2013年11月11日月曜日

「スノーデン」、リーク事件について


CIA職員のスノーデンによるリーク事件は2013年5月に始まったらしいですが、わたしはその時にはあまり関心はありませんでした。よくあるスパイ・ストーリーだろうと思って。その後、ロシアに亡命だ、なんだかんだの報道もありました。安部首相も「アメリカが同盟国である日本を盗聴していないことは信じている」と宣言しました。しかし、事態は、どんどん悪い方向に進んで行くように思われます。それで、日本のことが話題になり始めてから、新聞記事のスクラップを始めました。

 

 

朝日新聞の11月5日の記事では、「米、日本・ブラジルも監視」とあります。

 

「米国家安全保障局(NSA)は、アメリカが経済的な優位を得るために、監視対象国に日本とブラジルを含めている。」とニューヨーク・タイムズ紙が報じていると書かれています。

 

外交的な優位を得るための監視活動では、ドイツやフランス、経済的には日本やブラジルと言うことです。NSAの海外拠点がイギリスやオーストラリア、日本、韓国などの米軍基地や在外公館内に置かれているということです。

 

同11月6日の記事では、

 

NSAの任務では、日本が経済的だけでなく外交政策や先端技術についても監視の対象となっているそうです。「Strategic Mission List という表題の文章があり、重要任務として16項目が明記されています。このうち「外交政策」では、中国、ロシア、フランス、ドイツ、日本、イラン、イスラエル、国連など19カ国・機関を対象にし、「新たな技術の脅威が見込まれる国」として、ロシア、中国、インド、日本、ドイツなどが挙げられています。また、「経済分野」では、中国、日本、イラク、ブラジルの4カ国、「持続的に監視する対象国」としは、中国を筆頭に北朝鮮、イラン、イラク、ロシア、ベネズエラの6カ国が挙げられています。

 

同11月7日の記事は、『英情報機関、独で盗聴か』というタイトルです。

 

「英国情報機関の政府通信本部(GCHQ)が、ベルリンの英国大使館を拠点にドイツ連邦議会や首相府の通信を傍受していた疑いが5日、英氏インディペンデントの報道で明らかになった」

 

英国大使館の屋上に白い円筒状の構造物があり、それが盗聴の拠点となる傍受装置とみられるらしいです。携帯電話や無線LANの通信を傍受できる可能性があるとのこと。英首相官邸の報道官はノーコメントを通しているようですが、欧州局長が英大使に事情聴取をし、「外交施設での通信傍受は国際法違反である」と指摘しました。

 

同11月10日の記事のタイトルは『機密報道、強まる圧力――英紙編集長、議会呼び出し』です。

 

英紙ガーディアンの編集長が12月に英議会の内務特別委員会に呼ばれ証言する事になったということ。英政府や与党の一部は機密の暴露を激しく批難し、報道への圧力を強めている模様。

 

「ガーディアンは英政府に資料を破棄させられたが、憲法で言論の自由を保障された米メディアと連携し、米国に保管されたデータをもとに報道を続けた」

 

「英当局は8月、スクープを連発した同紙コラムニストのパートナーをロンドンの空港で拘束し、内部資料の入ったパソコンを没収」

 

「キャメロン首相は10月、報道差し止めも辞さない構えを表明した。」

 

議会への呼び出しに対し、ガーディアンのラスブリッジャー氏は「国の安全や人名を危険にさらしたことはない。公益にかなう報道だ」と反論しています。

 

 

以上ですが、段々エスカレートしていく感じでしょ。日本政府も、今、「日本版NSA」の設置に励んでいるようだし、「特定秘密保護法案」も毎日のようにニュースで取り上げられています。以前、中国政府のハッキングとか、インターネットのセンサーシップなどについて、西洋諸国は非難を繰り返していましたが、同じ穴のムジナという態です。やはりこれは、高度に進んだインターネット社会の副産物でしょうか。SNSで「アラブの春」が起こったというような、市民にとって有意義な面もありますが、そのシステムを権力側(?)が握ったら、とんでもない世界が出現するということですネ。

 

