Tシャツに
飽きて秋風
吹きにけり
おそまつ。
わたしのファッションは、20代から変わっていないと書きました。それは、アメリカン・ヒップホップです。ストリートファッション。夏は、Tシャツとぶかぶかパンツです。
しかしながら、少々飽きてきました。と言って、変わらないと思いますが・・・。
秋は、トレーナーとぶかぶかパンツとなるでしょう。
Tシャツに
飽きて秋風
吹きにけり
おそまつ。
わたしのファッションは、20代から変わっていないと書きました。それは、アメリカン・ヒップホップです。ストリートファッション。夏は、Tシャツとぶかぶかパンツです。
しかしながら、少々飽きてきました。と言って、変わらないと思いますが・・・。
秋は、トレーナーとぶかぶかパンツとなるでしょう。
『消しゴム』
アラン・ロブ=グリエは、わたしの青春です。この本は2013年に買っていますが、読めていませんでした。
20代の頃に流行ったヌーヴォー・ロマンの旗手であるロブ=グリエを初めて知ったのは、映画『去年マリエンバードで』です。アラン・レネの映画ですが、脚本を担当していました。
見ましたが、わけのわからない映画でした。同様に『消しゴム』もわけのわからない小説です。話の筋は単純です。いわゆる犯罪小説。殺人者と被害者と捜査官が登場します。
探偵小説の態を借りながら、単なる犯人追及ものではないお話を今までも読んできました。別役実の『探偵物語』やレイ・ブラッドベリの『死ぬときはひとりぽっち』等など。どれも興味深い。
今回の興味深い点は、時間の流れが通常ではないこと。お話は、殺人の捜査を命令された捜査官が街にやって来て、その内容がわかるまでの一日の話ですが、犯人、被害者、捜査官、その他の人々が、時系列に関係なくそれぞれの話を語ります。
もうひとつは、殺されたデュポンは実は殺されていなかったということ。殺されていない、ただ逃亡しただけのデュポンは、すぐ現れますからネタバレではありません。殺されていないデュポンの殺人者を探す捜査官、殺害を失敗した犯人はデュポンを再び探し続け、殺されそうになった本人は、皆に殺されたと思い込ませて逃亡しようと試みる。
なんかワクワクする筋立てですが、ワクワクはしませんよ。話はゆるやかに流れ、単なる日常という感じです。
わからないのは、題名の『消しゴム』です。捜査官は、犯人捜しで街中を歩き回るのですが、文房具屋があると寄り道をして、消しゴムを買い求めるのです。彼の消しゴムへの要求はちょっと高度で、思い通りの消しゴムは手に入らないのですが、ケチな奴だと思われないように要らない消しゴムを買ってしまうのです。
きっと最後にその謎が解き明かされると思っていたのですが、ならず。ほったらかしです。解説を読んでみると、
消しゴムを求めても彼の希望は満たされない。「消しゴム」とは、この社会でけっして満たされることのない人間的な欲望とその挫折の比喩という解釈が可能です。あるいは、物にあふれる世界のとりたてて意味をもたない物だから、小説のタイトルは「消しゴム」でも、「四つ切りトマト」でも、何でもよかったのかもしれません。
また、ゴルドマンやブルース・モリセットの解釈も紹介していますが、文学者でないわたしはどうでもいいです。そんなものかと思って、この「うだうだ」の小説を楽しめました
最後にロブ=グリエの小説がその後の文学に与えた影響についてが、述べられています。『消しゴム』について言えば、世界の多くの小説に影響を与えているそうです。着想のヒントを与えていると。
「謎解きを宙吊りにする謎解きミステリー」というパターンを提示しました。多くの現代作家が、純文学とエンタテインメントの区別なく、このパターンを使って現代を描く試みをしています。
安部公房の『燃えつきた地図』、ポール・オースターの『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の三部作など。また、ニューウェーブSFにもその影響を及ぼしているとか。
また、日本文学では、ロブ=グリエの文学を通過したものとして、筒井康隆の『虚人たち』、倉橋由美子の『暗い旅』など。
ふむふむ、わたしの好きなパターンだと納得。
