2014年1月19日日曜日

寿命150歳の世界・・・とは


日曜日は、新聞に書評欄があります。今日目にした興味深い本は、『寿命100歳以上の世界――20××年、仕事・家庭・社会はこう変わる』です。(Sonia Arrison著)。100歳以上とタイトルにありますが、人が150歳まで死なない未来を予測しています。と言って、読んだ訳ではありませんが。書評を読んだだけです。

 

人が150歳まで死なないなんて想像もできません。まあ、書評によれば、20世紀の前半まで先進国で人の平均寿命が80歳になるなどとは思いもよらなかったとあります。ならば、平均寿命が150歳になっても、それなりに生きていけるのでしょうか。

 

以前、iPSとか、ES細胞などの研究により、人は死ななくなるという話がありました。人は不慮の事故で体がバラバラになる以外は死なないと。それはそうかなと思いましたが、もっとずっと先の話かと思われるので、真剣には考えませんでした。しかし、「150歳」という具体的な数字が示されれば・・・、ちょっと衝撃です。

 

書評によれば、平均寿命が150歳になるとともに、健康寿命も延びて行くとあります。今、日本でも、健康寿命は70歳くらい。それでいくと、70歳から150歳までどのように生きて行けばいいのか…ということになっちゃいますから健康寿命も延びてもらわなければね。

 

 

150歳まで生きられるとしたらどんな問題が起こり得るか、単純に考えてみました。

 

まず、何歳まで働いたらいいのっていうこと。現在、定年は60歳・65歳?それから、20年は生きるとすると、130歳まで働かなければいけないのか・・・。疲れるう~。人が130歳まで働けば、若い人はどうするのかという問題も出てきますよね。今でも、就職難の世の中。年寄りは早く引退しろよって、話でしょ。というのも、テクノロジーが進んで、機会が人の職場を荒らしていますからね。

 

皆が、老後150歳までのんびりと余生を送ることが可能ならばいいですよ。でも、それは、現在でも先進国のお金持ちしか許されないことです。150歳まで、老骨に鞭打って働くなんて、考えるだに恐ろしい。人間社会が進歩(成熟)すればいいですが、そんな気配もないので、きっと、金持ちだけ長生きして富を一人占めしますよ。そして、途上国とか、低所得者はやはり惨めに生きて行くしかないのです。その惨めな時間が増えるということです。

 

健康と仕事の話はしました。もうひとつ、セックスです。どうでしょうか。80歳くらいまでなら結婚生活もうまくいくかもしれません。それももう死ぬとわかっているから上手くいくのかも。それが150歳となると…ね。結婚、離婚、結婚、離婚と忙しいことになりそうです。それから、今の家族制度が続いて行くなら、とんでもない数の大家族ができそうですね。または、人は子供を産まなくなり、年寄りだらけの世界になるのかな。途上国は若ものだらけ、先進国は年寄りばかりなんて。国の格差、また、国内でも貧富の格差が進みそうですね。

 

 

率直な話、わたしの周りには、定年後何をしたらいいのかわからない人だらけ。皆が自分探しの旅に出られたらいいけど、それにも才能が要りますから。「そもそも人類がこれ以上寿命を延ばすことは、幸福と言う点から言っても地球環境の点から言っても良いことなのだろうか」とは、評者の言。死を遠ざけようとするのは、人類の性。でも、現実的にそれが可能になった時、我々はどう考え、どう生きて行けばいいのでしょうか。






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2014年1月13日月曜日

読書会 パート2

 

以前も書きましたが、月一回、英語の読書会があります。読書会と言ったってそんなたいしたことはしていません。担当者が10ページ程の短編小説などをコピーし、皆に配布します。一ヶ月間でそれを読んで、集まった時に感想とか質問とかを互いにするだけのものです(先生はイギリス人)。

 

1月の読書会は、わたしの担当です。それでマーク・トウェインの『THE CANVASSER’S TALE』を選びました。この読書会のために『THE COMPLETE SHORT STORIES OF MARK TWAIN』を買ったのです。そこから、10ページ程度の作品を選び出し付箋を貼っていきました。そのような作品はたくさんありましたが、なかなか選べませんでした。何故なら内容の問題です。前回は、J.G.バラードの『溺れた巨人』を選んで、皆が戸惑った様子だったからです。今回は、皆さんの共感できるものにしたいなと。