『リキッド・サベイランス』という本があります。日本語の題は『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について』です。それによりますと、今や人々は自ら進んでプライバシーを明け渡す時代とか。例えば、ネット上で注目を集めるため、また、ソーシャルメディア上でたくさんの「イイね」を得るため。このネット過剰状況は、人々の連帯に寄与する以上に、人々の間の新たな斥力を生んでいるとのこと。「持つ者と持たざる者」の分断、そして、上述のような「情報を搾取する者と搾取される者」の関係です。

 

 



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2013年11月8日金曜日

『ヒトの変異』



この本はおよそ二年前に読みました。その時、ブログに感想も書いたと思います。それでもまた今回取り上げたのは、この頃世の中ちょっとヘンな方向に行っていませんか、って思うからです。「出生前診断」や「デザイナーズ・ベービー」の現実化です。

 

「出生前診断」は世界ですでに20カ国で実施されており、日本では2013年4月より、認定された施設での検査が始まっています。「新型出生前診断」と言われるもので、以前より検査方法が簡単になり、妊婦への影響も軽減されました。アメリカの会社の発明です。日本政府にも、この検査方法を認可せよとの圧力がかかった模様です。

 

「デザイナーズ・ベービー」に関しては、両親の唾液などに含まれるわずかな遺伝子情報を解析し、生まれてくる子供の目の色や背の高さ、がんなどの病気になるリスクを予測する手法の特許が10月19日までに米国で認められました。もちろん特許を取得した会社は、「遺伝子と健康に関する理解を高めるのが狙い。子どもを選別する生殖医療に応用するつもりはない」と言っています。しかしながら、世界のオピニオンは「受精卵診断は定着しつつあるが、子どもの遺伝的特徴を選別することは倫理的な問題が大きい」と批判的です。言ってはなんですけど、また、アメリカの話です。

 

 

「新型出生前診断」は、高年齢出産の人たちには拠り所になるかもしれません。しかし、結果を知って「どうするのか」、「どのように判断し、結論を出すのか」という決断が残ります。それ以上に、検査自体にどこまでの精度があるのかも問題です。まず、新検査法で診る対象はダウン症など三つの先天異常に限られています。そして、これらの先天異常を持った赤ちゃんが生まれる頻度は0.7%だそうです。この検査で異常が見つからなくとも、その他の先天異常を持って生まれる可能性はあります。また、お母さんが35歳の場合、検査の精度は約80%と言われています。

 

 

そこで『ヒトの変異』ですが、A.M.ルロウ氏著です。彼は、肉体的にパーフェクトで生まれる人はいないと言っています。人が生まれるたびに、ゲノムの何%かは、すでに変異しているからです。何%かの正確な数字は忘れてしまいましたが、「ヒト遺伝子の約65%には、それぞれ少なくとも一つの変異が発見される」ということです。つまり、親から受け継いだ遺伝子のうち何%かは、正常に受け継がれていないと言うことです。そのミューテイションの度合いが人により違うと言うだけの事です。人より筋肉が少し多かったり、乳首が四つあったりしても、実生活にはなんの支障もないですからね。と言うことは、この検査によって正常・異常のラインを引く事はとても恣意的なことなんだ、ということのように思われます。つまり、世の中に役立つ人を選ぶということ。

 

彼によりますと、

「在る変異がほかの変異より『優れている』か、どうかは、その変異が生殖成功度を高めるかどうかで決まる。」

 

生物の目的は繁殖ですからね。人類は、その人類の繁栄をめざして、高度な社会を作り上げてきた。自然選択により生き延びられない人も救ってきた。弱い遺伝子を持った人も、その遺伝子を残せるようになった。ですから、人類は、今ある遺伝子すべてに責任を持つべきだと思います。「その責任を果たすべくの」社会制度の充実を願ってやみません。

 

 


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2013年11月2日土曜日

スマホは、どうよ・・・・・。



わたしはケータイを持っていません。以前は持っていました。持っていた時も、これがわたしに必要なのだろうかと、常々思っていました。それで、バッテリーの故障(多分)でケータイが使えなくなった時、バッテリーを買い替えるより、ケータイをキャンセルしようと考えたのでした。

 