最後に「宿命的結末」がありますが、それには触れないことにします。
60代の「女性殺し屋」の本の話を書きましたが、つい最近、65歳の女性ロックンローラーの存在を知りました。ベーシストです。
「打首獄門同好会」というバンドのメンバーです。メチャカッコいいです。はじめは、なにか年配の女性かなあ~、と思って見ていました。でもロングヘア―の金髪を振り乱して踊りながら演奏する姿に、良いなあ~と。
演奏後の紹介で65歳と知りました。リーダー曰く、初めは歳はわからなく、幾つだろうと思っていたと。それから20歳年上とわかり、彼女が還暦になるときに公にしようということに。そして、それから5年です。
歳に係わらず自分の好きな事をしている人を見ると、励みになります。わたしのファッションも20代の頃から変化なく、時々大丈夫かなあ~と思うけど、自分の居心地の良い好きなものを着ようと。
まわりの圧を跳ね除けるくらいのパワーが必要ですね。体調が悪いと弱気になるよ。。。
本は、本の新聞広告を見て、興味を惹かれたものを買ってしまいます。以前は、ちゃんと本屋さんに行って、現物を見て買いました。そして、そのついでに2~3冊買ってしまうという事になります。
今は、そんな本屋さんも無くなりつつありますネ。
今回も2~3冊広告で見つけました。それで、発見。「エンターテイメント小説」は、主人公が同年代くらいの方が共感が湧くということ。
『死んだ山田と教室』
『破果』
『俺ではない炎上』
です。
一冊目は、夏休みに交通事故で亡くなった山田君が、教室のスピーカーになってしまうお話。すごく興味湧くでしょ。しかし、高校生の青春、熱量全開のハナシなので、少し引いてしまいます。
2冊目は、韓国の作家の物です。60代の女の殺し屋の話。興味深いでしょう。60代なんので、老骨に鞭打ってという訳ではないでしょうが、なにしろ「仕事」が殺し屋ですから。読んでみたいです。が、文庫本ではないので、値段の価値があるのかどうかが、疑問。
3冊目は、SNSのなりすましで自分が殺人犯にされてしまうという話。ネットに顔もさらされて炎上。誰も自分の無実を信じてくれない。彼は、逃亡しながら犯人を突き止めていきます。興味津々でしょ。
主人公は50代のおっさんです。惹かれるはあ~。
というところですが、まだ買っていません。
数日前の『折々のことば』です。
デイヴィット・ヒューム
人間は……諸対象について判断するのに、その内在的な価値からではなく、比較によって行うのが常である。
一方の手を温め、片方の手を冷やしておくと、同じ水が冷たくも温かくも感じられる。激痛の後に続く軽い痛み快くさえ感じられる。
とか、言うような事のようです。小学校の時、注射を打つ前に、自分の手を思いっきりツネると、注射の痛みは感じないんだよ~~~、というマジナイを思い出しました。
人の判断はそうした力学に支配されている、と言う事です。
だから、人は何かを判断する時、そのものの価値からは答えが出てこないという事ですか。比較する物がなければならない。
そう考えると、比較する対象を選ぶという事や、人が皆同じように比較し判断するとは限らない。なんやら複雑な事になって来るよう。。。
世の中、絶対的真理というものはないんでしょうね。「数学」だけは、人によって「答え」が違うという事はなさそうですが。哲学はどうでしょうか。哲学で絶対的真理を見つけ出すことができるのでしょうか。
そんな妄想でした。
一日たったら思い出しました。「大河ドラマ」だよね?
「朝ドラ」と「大河ドラマ」は、一度も見たことはありません。子供の頃からです。なぜでしょう?母は見ていたと思うけど。。。
面白くありません。ドラマを作りすぎているのかなあ~。作りすぎていて、かえって面白いこともあるけど。その辺は、スーザン・ソンタグが『キャンプについて』で述べています。
その他のNHKドラマは、シュールです。訳が分からないこともあります。そういうのは、テレビでは見たくないので~~~、疲れるから、です。
NHKで見るのは、地球ドラマチックとか、サイエンスゼロとか、日本の芸能とか、魔改造の夜とかです。そうそう、囲碁と将棋はもちろんの事です。
つまり、ドラマがない奴です。
以上