コンゴ・ジャーニー
今、『Congo Journey』
by Redmond O’Hanlon を読んでいます。これで3度目の挑戦。この本自体は第一刷が1996年、日本語に翻訳されて出版されたのが2008年です。わたしは、その書評を読んで英語の方の本を買ったので、たぶん2008年以降にこの本を買いました。
もともとノンフィクション物はあまり好きではないのですが(人の人生にあまり興味がないから)、思想が入らない本ならシンプルで英語の勉強になるかもと。それから、ノンフィクションとは言え、内容がちょっと荒唐無稽そうでおもしろそうでしたから。
つまり、コンゴ川上流の湖に恐竜が棲息しているというピグミーの言い伝えに誘われて、全財産をなげ打って旅に出たイギリス人の探検家Redmond O’Hanlonとアメリカ人動物行動学者Lary Shaffer とコンゴ人の生物学者Marcellin Agnagnaの何やら怪しげな旅行記なのです。
一回目は、まだまだ英語力不足で少し読んで断念。二回目は、そこそこは読めたのですが、普段なじみのないアフリカのお話なので、内容がこんがらがってしまって断念。そして三回目です。今回は読めそうな気がしてきました。今、「アフリカと英会話」というオープンカレッジの講義を取っているからかもしれません。地名だけでも、アフリカのだいたいどの辺と見当がつくようになったからです。それから、ほんの…、ほんの少しですが、アフリカの歴史などもわかってきたからです。
この本は、1990年ごろと思われるアフリカのコンゴ人民共和国(現コンゴ共和国)に広がる未開のジャングルを探検し、幻の恐竜モケレ・ムベンベがいる湖Lake Tele を探し求める旅です。
当然のことながら、アフリカはもう西洋のコロニーではなく、彼ら自身の政府があり、ポリシーがあります。つまり、探検をするなら、それ相当の手続きが必要という事。ビザとか、どのルートを通っていいかとかの許可、検疫・・・、諸々です。その一つ一つの交渉を、政府の各役人としなければいけないという事ですが、西洋のルールでは通用しないものを含んでいる。それから、白人という事の逆差別も有り。
「ほんとうにLake Tele に恐竜がいると思うか」と政府の科学技術庁の長官にたずねると、
It is only white men who laugh at
Mokele-mbembe(恐竜の名前です).
We Africans know there is something there.
と、返されます。
遠い過去のアフリカの話ではなくほんの10年か20年ほど以前のアフリカです。町に行けば道路があり、タクシーが走っている。近代的な建物があり、雑貨屋があり、貨幣経済が成り立っていてふつうに買い物をすることができる。飛行機も飛ぶし、空港もある。兵隊は銃で武装しており、役人は賄賂で私腹を肥やしている。
しかし、そうしたきわめて現代的な光景と同時に、呪術や霊、占いといった存在がふつうに信じられている世界が息づいてもいます。西洋の理性とか合理主義を体現していそうなイギリス人の探検家やアメリカ人の生物学者が、彼らもまた、呪術や霊といった不合理なで非理性的な存在に振り回されると言う「楽しさ」がこれから読み進んでいく興味を誘います。
グローバライゼーションの時代ですが、インターナショナルな一つの基準、一つの物の見方にとらわれることなく、少し見る角度を変えて、どうしてそうなのだろうかと考えれば違う事実が見えてくるかも……と思うのです。
コンゴの原始林に幻の恐竜を探し求めるイギリス人の探検家レドモンド・オハンロン、彼の友達のアメリカ人の動物行動学者ラリー・シャファーとコンゴ人の生物学者、マルセリン・アグナグナの三人の探検記です。
レドモンドとラリーは友達のようです。レドモンドのコンゴのテレ湖に生息する幻の恐竜を探さないかと言う提案に、ラリーがコンゴの原生林に棲む生物を観測したいとの思いから乗っかったというところでしょうか。わたしの推測ですが。
しかし、コンゴの生物学者マルセリンは、レドモンドに同行を頼まれただけのようです。レドモンドは、Roy Mackal著 “A Living Dinosaur? – In Search
of Mokele-Mbembe”(1987年)を読んだ時、この本のAPPENDIX にコンゴの生物学会をリードするマルセリンが、秘境の湖テレで、それらしき生物を目撃したと書いてあったのを知りました。それで彼を仲間に引き入れたのでしょう。
コンゴ人のマルセリンは、キューバで学んだ科学者で、博士号も取得しています。そしてコンゴに戻ってからは、動植物保護省のトップに収まります(the head of Ministry for the Conservation of Fauna and Flora)。また、何カ国語も話せる教養人です。マルセリンは、彼の政府の権威ある地位と態度で探検の間に、さまざまな困難、問題を解決します。しかし、レイモンドとラリーの考えるその権威に見合った態度を示しはしません。
レドモンドとラリーが初めて彼に会った時、彼は若い女性と一緒でした。ラリーは奥さんですかと、聞きます。その時のことが、こう書かれています。
“She’s not my wife!” shouted Marcellin, pushing Lary’s hand away. “And
she doesn’t speak English!”
“Is
your wife joining us?” said Lary, fuddled with embarrassment.
“Of
course not!” Marcellin yelled into Lary’s ear. “She is pregnant!”
“Pregnant?”
“She’s
having a baby!” explained Marcellin, slightly louder. “I have one daughter
already! And now my wife --- she is pregnant again!”
“Congratulations,”
said Lary, bemused, his eardrum probably beginning to malfunction. “Well done.
Congratulations.”
Marcellin sat up. The girl withdrew her hands as if he had slapped her.