ケータイが出始めた頃、我々は「あんなもの普通の人に必要何かね~~~」と言い合っていたものでした。そもそも、必要な電話なんてそうそう掛かって来ませんからね。それが、周りの人間がどんどんケータイを持ち始めて、「お前も買え~、お前も買え~」とプッシュするのです。それでも長い間持っていませんでした。しかし、とうとう圧力に負けてしまったというわけです。

 

その後、持ち歩いてはいましたが、電話ではなくおもにメールが届きました。それから、外出している時に、電話に出られる状況というものはそうありません。だって、そうでしょ。電車の中ではメイワクだの、歩行中の使用はキケンだの、運転中の使用は法律で禁止もされましたから。他の人との会話中にケータイを使うのは失礼でしょ。なんだかんだで、ケータイを持ってはいるものの、家に置きっぱなしという状況だったのです。

 

ひとりの時に使えば~、と言う「声」が聞こえてきそうですが、人との待ち合わせの時間つぶしには、妄想が一番です。そういった隙間時間にいろいろな事を考えられますよ。人間、「水は低きに流れる」と申しますように、楽な、与えられた娯楽に走ってしまいますからね。

 

 

ところでスマホですが、どうなんでしょう。スマホはもう単なるケータイの領域から外れていますから。今のところ、まだまだそんなにケータイとの違いはなさそうですが(あくまで想像です。どちらも持っていないのですから)、最近のニュースでは、スマホを中心にして、いろいろな事が進んで行きそうです。

 

思いついたところで言いますと、

おさいふケータイ、

コインロッカーの使用に使う、

外出時に留守宅のチェックをする、

外から家の電燈を点ける、エアコンをONにする、などなど。

 

また、自動車が自動運転できるようになると、

自分の車を止めてある駐車場から、自分が居る場所にスマホで誘導する。

スマホによる管理で、自動車地域共同交通システムを整える。

 

最近の新聞記事の情報によりますと、新たな駐車場システムがもう実行可能だとか。つまり、マンションなどの複数の車が駐車されている駐車場で、スマホにより時間予約をしておくと、勝手に車が動いて充電スペースに向かい、自分で充電して元の場所に帰ると言うもの。ドライバーの手間を省き、その上夜間の安い電気が使えるんだそうですよ。

 

 

まだまだ、いろいろなことがスマホを中心として発達して行くでしょうね。個人情報なんかもスマホに集中して行くし、銀行アカウントはすでにありますから。それは、それは、便利な社会になるでしょう。そこで、「わたしはスマホを買うの?」と言うことです。スマホを買わないと時代遅れの人間になっちゃうの?と言うことです。スマホがないと誰も生きていけなくなっちゃうの?と言うことです。

 

そこに、危険も当然ありますよね。情報が一つのものに集中すると、それが壊れると全てがオシマイということになりかねませんから。何事もダイバーシティが必要ということです。ハッカーもいますし~~~。車がコンピュータで制御されている昨今、ハックされたら、運転者の制御不可能ということに陥ります。ブレーキも効きませんよ。ハンドルも乗っ取られちゃいますよ。スマホもハックされたら、人生すべてがハッカーの手のうちと言うことになるかも。さらに、アメリカが全世界の情報を盗聴しているという事実(あるいは事実ではないか)も鑑みて、「自分の足で歩く」という覚悟も必要かも・・・、と思う今日この頃です。

 

スマホはどうよ?

 




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2013年10月20日日曜日

どうなる…アメリカ


以前、「G2」「Gゼロ」について書きました。GGroupGです。G3、G5、GG8、G10と徐々に、主要国会議に出席する世界の国は増えて行きました。今は、G20となっています。しかし、近年、この主要国会議は、数が増えた分意見がまとまらないという憂き目を見ています。

 

そこで、以前に紹介したのは、『「Gゼロ」後の世界』。政治学者イアン・ブレマー氏の著作です。G20は、新興国や既得権を持った主要国の思惑が噛み合わず、世界をリードする存在にはならないだろうという著者の意見でした。「G2」とは、米国と中国のこと。同じく、著者は、この2国では世界をリードし得ないと言っています。彼が予見したのは、「Gゼロ」です。つまり、リーダーの存在しない世界。

 

