2013年8月13日火曜日

『ダンゴムシに心はあるのか』

こんなタイトルの本を読みました。



とても大胆なタイトルだと思います。そして「心」を定義してしまうところがまた凄い。



「心はあるのか」と言うのはわたしの生きる上での大きなテーマです。人に心があるのなら、総てのものに心はあるし、ダンゴムシ(等)に心がないのなら人にも心はない、というのがわたしのスタンスです。



「全てのものに心はある」と、わたしが言うと、人は「じゃあ、石は」とか「岩は」とか言います。つまり彼等は無機物と人を同じ次元で考える事に我慢がならないのです。ですが、この著者は「石の心」をまで肯定しています。そこまで認めるなら、わたしも著者の意見に大賛成です。



ジェラルミン板の心を捉える職人のエピソードが書かれています。ハンマー一本でジェラルミンの板から形を叩き出そうとする職人の技です。わたしも職人の端くれとして材質と職人の「心」の探り合いの感覚はよくわかります。考えてみると石器時代に人類が石からそれを割ることによって「刃」を取り出したのも人類が「石の心」を知っていたという証拠では。そういった「心」を人はどこかに置き去りにしてしまったのでしょうか。



実際、比較認知科学者である著者も実験には被実験者(物)とのコミュニケーションが大切だと述べています。その対象者とのコミュニケーション能力で実験者は対象の「予想外の行動」をただひたすら待ち、観察し、「心」を知ります。つまり、職人がその材質と向き合いコミュニケーションを図るかのように。



「結び」で著者は、「心の科学とは、働きかけそして待つことで成立する科学だ」と書いています。人類が進化の道筋(科学)で置き去りにしてきたものを、再び科学によって取り戻す・・・そんな工程にも見えます。



思考の翼をいろいろ広げてくれる本でありました。






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