 

最初に選んだのが『CANNIBALISM IN THE CARS』でした。しかし、読み進んでいるうちに、「これはダメでしょ。」と。列車の中で、主人公がなにか高貴な名のありそうな紳士と隣り合わせになります。その紳士が、退屈しのぎにと話を始めます。(いつものパターンですけど)。

 

彼が若かった時、同じように列車の旅をしていました。その時、吹雪で列車が立ち往生し、雪の中に閉じ込められてしまうのです。何日かは、お互いに協力し合い助けを待ちます。しかし、なかなか救助隊が来ません。そして、食料も底を尽きます。最後に、そのコンパートメントの十数人だけが生き残ります。が、まだ助けはきません。そこで・・・、ひとりを犠牲にして生き延びようという意見が出てきます。

 

「誰を殺して食べるか」の投票です。どうですか、読書会のレディたちには薦められない内容でしょ。その話合いの模様が延々と繰り広げられるのです。一人の人が、一人の名前を上げて、推挙します。違う人が、その人は「これこれ」の徳があるので賛成できない。とか、「痩せているので、食べる部分が少ない」とか、話しあう始末。一人は決りました。でも、まだ救援隊は来ません。そして、次の話合い…云々です。最後に、彼ともう一人が残ったところで、助けられます。さて、この話は本当のことか、あるいはその紳士が退屈しのぎにデッチアゲタことなのか。紳士は、主人公との別れ際に、ニヤッと、狂気の笑みを浮かべて去っていくのです。

 

 

わたしが、マーク・トウェインを選んだ理由はと言いますと、

 

彼はご存じの通り『ハックルベリー・フィンの冒険』とか『トム・ソーヤの冒険』とかの作者です。皆さんは彼が子ども向きの本の作家で、陽気な明るいアメリカンとお思いかもしれません。しかし、晩年の彼は、厭世的な皮肉屋です。最晩年の作品『人間とは何か』では、思い切り「人間」というものを否定しています。同様に、『ガリバー旅行記』のスウィフトも最後の『馬の国』では、人間不信丸出しで、馬の世界を懐かしむ…、話でした。小説家否芸術家で呑気なオプティミストなんて皆無でしょう。「いるわけない」でしょう。彼等は、人間の業・不条理を凡人の代わりに代弁して創作している人々なのだから。

 

わたしが、最初彼に関心を持ったのは、EUが英語をオフィシャル・ラングイッジに選んだ時に、ネットで流れた文章です。(公用語は24言語ありますが、欧州委員会では内部での作業を行う際には英語、フランス語、ドイツ語を使用することができ、すべての公用語を用いるのは公式情報や伝達の際に限られます。)その文章は、EUは英語を第一公用語とするが、その代わりに「英語を徐々に変えて行く」と言うものでした。英語独特の表現方法を見直していくということです。例えば、代表的なのはthの発音。これは将来的には、tの発音とすると。また、サイレント文字ghthrough)などは、スペルからなくすとかです。EUのカンファレンスでブレア首相(当時のイギリス首相)がこういうことを五年計画で成し遂げると演説したということになっていました。

 

「えっ~、すごいな~。ほんとうか。」と思ったら、それは、ず~~~っと以前に、マーク・トウェインが書いていたことだったんです。興味深くありませんか。俄然、彼に興味が湧いてきたということです。

 

 

今回わたしが選んだ『THE CANVASSER’S TALE』は、「やまびこ」を売り歩くセールスマンの話です。ちょっと滑稽でまたもや「人間なんて♪ららっらーら、らーら♪」なんて内容です。皆に受けるといいけど・・・。




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2014年1月9日木曜日

『137』を今、読書中・・・


新しい単語をGETしました。

oyster です。もちろん日本語で「牡蠣」です。而して、その別の意味は・・・、

The world is his oyster.

Golf is his oyster.