未だ世界は、「Gゼロ」にはなっていませんが、イアン・ブレマー氏は、最近、世界は予想以上の速さで、「Gゼロ」の世界に近づきつつあると言っています。それは、シリアの化学兵器問題の米国の対応。つまり、そこで世界のリーダーとしての力を発揮できなかったこと。そして、それに続く米国の政府機関閉鎖とデフォルトの危機です。一応危機は脱しましたが、また、来年初頭には再燃しそうです。

 

その上、米国の国家安全保障局(NSA)がテロ対策でネット上の個人情報を極秘のプログラムで収集していたという問題も明らかになりました。米国には良い統治と民主主義があるという国際的信頼が急激に低下しつつあります。米国自体も「世界の警察」という役割への関心を失いつつあります。米国の内向き志向も相まって、世界で指導的役割を果たして行く存在がなくなっていく状況です。

 

 

そんな折、朝日新聞が「大丈夫かアメリカ」と題し、三人の識者に意見を求めています。朝日新聞が選んだのが、中国、ロシアとフランスの面々。そこに、わたしは「おもしろいなあ~~~」と思ってしまいました。

 

その意見の紹介だけします。拙いほんの要約でスイマセンが。

 

 

中国:ニー・フォンさん(中国社会科学院米国研究所副所長)

 

リーマン・ショック後、米国のパワーは傷つき、以前よりも対外政策でほかの国と相談する必要性が生じている。オバマ政権は、小さな友人との関係は調節で来ても、中国やロシアの大国との関係を改善しきれていない。これはかなりの失策だ。

 

また、中国の最大の市場は米国だ。中国人が最も多くのお金を注ぎ込んでいる国でもある。破産されたら、回収できない。一部の外交政策など、同意できないことはあくまでも同意できないが、協力すべきことは協力する。ビジネスはビジネスだ。我々は劇的な変化を望んでいない。平穏で自然なプロセスが好ましい。(つまり、米国権威は失墜しても、中国の覇権の為の戦争にはならないだろう・・・ということか)。

 

 

ロシア:ビクトル・クレメニュックさん(ロシア科学アカデミー米国カナダ研究所副所長)

 

ロシアのプーチン大統領とオバマ米大統領はお互い嫌い合っている。それでも、シリアの化学兵器を国際管理する事で合意した。お互いの思惑が合致したと言う事だ。二国間が冷戦に戻ることはないが、同盟でもパートナーでもない。世界のあらゆる地域の安定が米国だけの力にかかっている状況は終わろうとしている。欧州に米国が居続ける必要がなくなったように、アジアでも米国はプレゼンスを縮小させていく。オバマ氏はとにかく政府予算の重荷を減らす必要があるからだ。

 

そんな時、中国の存在はどうか。かつてのドイツ、ソ連のように拡張主義に向かうのか否か。石油が偏在している中東のイスラム世界とどんな関係を築くのか。米国はその道筋を示してはいない。ロシアにも「シベリアの独立(シベリアの中国化)」という深刻な問題がある。そこには戦争の危機さえ含んでいる。多くの同盟国、そして依存する国々を持つ米国は、国際的責務とそれに割ける力のバランスをとるという、極めて困難な課題に直面している。

 

 

フランス:アニエス・ジャウイさん(映画女優)

 

フランスは今年、米国と欧州連合の自由貿易協定から映画などの文化産業を除外するよう迫りました。各国の映像文化の独立性を保つため、国際憲章の制定も提唱しています。多様な作品をつくり続ける環境を守るためには、市場の論理にすべて委ねてはなりません。自分とは違う他者を理解する事で、人種差別や戦争、自身の孤独と闘うすべを培うことができます。他国の文化に触れる機会を米国人は知らず知らずのうちに減らされており、自国の文化産業の犠牲者とも言えます。

 

 

 

最後のフランスのアニエスさんの意見は、少々視点が違うようですが、一応、紹介しておきました。わたしは、アメリカの力が弱くなって「Gゼロ」という状態に世界がなっても、それで、戦争がボンボン勃発するとは考えにくいので、イインジャないか・・・、と思うのですが。返って、今まで米国に抑圧されていると感じていた国々が、その力から解放されて、独自の平和な国を模索して行くのではないかと考えるのです、・・・アマイですか。








