2013年8月13日火曜日

『アイデンティティと暴力』を読んで・・・(1)

『アイデンティティと暴力』を読んで





著者はアマルディア・セン。1998年にノーベル経済学賞を取った人物である。彼のこの本での一番の主張は、人は一つのアイデンティティだけを所有しているわけではないという事。9.11以降、世界が対テロ戦争に向かっていることや、世界の地域で起こっている紛争や残虐行為は、アイデンティティを単眼的に捉えているからである。これが世界を暴力に向かわせていると。この縛りから解き放たれる事が、これからの世界を救うために重要な事である。そして、どのように考えれば、この呪縛から逃れられるかという解決策にも言及している。



人間はひとつのアイデンティティから成り立っているわけではない。彼はインド国民であるが、同時にアジア人であり、バングラディッシュの祖先を持つベンガル人であり、アメリカもしくはイギリスの居住者でもあり、経済学者でもあれば哲学もかじっているし、物書きで、サンスクリット研究者で、世俗主義と民主主義の熱心な信奉者であり、男であり、フェミニストでもあり、異性愛者だが同性愛の権利は擁護しており、非宗教生活を送っているがヒンドゥの家系出身で、バラモンではなく来世は信じていない(質問された場合に備えて言えば、「前世」も信じていない)というアイデンティティを持つと言っている。つまり、アメリカがテロ戦争に向かう時、彼等は敵対する者を「イスラム」というひとつのアイデンティティに還元しているし、同様にイスラム原理主義者も「イスラム」というひとつのアイデンティティを使って、テロ集団をまとめ上げようとしている。他に、フツ族とツチ族の紛争も敵対する者をただ一つ「民族」に絞り込んでいる例だ。彼等は、以前からふつうのお隣同士の地域住民だったのだ。それが突然、民族による戦いを余儀なくされた。他者から押し付けられたアイデンティティだ。そしてそのことから、真の紛争の原因が分析されることなく闇に葬られる。またほかに、人のアイデンティティを矮小化することの影響が現在あらわれているものとして、経済のグローバル化、政治における多文化主義、歴史的ポストコロニアリズムを例に挙げて説明を試みている。(興味のある方はこの本をチェックして下さい)。



この世界が急速に、ひとりの人が多様なアイデンティティを持つ集合体としてではなく、宗教や文明などの(女性というアイデンティティもあるよ。性差別は、人を女性という唯一つのアイデンティティで縛るから起こる)連合として見る傾向を示している事に対する彼の対抗策は、アイデンティティを自分で選ぶ自由である。自分のアイデンティティに優先順位をつけるのに自由であること。自分のアイデンティティは往往にして外部から制約される。例えば、イスラム教徒であるとそこだけ取ってキリスト教と戦わなければならないと言われる(わたし、めちゃめちゃ単純化してますけどお・・・)。しかし、イスラム教徒はイスラムの神を信じ祈るということでイスラム教徒なのであり、その他の事象に対する態度はイスラム教徒それぞれで違うのがあたりまえ。イスラム教徒で平和主義者というのもあるし、自分はイスラム教徒であるが他の宗教も認めているというのもありだ。要は、それを自分で考えて選択し、決めたかという事である。そしてさらに重要なのは、わたしたちが生きているのは、そのことができる社会であるのかという事である。





下記のUPに続きます。





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