ご存知の方には、つまらない指摘と思いますが、わたしにとっては、とても興味深かったので。

oyster :思い通りになるもの、または、大好きなもの・・・です。

語源は何なんでしょうね。まだ、未調査です。

                          *
         

今、『137』を読んでいます。以前にもご報告いたしましたが。まだ、読み切ってはいません。まあ、途中経過と言うことで。

このoyster はここからGETしたわけです。


まだ、何ページかな、そう40ページほどしか読んでいません。そして、「137」の意味はまだ出てきていません。ペラペラとページをめくると、ほどなく、その意味がわかりそうです。

基本的に、自伝、その他、人の人生には興味ありません。が、この本は、プラス、心理学と物理学の本でもありますので読み進めています。進んでいますか、ってことですけど。


「偉い人」の伝記というと、(子供向けでは)、小さい時からどれだけ偉かったかという報告に終始しますが、今のところそんなことはなく、如何に二人とも常識外れの変人だったかが述べられています。


次回、そんなところもご報告したいです。取りとめもなく・・・スイマセン。






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2014年1月5日日曜日

年頭の・・・


わたしはジュエリーデザイナーな訳でしたが、引退するとの宣言に、友達あるいは周りの人々は、「それでは何するの」と。

 

「そうね~。それでは小説家になる~。」

 

と言うことで、今まで文章を書く修行(?)をしてきた訳です。上海から帰って来てブログを始め、約10年。始めたのは2016年と思います。文章を書くのにようやく慣れてきました。が、小説家にはなれません。なぜなら、何か小説を書き始めたとたんに、自分自身「つまらない」と思うからです。最近、小説家の人が、「小説家は、文章を書き始めると、途中で必ずつまらないと思う。しかし、それでも書き続けることができる人が小説家になれるのだ。」と言っているのを読みました。

 

しかし、それって、2流ってことでしょう。あるいは3流。天才は、自分の作品に疑問を持ったりしないよ。もちろん、2流、3流の小説も必要なのはわかっています。それで、満足できるかってことです。わたしが書くのは3流以下です。誰も読まないと思うから。でも、修行し続ければ、3流にはなれるかも。なにかコツをつかめればね。

 

そこで、囲碁です。囲碁って、客観的評価があります。級とか段。やり続ければ、何らかの評価は得られる。そして、3流でも生きていける。それは、3流と言う評価が確固たるものだからです。

 

だから、わたしはここで、気楽に囲碁の道を選ぼうかな~~~、なんて思っています。勉強すればそれなりに評価が得られるからです。これって、人生の「逃げ」でしょうか。今のところ、初段を目指します。

 

 

もうひとつ。スランプって言う言葉を聞きました。もちろん、知っている言葉です。でも、わたしには関係ない言葉と、ずっと思っていたから、気付きませんでした。「わたしって、スランプかも」って。

 

彫金師ですが、自分の作品がくだらなく思えて、引退しました。自分の作品を好きになれないのです。もう全然才能ないって思ったけど、今、囲碁に打ち込んでいたら、また、やる気が起きることがあるんだろうかと思い始めました。高橋源一郎さんも小説が書けず、2~3年競馬をしていたって聞いたから。そして、また突然書く意欲が湧いてくるって。そうかな。ほんとかな。

 

 

とりあえず、年頭の決意。「囲碁をやり抜く。」

 
 



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2014年1月2日木曜日

新春から世迷い言


元旦は、一年で朝からお酒を飲んでも許される唯一の日だ。(と言って、毎年2日も3日も飲んでいるが)。と言う訳で、わたしのお正月初めは、日本酒を飲むことで始まり、終わった。無駄な一日だったと言えるだろうか。

 

そして、ひとつの言葉がわたしの頭を駆け巡った。それは、「AMALGAM」。合成物という意味。アマルガム、アマルガムと唱えると、なんだか戦隊物のヒーローの様。あるいは、ロボット・スーツの名前みたいだ。ガンダムみたいに。

 

 

 

辞書によるとamalgamは、an alloy of mercury with another metal, especially one used for dental fillingsです。味もそっけもない用語です。しかし、こんな使われ方もします。

 

an amalgam of emotions  感情の交錯

an amalgam of imagination and truth  想像と真実の混交

a curious amalgam of the traditional and the modern  伝統と現代の奇妙な交雑

 

どうですか。なんだかロマンチックじゃありませんか。単なる科学用語からこんな哲学的な表現が現われるとは。今年は、こんな調子で英単語をゲットしていきたいと思います。

 

 

One thing I hope is an amalgam of IGO(囲碁) and English.