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2013年10月18日金曜日

追記

以前、「英語はそんなに思うほど世界で話されているのか」について書きました。その際、「笑っていいとも」の番組の例を引きました。

で、

今日、同じコーナーがあったのですが、「日本に来たばかりの外国人」の出演者はすべて、英語スピーカーでした。アメリカ人、カナダ人、ニュージーランド人、フィリピン人でした。偶然か、意図したものかはわかりません。それから、報道番組ではなくバラエティなので、そんなにとやかく言うことはアリマセン。

でも、

メディアって、それなりに疑って見た方が良いなって、・・・思いました。






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2013年10月15日火曜日

『はだしのゲン』に「いっちょかみ」



「いっちょかみ」は、わたしの母がよく使っていた言葉です。京都生まれなので関西弁なのだろうか。「ひとつ噛んでおく」、つまり「ちょっと首を突っ込んでおく」といったような意味でしょうか。「ひと言物申す」の関西版オチョケ表現といった感じか。

 

とにかく『はだしのゲン』の閲覧制限問題は一先ず沈静化した様相ですが、9月に「新しい歴史教科書をつくる会」が、この作品を「有害図書」として教育現場から締め出すことを求める要望書を文科相に出したと聞きました。このことに関する新聞記事を読みました。

 

 

記者がこの事について被爆二世でもある日本図書館協会・図書館の自由委員会の西河内靖泰委員長(59)に意見を聞いてみたところ、「良書だから開架にせよという主張も、悪書だから排除せよという主張も、ともに間違っています。どんな図書も平等に扱われるべきです。」の答えで少々驚いたとの事。つまり、特に『はだしのゲン』を支持するわけでもなく、右であれ左であれ、自分の考えと違うものは排除しようとする意志が働くものだが、図書館の自由は、多様な本を等しく扱う事・・・そして、対立する意見を等しく提示・紹介すること、なのだとのご意見だったのです。

 

この記者は、また、「ゲン」の著者である中沢啓次さんに生前取材し、「ゲンとは被爆者の怨念の漫画だ」と中沢さんが語るのを聞いたと書いています。著者にとっても、書いたものが良書であるのか悪書であるのかということは関係なく、自分の表現したいものを書くと言う事なのでしょう。

 

 

また、『名作に常識は似合わない』という違う記事も目にしました。その主張は、「図書館は異様な空間だ。残虐で不条理で不道徳な話に満ち満ちている。」というもの。つまり、青年が金貸しの老婆と妹をおので打ち殺す、『罪と罰』。アラブ人を殺した男が動機を問われて「太陽のせいだ」と答える『異邦人』。若者が皇族と婚約した女性を妊娠させる『春の雪』。などなど・・・、著作物は「善」に満ち溢れているものとはとても言えない。

 

すぐれた作品は読者のことなど御構いなし。読者の良識や常識、そんなものを考慮していては作品は書けません。読者はそんな自分と異質なものに向き合うことによって、戸惑い、反発し、考えるのです。そして、作品は読み継がれて行くのです。だから、『はだしのゲン』が良識にかなっているのかと問うことは、無駄なこと。誰かが、自分の考えと違うと言って、教育的配慮や歴史認識の問題を持ちこむと、その作品の世界とは違ったところに議論が行ってしまう。

 

この記事の著者の結論は、「平和を訴える本に感動すれば反戦主義者になる、戦記に夢中になれば好戦的になる、というほど人は単純ではない。さまざまな作品を糧としながら自分の考え方をはぐくむ。だから図書館は豊かで異様な空間であってこそ意味を持つ。そこに常識と衝突する作品があることは異様ではない。」でした。

 

 

わたしは、良い本も悪い本も、いろいろな雑多な本を読むことによって、自らで自分にとって何が正しいのか、有意義なのかということを選び取る力が生じるのであり、誰かが何を読むべきかを選択提示すべきではないと思います。もっと読者(子どもを含む)の良識や知性を信頼すべきです。為政者は、その時々によって変わりますからね。その度に、何が良書で、何が悪書かがコロコロ変わるなんてことはないはずです。と、思いますがね・・・。

 




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2013年10月13日日曜日

英語って「言うほど」世界で話されているの?



