2013年8月13日火曜日

『アイデンティティと暴力』を読んで・・・(2) 前掲のつづき





この本を読んで思う事。



なんだかこの頃哲学がマイブームなのですが、実際、哲学は実生活には何の役にも立たない学問だと思っています。しかし、自分の信じる事、考えた事に論理的裏付けを自分自身で見つけ出す事ができない時、論理的思考過程を提示してくれて、さらに論理的裏付けも授けてくれることは、たいへん役立つ事だと思います。自分の考えに確信を持てますし。



今まで、西洋諸国が「民主主義」を西洋の発明品だとばかりに振りかざしているのに疑問を持っていました。近世までは、どの国も似たり寄ったりで西洋だけが民主的な国家を持っていたわけではないのです。どの国にも「民主主義」の芽は持っており、それを地道に育てていたにもかかわらず、突然西洋が出てきて、「民主主義」を普及すると言われてもね、っと。



ノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクさん(トルコ)はこういう事を言っています。



貧しい第三世界の人々が西側世界に抱く怒り、それは歴史を作るのは豊かな西欧であり、自分たちは無力で無名だという怒りだ。・・・欧米の自由主義社会は、「彼らの民主主義」を他の地域に押しつけてきた。あなた方が米国や欧州を好む政党に投票するなら、あなた方の民主主義は好ましい、と考えるのは子供じみている。むしろ、親米政党に投票しないからこそ民主主義は存在するのだ。トルコやアラブ世界の人々がイスラム主義政党に投票するなら、これこそが民主主義なのだ。



セン氏も『アイデンティティと暴力』の中で言っています。「ヨーロッパの啓蒙思想の知的影響力は大きかったが、比較的近代の経験からさかのぼって推定し、西洋と非西洋に根源的な相違があったとするならば、それは奇妙な歴史観だ」と。



近世以前でも世界はグローバルに繋がっていたのであり、国は一つの国だけで成立していた訳でなく、お互いに影響し合っていました。ギリシャ・ローマの文明は唯一ヨーロッパにだけ影響を与えていたのではなく、さらにギリシャ文明自体もその頃の文明国の影響を受けていました。多くの学問や思考が世界の異なった地域における発展を利用しながら進歩を遂げてきた事実をこの本により明確に認識する事ができました。



もうひとつ、「グローバル社会」について。



世界はグローバル化に進んでいるのだから、この時流に乗り遅れることなく加速して行かなければならないというグローバル社会推進派がいます。また、「グローバル社会=西欧化」であると、反グローバル社会を標榜する人々がいます。わたしは後者でした。(と過去形で書くほどまだ納得はしていないのですが)。



セン氏は、多くの非西洋人は自らを「他者」とみなす傾向にあると言っています。つまり、西洋人というものが存在し、その異なる観点から自分のアイデンティティを定義するという事。自分を理解する上で、非西洋的なアイデンティティに過度の重きを持たせることの不自然性です。



また、反グローバル化の論理のひとつは、グローバル化を西洋化のプロセスとみなすことで、すべてがヨーロッパで起こったと認めてしまうこと。そして反対にこの説を認めた上で、グローバル化の悪いところを西洋の「非」とみなすことです。つまり、すべてが「ヨーロッパありき」から始まっています。セン氏に言わせると、還元化されたひとつのアイデンティティから物事を考えているということですね。



それではグローバル化のどこが悪いのか。それは利益配分の不公平性です。グローバル資本主義が市場を優先している。多国籍企業が第三世界の貧困者が抱える不利益性を利用している。低賃金など。世界の強国がグローバル化された武器取引に関与していること。G8の国でその85%を占めている。(日本は関与していないことをセン氏は指摘しています)。



これらのことを是正するにはどうしたらいいのか。セン氏によりますと、貧しい国からの輸出を妨げている規制を緩和すること。不正な特許法を見直すこと。エイズなどの薬の特許により貧困国の患者が薬を買えないとか、世界の貧困者により多く係わる薬の開発に製薬会社がモチベーションを抱かないから。適切な法的保護をなどに公共政策で対応すること。



これらの制度改革が進むことを条件に、セン氏はグローバル化を肯定しています。競争原理により、国内の製造業者が遅れを取る、また、グローバル経済に結びついた企業に職を得る能力を持たない人が出てくることなどにより、国が弱者に公的援助を(教育とか)しなければならない状況が生まれる。そして国内制度が充実される。また、グローバル化により遠く離れた人々の相互の関係が深まり、世界的な不平等や格差にも敏感になる。反グローバル化を掲げる事もこの一環であり、グローバル化に反対する庶民の声が現代の世界で新たに形成されつつあるグローバル化の倫理の一部と成り得ます。



わたしとしては、俄かには信じがたいというのが今の気持ちです。グローバル化と国が対策を施すのとどちらが先行するのかという事に疑問を感じる事がひとつ。結局は付いていけない人々が切り捨てられるのではないか。先ずは、付いていける人だけが恩恵を受けるだけでいいのか。(中国の鄧小平の政策と同じね)。



もうひとつは、セン氏は「我々が持つその他の忠誠心を抹消することなく、グローバル・アイデンティティを持つことは可能だ」と言っています。人々が「共感」に基づく意思決定をする限り、そこに社会的アイデンティティの存在を認めざるを得ないと。そこで、この「共感」とは何なのかということに疑問です。何を基盤に共感を持つのか。「正義」、「倫理」という事か。あるいは、もっともシンプルな「人間」ということなのか。一国内でも問題が山積し、その対策もうまくいかないというのに、セン氏の政策は果たしてグローバルに実現できるのであろうか。









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