 




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2013年12月31日火曜日

『137』  アーサー I. ミラー著


年末だというのに、今年おわりのお片づけもせず、新たに本を読み始めました。と言っても、以前に買った本で少し読んで、そのままになっていたものです。『137―― JUNG, PAULI, AND THE PURSUIT OF A SCIENTIFIC OBSESSION』、ARTHUR I.MILLER著です。邦題は『137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』。いつ買ったのか覚えていないので、奥付を見たところ、2009年にハードカバーが出版され、2010年にペーパーバックが出版となっていました。ですから、2010年頃に買ったのでしょう。英語版です。その頃は、ただ英語を勉強する為に「英語の本」を買っていたのです。しかし、勉強とは言え、興味がないものは読めないので「とりあえず興味ありそうなものを買ってみた」と言うところです。

 

 

ところが読んでみたもうたいへん。まだ、イントロダクションだけなんですけど・・・、ワクワクします。前回は2、30ページほど読んでいました。が、内容はまるっきり覚えていません。もちろん、どんな種類の本かは解説書などでわかっていますが・・・。この2~3年でわたしも成長したのでしょうか、内容がすんなり入って来ました。

 

パウリは、量子論で「パウリの法則」を導き出し、名を残した物理学者。ニュートリノの存在を予言し、その後ニュートリノが実験室で確認されるという偉業も成し遂げました。ノーベル賞受賞者です。ユングは言わずと知れた有名な心理学者。しかし、無意識レベルの心理を操る少々科学者らしからぬ所があります。そこで、何故、この二人の交友が始まったのかと言う疑問が湧きあがります。著者は、膨大なふたり間の書簡からこの謎を解き明かそうとします。なんと、ミステリアスなことでしょう!

 

パウリが31歳の時、彼はユングに初めて会ったようです。その時、ユングはもう名声を築き上げていました。26歳パウリより年上でした。その頃、パウリは量子論では解き明かせない「人類普遍の何か」に囚われていました。それが、「137」という数字です。ユングもまた、同様の疑問を抱いていました。その二人が出会うことによって、「化学反応」が起きたということですネ。ふたりの間で、何かの理論が形を取り始めたのです。

 

 

著者はこのように表現しています。

 

Nevertheless, his sessions with Jung convinced him that intuition rather than logical thought held the key to understanding the world around us.

 

---the means to break through and to develop new insights was to take a radically different approach and return to science’s alchemical roots.

 

 

しかし、パウリはこのような科学者らしくない考えを彼の研究者仲間に知られることを恐れました。ユングは偶然にもパウリの家の近くに住んでいたのです。彼等の関係は、先ずは患者と医者というところから始まります。それから、友達に、そして同じ思想を持つ者同志として、お互いの研究に相乗効果を生みだして行くのです。

 

また、本からの引用ですが、

 

Pauli realized that quantum mechanics---despite its grandeur, and in the fact of his distinguished colleagues---lacked the power to explain biological and mental processes, such as consciousness.  It was not a complete theory.

 

 

 

この本は、まさにわたしが思っていた「今の科学では解きえない何か」の存在を示唆するものと思いました。と言って、非科学的なことではありませんよ。科学が科学であるために、今までに置き忘れてきた何かを、もう一度科学によって取り戻すということです。今の科学には、まだ「何か」が不足しているということ。

 

以前にも書きましたが、「超弦理論」やなにやかやで、宇宙の謎が解き明かされ、この世界がどうしてこのように存在しているのかがわかった時、今「超常現象」として不思議とされていることの謎も解き明かされるのではないかと、密かに期待しているのであります。

 

 

「講談師、見てきたような嘘を言い」・・・、ですね。まだ、イントロダクションしか読んでいないんですから。また、読み終わったら、あるいは、途中経過を報告いたします。

 

チャオ!そして、良いお年を!

 



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2013年12月28日土曜日

『スピノザ――実践の哲学』  G.ドゥルーズ

スピノザは言う。

もし人間が自由なものとして生まれついていたら、自由であるあいだは、ひとびとは「いい」とか「わるい」といったことについて、なんの概念も形成していないことだろう。


そうだよね~~~。他の生物は、良いことも悪いこともしていないもんネ。ただ生きているだけ。生きることに善も悪もないんだ。

G.ドゥルーズの解説は、

「善」も「悪」も、単なる思考上の存在。想像上の存在にすぎず、さまざまの社会的標徴や、褒賞と懲罰から成る抑圧の体制に、全面的に依存しているのである。


やはり、誰かから見た「善と悪」ということか。あらゆる事に「恣意性」は宿っているのね。





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