前回、インターナショナル言語としての英語の潮流について少々考えてみましたが、考えているうちに「んっ、ほんとにそうか」と思ってしまいました。

 

中国の事はちょっと脇に置いて、少し前に世界で話されている言語として、スペイン語が英語を抜いたと聞いた記憶があります。日本と言う地域柄、外国語と言うと英語と反応してしまいますが(あるいは中国語や韓国語か)、世界ではそうでもなさそうです。

 

つい最近の新聞で、現代イスラム研究センター理事の水谷周さんという方が『私の視点』というコラムに意見を寄せておられました。アラビア語についてです。

 

彼によりますと、

 

広く国際社会を見渡すと、アラビア語は特殊言語ではなく、多くの人が使用する広域言語なのである。アラブ人でなくとも、イスラム教徒となれば聖典コーランを読むためにアラビア語を習得する。ムスリムはアジアやアフリカ、欧米を含め、世界人口の4分の1になりつつある。英語と匹敵する存在であり、国連の公用語の中でもフランス語やスペイン語とは比較にならない(ほど重要)。国際報道の点から見ても、アルジャーラというTV局は、世界に対し重要な情報を「アラビア語」で発信し続けている。

 

前回五輪のあったロンドンには10万から30万人のアラブ人が住んでいる。ブラジルには1千万以上が住んでいると言われる。ロンドンの道路標識では、五輪以前からアラビア語が英語、スペイン語と並び表記されている。

 

以上、彼の主張の簡単な要約ですが、また、「アラブ人は一般的に英語ができると言うのは、誤解にすぎない。ロンドンで盛んにアラビア語通訳の宣伝が出回っていることが、それを証明している。」とも書いておられます。わたしもたびたびそんな感想を持ちます。つまり、日本人は、「日本人は英語が話せない。他の国々の人々は話せるのに」と思いがちですか、思ったほど、他の国々の人々は英語を話せませんよ。

 

とても卑近な例ですが、先日、タモリの「笑っていいとも」を見ていると、日本に来たばかりで日本語を理解できない外国人を連れて来て、出演者が好きな漢字を選んでその文字を書いたT-シャツを、意味がわからないままにどれが好きか選ぶコーナーがありました。5人くらいの外国人が出ていました。国籍はバラバラです。フランス人、イタリア人、マレーシア人等などです。で、その通訳は「英語の通訳者」ひとりだけ。誰でも英語が話せるという思い込みですね。実際、英語を話せる人はいましたが、あまり流暢ではありません。英語でなされた質問に、頓珍漢な答えをしていました。キルギスの人が一番流暢に英語を話していたと思います。その他の人は、フランス語やなにか出演者同士で通訳をし合っていました。

 

テレビのニュースなどでも、アラブの春などで話題になったエジプトやまたは経済問題ではギリシャ等など、「英語の国」でない街かどでインタビュアーは当然のごとく英語でインタビューをしていますが、彼等は、その思いのたけを英語で話せるほどの実力があるのでしょうか。または、英語を話せる人だけが選ばれてインタビューに答えると言うシステムです。国際的ないろいろなスポーツ選手のインタビューでも、勝利者は英語でインタビューされています。その英語能力はまちまちです。

 

以前、『日本人の9割に英語はいらない』という本を見ました(わたしは読んでいませんが、成毛眞著)。そんな感じです。今年ニュージーランドで出会ったスイス人の青年も、「スイスでは、英語なんて全然必要ない。でも、物理学者になりたいので、英語を学んでいるのだ。論文を英語で書かなければいけないから。」と言っていました。そんな感じです。「英語を話せない日本人」と言っても、外国人相手の旅館やお土産物屋さんは英語話していますよ。そんな感じです。

 

 

 

前回、「カタカナ日本語」は日本語だ…と書きました。でもアルファベットで書かれたものは違います。フランスでもイタリアでも・・・でも、パトカーにPOLICEとは書いてありません。日本の道路で、そんなPOLICEと書かれたパトカーに出会う度にウンザリしてしまいます。









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