業機関(FAO)が昆虫食を推奨しましたが、昆虫よりミドリムシの方が優雅だと思いませんか。思わないか。

 

 

その他、今、わたしが注目している「日本の発明」はたくさんあります。例えば、紙を木に戻す技術、ガラスより強い透明な紙、人工光合成の技術、光量子ビットの量子テレポーテーション(量子コンピュータにつながる)、人工血管を絹で編む技術などなど。長生きすれば、これから先いろいろ面白い事がありそうですよ。

 





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2013年8月24日土曜日

中途半端なUPですが・・・


思うに、日本の文化の特徴のひとつは、「公」と「民」の異常な隔たりである。日本の「官」は伝統を重んじるばかりのうちに膠着化している。それに引きかえ民間は、猥雑でなんでもありのPOPな状態。古代から明治・大正・昭和初期にかけて、公は漢文を尊び、民間は和文を利用する。そんなところにも、官が自らの立場に権威付けをする意思がみえる。

 

江戸時代の絵画、「官」で登用された狩野派と庶民の浮世絵にもこのことは見て取れる。また、現在の絵画で言うと、「~~~会」という権威ある集団。茶道や華道、その他諸々の「~~~道」のお家元制度。そして、庶民のコミック、コスプレ、オタク文化の隆盛。これらの庶民の文化は、昔から日本人にとっては芸術ではなく、日常の楽しみであった。それを「芸術だ」と指摘したのが、いつも西洋の人々であったことは興味深い。

 

と言って、わたしは日本人が日本の文化を正当に判断できないと言っているのではない。日本には別の価値基準があるのではないかと思うのである。「文化」とは、西洋から入って来た造語である。世の中は、西洋のエンライトメント運動と第二次産業革命以来、西洋の価値基準がまるで世界の(グローバルな)基準の如く、基準を一本化していっている。今、徐々に西洋で学んだ第三世界の学者の間からその矛盾点が指摘されつつある。

 

 

 

さて、こんなことを書き始めてしまいましたが、わたしが書きたいことはそんな芸術の事ではなく、日本の発明についてです。つまり、日本の発明についても同じような事が言えるのではないかと思うのです。「公」の技術革新の膠着化ではなく、民間の研究者はほんとに荒唐無稽の研究に日々取り組んでおります。1991年にアメリカでイグノーベル賞が選出され始めて以来、日本人が毎年のように受賞の栄誉を受けているように。

 

実は、次回の英会話クラスのプレゼンの「お題」なのです。『日本人が発明した一番重要なもの』。わたしは、それで、「ミドリムシ」のことについて述べようと計画しています。

 

 

次回につづく・・・

 






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2013年8月21日水曜日

読書会――もどき

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実はもうひとつ英語の講座を受けています。といっても、こちらは月一回で、講座とも言えません。生徒が三人集まれば、講座を開いてくれるところがあります。先生と場所を提供してくれて、アレンジもしてくれるものです。

 

わたしは前回も書きましたように、英語への情熱は薄れています。というか、満足いくクラスが存在しないと言うことですか。それで、読書会みたいなものを英語で持てたらいいな~~~と。英会話仲間に持ちかけたところ、三人集まりました。で、開催と言う運びとなりました。三人が順番に好きな本を選んで、10ページ程度の、それぞれ家で読んで来て、集まった時に意見を言い合うと言う形式となりました。

 

しかし、三人の思惑はそれぞれ違います。わたしは、ほんとに読書会を持ちたいと。つまり、英語で小説を読んで感想やら批評やらを英語で語り合いたい。もう一人の人は、Fさん、わたしの意見には賛同してくれましたが、どうも選ぶ本が子供向きのもの。とても、善良な精神の持主なのです。邪悪なわたしは、その本性を出していいものかどうかと悩みます。後の一人は、Uさん、彼女は、英語で何かを語りたいだけ。だから内容はどうでもいいけど、具体的に取っ付きやすく話すネタが散りばめられているのが良さそう。例えば、前回彼女が選んだのは、マイケル・J・フォックスの自伝的エッセイです。彼の不治の病にもメゲズ、前向きに立ち向かい、俳優業を充実させて行く精神はとても称賛できます・・・が、「それで、どうなの。」と、わたしは思ってしまう訳です。

 

次回はFさんが選んだ、まるで修身の(表現が古いね~~~、道徳か?)本から持ってきたような話。なんだか、子供の時に読んだような気もします。

 

イタリアの話のようです。多分19世紀半ばの。貧しい家族で、もちろん善良な、お父さんは働き者。子供は多い。いくら働いても貧乏から抜け出せません。それで、生業(レールマン)のほかにも、いろいろ仕事をしています。そのひとつが、宅配の荷物の住所をかくもの。

 

子供たちの中の一人は、「当然」賢く秀でています。父親自慢の「息子」です。彼は、父親が疲れているのになお働かなくてはいけないことをかわいそうに思います。そして、申し訳ないとも。息子が父親のその宛名書きの副業を手伝おうとしますが、父親はそれを許しません。「お前は優秀な子なのだから勉学に励みなさい。一生懸命勉強し、いい仕事に就いて家族を助けるのだよ」と。

 

それでも息子は、父親に隠れて夜中に宛名書きをします。どういう訳か父親は気付きません。しかし、幼い子なので、わからないが10歳くらい、夜中の仕事のため学校で寝てしまいます。先生から責められ、父親からも責められる。「どうしたんだいお前。見損なったよ。もうお前はわたしの優秀な息子ではない」と。息子は、父親からもう自分の息子ではないと言われ、絶望の淵に陥ります。そして、ある日、疲労のため真っ青になって気を失います。それで、お母さんが気付きます。父親は、悪かった、誤解していたと、「お前はやはりわたしの息子だ」と許しを乞います。息子も「内緒にしていてごめんなさい」と許しを乞います。

 

という、ハッピーエンド。どうですか。

 

 

19世紀の話なので仕方がないとは言えますが、第一に、家族の中で一番優秀な子が家族全員の面倒をみると言うのはどんなもんでしょうかね。こんな表現です。

……all the hopes of your family rest on you.

 

これを読んでいて、『コンゴジャーニー』を思い出してしまいました。幻のコンゴ恐竜をThe Marxist-Leninist People’s Republic of Congo Lake Teleに探しに行く旅行記のようなものです。イギリス人とアメリカ人のコンビの学者の珍道中。その中で、賄賂を強要するコンゴの役人たちに嫌気がさしていると、コンゴ大学の教授が、「彼等は、家族全員を養わなければいけないんだ。家族って言っても、兄弟の嫁の両親や兄弟姉妹、そして、叔父や叔母までもだよ。知らない間に家に居着いてしまうんだ。ある日家に帰ったら、また人数が増えているんだ。それに、今の仕事が永久に続くとは限らない。政権が代わればまた一文なしさ」と嘆きます。そんな感じです。

 

これに関連して、もうひとつ思うことは「不満が外に向かわない」と言うことです。貧しいことがすべて、自己責任となっていること。これは、言うまでもなく道徳的な話であり、美談です。ある意味、感動します。しかし、結局は、貧困を貧困のままにしておく体制側になんの打撃も与えない。それ以上に、体制は、善良な行為を利用して、自らの「悪」に蓋をしているのです。我々は、この話を通して「悪」の思惑を認知することはできない。

 

なぜ、父親は死ぬほど働いても貧乏なのか。そして、少年は父親を助けると言う「善」に向き合うばかりで、世の中の矛盾に気付くことは決してない、ということです。