“Look!” he shouted, his chin jutting forward. “Let’s get one thing straight,
shall we? Right at the start. This is not England! This is not small-town
America! My wife is pregnant. So we can’t have sex. So here is Louise, who
finds it hard to stop having sex. Okay?”
また、マルセリンはレドモンドに同行の報酬を求めます。
“You’ll
pay me my Government salary. Thirty pounds a day.”
“But
I’ve already agreed to pay Ngatsiebe (the Cabinet Secretary to the Ministry of
Scientific Research) 1000 pounds.” I said, with reflex annoyance.
“It’s
bribery,” said Lary. “It’s corruption.”
“It’s
Africa,” said Marcellin. “How else is he to make up his salary? Those jobs don’t
last long. They’re just a political favour. In and out every four years. Even I
can’t count on my salary, as a government employee. Some mouths I’m paid, some
months I’m not. At least with you, Redmond, I know I’ll get my money.”
探検の始めに彼等は船でコンゴ川を遡りテレ湖の近くの町まで行くのですが、マルセリンはその船について語ります。
“These
are poor people. Traders. Village people. Third-class passengers. They will
sleep in the open for two weeks, maybe three. Some of them will die. One or two
very young children will roll over in their sleep and disappear down the gaps,
into the river. It always happens. There are 3000 people here, maybe more.”
“No
handrails,” muttered Lary. “Even at the edges, there are no handrails.”
実際に、ラリーは船から人が落ちるのを目撃します。しかしマルセリンは黙っていろと言います。何も起らなかったんだと。目撃したのは君だけだと。
“So,
he’s drowned,” said Marcellin, looking out across the water at a village on the
opposite bank. “This is the best-governed country in Africa, our people are the
best educated. There’s no war, no famine. But it’s still Africa. Where we’re
going---you’ll hear wailing women all day long. If you make a fuss like that
every time someone dies, my friend, you won’t last. You’ll be wasting my time.
We won’t complete our mission.”
イギリス人のレドモンドは、一歩引いて、達観して「アフリカ」を見ているような気がします。そして、アメリカ人のラリーは、ひとつひとつ、アフリカでの出来事に反応します。時折、過剰に。
“Lary,”
I said, as we walked downtown that evening for supper, “Why do you think
Marcellin’s a creep?”
“I’m
sorry,” he said, quickening his pace across the railway-track, “It’s just a
prejudice I have. I know it’s not fashionable, but I can’t help it, perhaps It’s
genetic---I believe in trust, fidelity, call it what you like. I just don’t
think he should cheat on his wife. What’s the point of marriage all those
promises, if you don’t intend to honor your partner? Jesus. And she’s pregnant.”
“Maybe
it’s different here.” (Redmond said.)
“Well,
yeah, I don’t go along with all that either. I don’t agree it’s okay to cut a
young girl’s clitoris out simply because you’re a Muslim or a Seventh Day
freakshow or a Born Again butthole or whatever. I really don’t.”
しかし、マセリンには彼なりの理由があります。アフリカ人は家族ためにお金が必要なんだと。
“Most everyone has a family.” とラリーは答えます。
“No, no, my friend---not your kind of
family, with two children and a car and a dog and a house full of machines. I
mean an African family. It’s hopeless. It’s the cause of all our problems. Lary
Shaffer, I’ve heard you talk about corruption. You call it corruption but that
is not the case. The true explanation is this: the African family. I myself---I
have a wife and two children just like you do in the West; but my mother, she
has fifteen children, six from my own father and nine from Kossima, the husband
she took when my father left her in Impfondo and moved to Brazzaville. I am the
eldest son. I went with him.
そこでの彼の暮らしは貧しく電気もなかったが、彼は一生懸命勉強をしたと言っています。15歳のときにはアフリカで一番の高校に入れた、そして奨学金をもらってキューバの大学で学ぶことができたと。
“I got away! I escaped!”
少し訳してみますと(意訳です)、
わたしはスペイン語を1年語学学校で学んだ。それから大学で生物学を学び、動物学で学位を取った。そして奨学金を得て、フランスで学ぶことができたんだ。そこで博士号を取った。
“I do not deserve to be poor.”
わたしは科学者で、スペイン語も英語もフランス語も話せる。それで、何が起こったか。コンゴに帰ったら、家族の長になったんだ。そんなものにはなりたくなかったのに。
科学省で職を得た。サラリーを得て家も借りた。そうしたら母の15人の子供たちがやってきたんだ。そして、彼等の妻、子供たち、親戚たち。また、新しい父親の親戚たちも。いとこやなんかもね。
わたしが仕事から家に帰ると、私の椅子に彼等の誰かが座っているんだ。冷蔵庫から食べ物を取り出して、食べたりしている。そして、わたしに言うんだ、ドクター・マルセリン、あれが欲しい。これが必要だ、って。信じられないだろうが、タクシーが欲しいと言ったものもいた。タクシーだぜ。
それで、思ったんだ、なぜ?なぜだと。彼等となぜ分かち合わなければいけないんだ。私が一生懸命努力して得たものを。そして、彼等は感謝すらしない。当然のように受け取るだけ。
これは、1990年ごろのthe People’s Republic of the
Congoのお話です。今は少々事情が違うかもしれません。でも、彼等の伝統的考え方(一番金持ちの人が他の家族を養う事は当然…と言ったような)と新たに入ってきた文化(個人の権利か?)の間での苦悩がうかがい知れます。これをどのように受け止めるかは、ちょっと悩ましいところです。
つまり、「文明」はどこまで「伝統」に関与できるのかという意味で。